• PHOTO最終更新日2010年10月11日



follow me


Title: ゴッホ展

ゴッホ展をみて感じたこと。うまくまとめきれないけど備忘のために。

まさに主催者の意図なのかもしれないけど、まさに、人間ゴッホが天才ゴッホになっていく過程が見えた気がした。

なんかまずはじめに思ったのは、なんでここまで打ち込めるのだろう、なんで絵だったんだろうということだった。

とにかくあの手この手を使って努力を重ね、模索に模索して、彼は何を目指したんだろうかと思ったのだけど、その疑問は絵を見ていくにつれ、彼はなにかを目指しているんじゃないのかもしれないと思った。

歩かざるを得ないのかもしれない、歩みを止められないだけなのかもしれないと思った。彼が自己実現できる方法も、ここまで自分の中にあるなにかを満たしてくれるものも他になかったのではないかと思った。きっと描いてるときだけは安心していられるなにかがあったのではないかと思った。

そこには彼の人間性が大きく関わっていて、ゴッホの人間性なんて会ってみなきゃわかんないけど、彼に起きた出来事を断面的にみて、その側面をつなげて想像するに、彼はものすごく繊細で神経質でいて、でもその中にも世間を認めさせてやろうという野心も持ち合わせていたんだろうと思う。でもそんな自分をいつも否定しているようなネガティブさを持ち合わせているようにも思えた。

そのネガティブな部分を埋める為に彼がすがったのは、人というもののぬくもりだったのかもしれない、彼のその欲求を弟は満たし続けた、その反面、失恋して考えられないくらいのダメージを受けていることや、ゴーギャンとアルルで共同生活をはじめることも、ポール・ガシェとの交流も、彼は自分の中にある空虚を、誰かと繋がることで癒し自分自身を昂揚させようとしているように見えた。

彼はその外的な要因で自分を癒すことにに寄りかかりすぎたんだろうと思う。でもその普通の人が、それを自分で克服できる為に費やす時間をひたすら絵につぎ込んできたこと、自分と向き合う時間をキャンバスと向き合ってきた、そしてそうせざるを得ない人間であったということが、彼がまさに天才と呼ばれた所以の一つなんだろうと思う。

天才と呼ばれ命を絶っていく人の多くは、人として自分と向き合うべき時に、自分よりも情熱を注げる何かに出会ってしまったのだろうとおもう、言い換えれば、自分をおろそかにしてもそこに虜になれるほどに自分の中にある欲求を満たしてくれるものがあらわれてしまった結果に、本来人間が回避できない問題にぶつかったときの準備ができてなかったのではないかと思ってしまった。

それと、もう一つ驚いたのが、彼の絵がどんどん変わることだ。いろんなものをどんどん取り入れて、画風から構図から筆遣いまで、素人目にみても刻々と変わっていて、スポンジが水を吸うかのように、いろんなものをどんどん取り入れていく。一体なにをさしてゴッホといっていいかわかんないくらいに。

でもそれも彼の人間性に大きく関わっていて、彼は描くことで、自分を表現したいのではなく、表現を高めることで自分に向き合おうとしていたのかもしれないと思った。そう思ったら、表現をする人には、自分の中にある爆発的な想いや、確たるものを表現としてアウトプットするタイプと、自分の中にあるものがなにかを明確につかんでいなくて、アウトプットするその行為の中にそれを見いだすタイプがいるのかもしれないと思った。

そう考えるとゴーギャンとゴッホは正反対のタイプだったのかもしれない。その二人が共同生活をしたときに、あのような事件が起きたのは必然だったのかもしれないとも思った。

なんでも仏教でくくるのはよくない癖かもしれないけど、自分がここで得た教訓は全部仏教的な教訓ばかりだった。

生老病死という問題に取り組むことは大切なことだということ。

天才というのはバランスの極端に悪い人を指すと言うことと、天才は一人では成り立たずに、そこには偶然か必然かそれを支えるだけの縁があって成り立って、その縁までを含めて天才というのは生まれるんだということ。

それと天才は結果論であると言うこと。

とにかく前に進むには何かを真似ることだということ。

外的な要因で自分をごまかしきるのは不可能だということ。

成長を妨げるのは自我であるけど、自分をここ一番で踏みとどまらせるのも自我であるということ。

なによりも、自分は人が表現したものでも、発言した言葉でも、起きてしまったことでも、成功でも失敗でも、その事柄自体よりも、なぜそれが起きたのかという、その背景にある縁を結びつけるのがたまらなく好きで、そこから浮かび上がった人間が不完全で不確かで、意味がわからなければわからないほどにたまらねぇ・・・と感じるということ。

それと、ゴッホの作品の中で自分が一番ぐっときたのは、アルルの寝室のオリジナルで、アルルの寝室を描くときに、違った色調をすべてを使って、完全な休息を表現したかったというゴッホの言葉には鳥肌が立った。

いまここまで書いてきてふと、清沢満之の自分の内側を見るのが智慧であり、仏法である。しかしそれをね、法に従わないで勝手にやってたらきっと頭がおかしくなっていたという言葉を思い出した。

なんか言いたいことが多すぎてまとめきれないけど、これを肴にだれか一献やりませんかね。最高の肴になりそうです。

POSTED @ 2010.11.15 | Comment (0) | Trackback (0)

コメントを書く。


  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。