• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: やくろ。

少しづつこうぽわぽわと暖かくなってくると、なんか自然と気もそぞろになる。いい意味で足元がふわつく。いろんなものがごちゃまぜになったこの空気に、自分にはなんの変化もないのに、どさくさにまぎれて、便乗して、わくわくしたりどきどきしたりしたいのです。

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胃袋は裏切らないのです。

きっと恋ありきで人と結びついてると、なんかぽかっとめんどくさくなっちゃうことがあるから、なんか胃袋ありきで結びついているくらいのほうがいいと思うのです。それはその人と会うときの自分の中の動機付けの問題だから、ハタかりゃみればなんら変わらない行動でも、動機付けを自分の中で変えることで続くものも続かないし、続かないものが続くものもあるのではないかと思うのです。それを言い訳とか詭弁だとよんだとしてもそれでもいいんじゃないか。方便みたいなもんですよ。

ようは、初めから恋するぞと思って人と結びつこうとすると、ああでもないこうでもない、人間のお得意な妄想にとらわれるだけだもんで、長続きしないこともありますよ。ということがいいたいのです。だからもっと胃袋で人と結びつくくらいがちょうどいいんじゃないか。といいたいのです。

あなかしこ。

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KYOTOでも聞きながら、心をざわつかせながら、鴨川でも散歩したらさぞ気分がいいだろうに。

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しかし使い回しのボキャブラリーとレパートリを一回整理したいものです。

思考回路も組み直したい。

誰かの為だと体のいい口実で、逃げ傷をつくるのだけはごめんです。

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「2と3の公約数はたくさんあるけど、2と3と5の公約数は少なくなるんだ」

あたりまえなんだけど。でもそんな言葉を言われて、なるほど。と妙にいまの自分の中にストンと落ちた。公約数の価値は、その数の問題ではないのかもしれないけど、公約数の多さが何かを打開するカギになることは往々にしてあるわけで、なにが正解かはあくまでいち側面と思いつつも、こういう論理的なロジックには妙に納得させられるのです。

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最近、組織でもいいし、コミュニティでもいいし、なんでもいいんだけど、人が集まるということに、必要なのは、価値でいえばハードが3でソフトが7くらいが一番いいバランスなんだろうと思う。

ようは大事なのはソフトであって、ソフトっていうのはやっぱ人であるわけで、人っていうのはやっぱ自分であるわけで。

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自分の心をぶちまけて、その感情の輪っかに、すこしでもかぶる相手をさがして、そういう相手がみつかったら安心して、変な仲間意識で自分の自尊心を保とうとする。

そういうのにジレンマを感じ始めると、資本主義じゃ生きられないなと思う。

なにをするにも、そこに介在してくる側面的な視野に嫌気がさすことがあるけど。でも側面は瞬間でもありすべてでもあるわけだ。すべては瞬間的なものの集合体だと思えば、瞬間がすべてだともいえるわけか。

なるほど。

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ここで遊ばないこと!と立札のたっているところは、間違いなく遊び心をくすぐるつくりになっているなと思う。こんなつくりにしておいて、遊ぶなっていうのは、腹ペコなライオンの前にお肉をぶらさげて、食べるなというようなもんだろうと思う。

感情や心や、湧いてくる抽象的なものを、なんとかしたいなら立札立てる前に、よく考えるべきでしょうとか思う。

環境やつくりが、人の心に作用することっていうのは多いと思う。もちろん悪い方にもいい方にも。それを考えて環境を整えていかなきゃいけないなと最近よく思う。俗に言う環境設定というやつですが、これ考えれば考えるほど、学べば学ぶほどに奥が深いなと思う。

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破壊は創造で創造は破壊で、ニワトリが先か卵か先か。裏も表も。

一如。

いごこちのいいところにいるといごこちのわるいところにいきたくなるのも。

おなじくくりなんだろうか。

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ひとにぎりの本物になりたいとかおもったら、日常を日常として、たんたんとこなしていくことができる人がなによりもすごくて、ひとにぎりの本物なんじゃないかと思ったのです。


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しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。

かまぼこ三昧最高です。

POSTED @ 2010.03.18 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。