Title: 必然。
鬼気迫るという感覚。
最近思うのは鬼気迫っているかどうかということは、なにかを伝えるうえでも、自分がこれからなにをするかという時もものすごく核になってくる部分だ。
なんで鬼気迫れるのかといえば一種の自己防衛だからなんだと思う。そもそも自分の中の、無意識くらいの深い部分のことかもしれないけどそういう部分でなにか生命維持機能とか精神維持機能みたいなものが作用しなければものすごい力というのは生まれてこないんだと思う。その機能が多少なりでも働いてる時はほんとに腹の底からなにかがわいてきて力が出る。どんな相手でもどんなことでも伝えられる気がする。
人間は自分為にしか力を発揮できないと思う。最後の最後は与えられる側よりも与えている側のほうが満たされてるんだ。そうじゃなきゃ与えられるわけないんだ。いいか悪いかじゃない。人間はそういう生き物であるということをしっかりと認識するかどうかで。そのベクトルをコントロールしておけばいい。そのコントロールをする方法の一つが仏教でもあるんだと思う。
最近人の前で話すときにいまから話すことは自分の感動だ。だからその欠片の一部分でも伝わればそれだけでいいと思う。伝えるありきで話すんじゃない。伝わるかどうかは二の次なんだ。感動を述べる。震えた体感をすぼりだす。そうやって少しづつなにかが伝わっていくんだと思う。
なんかしぼりだすを打ち間違えてなまっちゃったみたいになったけど。なんかしぼりだすよりもすぼりだすのほうがしっくりくる。
もがいてもがいておぼろげながらわかってきたのは。大事なのは後付けの部分だということで。あきらめるというのはあきらかにみるということなんだと思う。
そして偶然は必然だ。
POSTED @ 2009.06.30 |
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