• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 思考の劇的変化


いままで人生というものは、というよりも自分らしく生きるということは
自分の上に何かを積んでいくことが大切だと思ってた。
自分の目や耳や頭で感じたことをどんどん積み上げて
そうして自分を確たるモノにしていくんだとそうおもってた。

でも実はそれは大きな勘違いなんじゃないかと思い始めた。

ここ二、三日そんなことばかりを考えてる。

実は人生は自分の上に乗っかっているモノを
積むんじゃなくておろすことが大切なんじゃないだろうか。

いやがおうにも自分の上にはいろんなものが積まれてくる
自分でなにもしなくて、ほおっておいても自分の上には
どんどんいろんなものが積まれていくんだ。
目で見たモノ、耳で聞いたこと、頭で考えたこととか
肩書きとか。しがらみとか。安心とか。幸せとか。
ここには書ききれないくらいのいろんなもんが・・・・・・

知らず知らずにのっかってくる箱みたいなもんだ。

生きてる限り息をしてるのと同じで一つまた一つと
自分のうえになにかが積み上げられていく。

そういうものに経験だとか自分らしさだとか、プライドだとか
ましてやアイデンティティだなんて名前をつけてみんな自分の上にのせている。
そしてさも自分で積み上げたみたいな顔をする。
ほっておいてもその箱はどんどん高くなっていくんじゃないかな。

でもそうやって自分の上にのっかったモノ。
正確には自分で積み上げたと思ってるモノを
勘違いして大事なものだと思いこんでしょいこみすぎると
そんなものに埋もれて。どうしょもなくなって
行き詰まって結局はいつか自分自身が自分自身の
重みにたえられなくなる気がする。

でもそれを意識的におろそうとすると
その箱には大きく

「自分らしさ」

「幸せ」

「プライド」

「安心」

「責任」

「家族」

「恋人」

「見栄」

「過去の栄光」

って書いてあるんだ。これは大事だ。
これはしまっておかなくちゃって思うような
魅力的な言葉やこれは捨てたくてもすてられない言葉が
たくさん書いてある。

おろせない・・・・って思うような荷札でいっぱいだ

いきなり全部じゃなくてもいい、そのなかから
なにかを意識的に捨てていくことが大切だと思う。
ようはたくさん積んであることじゃなくて
のっかってる箱が少ないことがとらわれないで生きるってことであり
自分らしく生きるてることじゃないだろうか
てことが言いたい。

一見難しそうだけど多かれ少なかれみんながつぶれずにいるのは
きっと誰でもなにかに躓いたり壁にぶち当たった時に
思い悩み苦しむ中できっと多少なり箱をおろす作業をしてるからだと思う。
どの箱かは人それぞれだけどきっとなにかを無意識におろしたり。こぼしたりして
バランスをとるんだと思う
だからきっとまた歩き出せてるんだと思う。

時に中にはそれを意地でも手放さない、手放せない人もいる。
どっかの箱がとんでもなく大きくて重いのに
耐えて耐えてこぼさずにおとさず
おろせないのか・・・・おろさないのか・・・・
最後まで箱をおろさずに落とさずに
積み上げ続けてもうどこにも飽和できなくなって
自ら選んでその箱の下敷きになる人がいる。

三島由紀夫も川端康成も
太宰治もゴッホもヘミングウェイも・・・・

そういう生き方もある。

抱えた荷物を極限まで増やすか、極限までへらすか。
多くの人はバランスとって、多すぎず少なすぎずで生きてるんだと思う。

いままでむき出しの自分でいるってことは裸で抜き身の刀の中を歩くようなもんだと
思ってたけどきっとそうじゃない。きっとむき出しの自分には敵なんてできないんだ。

POSTED @ 2005.06.02 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。