Title: 食味
いかに目の前にあることに意識的なれるか。少し先でもすこし前でもなくこの一瞬にどれだけ意識をもってこれるか。刹那的だということは言い換えればものすごく瞬間に意識を置いているということなんだと思う。
食べることも口に入れた食べ物に意識的になるかならないかで味は全然違うし、食べ物に対する気持ちも、食べ方だっていままでとは劇的に変わる。食べるということに意識的になればなるほど日本料理のすごさとか深さに気付かされるような気がする。味わうと一口にいうと簡単だけど味わうという言葉の持つ重さはいままで自分が思ってたよりも重いということに気づかされた。
ほんとに食べ方っていうのはものすごい重要だ。
せっかく素材の味を最大限に引き出せるように作ってくれてるのに醤油をたくさんつけたら台無しだし、一つ口にいれて味わう間もなく次のものを口に入れるなんてのはありえなし、意識的に食べられるようになってはじめて到達できるうまい料理というのがあるんだろうな。
むしろ正しく食べられないうちはきっと本当にうまいものにであっても気づけないのかもしれない。目の前を仏陀が通り過ぎても何とも感じなくてただのおっさんだと思ってやりすごしてしまっているようなもんだ。
意識的になる。たったそれだけでいろんな感覚が一変する瞬間がある。自分がかわることでこんなに世界が変わるんだと思ったら、ものすごくいろんなことが楽しくて魅力的にみえる。
よくどんな道にはいるにしても型というものを大事にするけど、型というのははじめはなんでこんなことを何度もやらされるんだと思うかもしれないけど、型に血がはいってはじめて形になるとお茶の先生がいってたけど、作法や所作というものに込められているものっていうのは、どれだけその瞬間に意識的になれるかということなんだと思う。
それこそ食べ方もそうだけど、そういう一つ一つのしぐさや動作を一つの形として形式化してまとめるという文化をつくりあげた日本は本当にすごいと思う。やっぱり日本人ってのはすごい。
思うにわびさびもそうだけど、日本の文化の根底にあるものは、やっぱり意識の置き方が瞬間的であるということなんだと思う。今の重みをどれだけ感じることができるかというのは日本では大切にされてきたんだろうと思う。そうじゃなければ生み出されない言葉が日本にはたくさんある。
なんてことをダイエットをしながら思った。
ああおなかすいた。
POSTED @ 2008.12.10 |
Comment (0) |
Trackback (0)