Title: ここ数日。
先日、仕事の帰り道、道の真ん中で車が動かなくなった。
ガス欠だったんだけど、夜中に知らない街でガソリンスタンドを探し回った。
その次の日おじさんが亡くなって。
そのお通夜の日に、ぎっくり首になって、首が動かなくなった。
その首が癒えないまま、昨日は神楽坂で記憶をなくした。
ほんとにこの年の瀬はばたばたしてる上に、なんかふわふわと気持ちがしてるからこんなことになるんだろうか・・・もうふんだりけったりだなぁ、なんかこういうときには、なんか悪いものでもついてるんじゃないかとか、お祓いでもしようかなんてことをいいたくなる気持ちもわかるなぁと思ったけど。
でも考えようによっちゃ、ガス欠になって、知らない人が、車を押してくれたり、ガソリンスタンドのお兄さんがものすごく親身になってくれたりして、すごい人の温かさに触れることができたし、おじさんが亡くなったのは悲しいけど、この悲しみで冷たい水を浴びせられたみたいにはっとして、我に返った気がして、自分の中の仏教がまた浮き彫りにさせられたし、首が回らなくなったのだって、身体をいたわって、メンテナンスするいい機会だったと思えばいい。
ただ神楽坂で記憶をなくした件については、ただ失態にすぎず、今のところいい要素がおもいつかないのだけれど。
いやしかし、なにがよくてなにが悪いかなんて、目に見えるところだけじゃわかんないんだって思うようにする。
そんなここ数日の総括
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おじさんたちが亡くなるたびに、世代交代っていうのは、漠然とやってくるのではなくて、こうやって目に見える形ではっきりやってくるんだなと思う。
いつまでもだれかの背中を追っかけてるばかりじゃなくて、もう自分がしっかり立つ番なんだなと思うし、今度はだれかに背中を追わせられるような男にならなきゃいけないのかなと思う。
なんか大それたことをいうようだけど、最近思よく、自分がいままで培ったもののを、世の中とか誰かとか何かのためにどうやったら還元できるだろうかと考えることがある。
おじさんたちが残してくれたものを引き継いで、次の世代に残したいと思うし、そこで自分の中に芽生えたものを少しでも目に見える形で、種として蒔きたいという気持ちがわいてきて、そういうのってもしかしたら、自分たちの世代がいろんな意味で時代の中心になる時期が来たということなのかもしれないと思う。
なんかまだ漠然としてるけど、来年はそんなことを実感できる年にしたい。
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どんなに正しいことも、振りかざしたらそれは正しくなくなるんだと思う。
正義も善も、愛も希望も、エコもなんでも、そこに絶対論理はなくて、ようは大事なのはその使い方のほうなのかもしれない。
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言い訳はしないにこしたことないけど、それはできそうにないから、せめてその頻度を少なくしようと心に決めた。
言い訳はしてもいい、でもできるだけ最小限にしようと思う。
そんで言い訳を最後の逃げ道にして安心するのだけはやめようと思う。
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三人称になってやしないかい。
ここにいるのは自分とあんたなのに。
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昔ザウスという室内スキー場があった。
そんでCMでは湾岸スキーヤーなんてフレーズが流れていたっけ。
なんの前触れもなくそんなことを思い出した。
あの頃はなんか今よりも世界が広く感じていたような気がする。
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さらりと熱いことをいえる男になる。
今日、りんごをかじりながら、改めてそう思った。
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見落としてしまうようなところに目を見張るだけで、ものごとが突然うまく回り出すと言うことを経験で学んできて、ほんと大きな問題の原因はほとんど、見落としてしまいがちなところをみんなが見落とした結果なんだろうと思う。
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自分の進むべき道、進みたい方向、あるべき姿。
そんなものは足を動かし続けてれば自然にわかるもんなんだなきっと。
POSTED @ 2010.12.20 |
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