Title: たまには足下を確認する。
うっかりすると忘れてしまうことがある。それが一番大事なことだったりする。
原点とか、初めに足を踏み出した場所だったり。自分の原動力になっているものだったり。
長いこと仕事をしていると、はじめに持ってた思いとか気持ちとか、そういうものを忘れがちになる。
なんで自分はここに立っているんだろう。
なんでここにいるんだろう。
なんでこんなことしてるんだろうって
でも誰だってそこにいるのは勝手にそこまで流れてきた訳じゃなくてそこにいる意味が必ずあるはずだ。その意味を見いだしたのは他でもない自分のはずだ。
少なからずなにか決意をしたからそこにいるんだと思う。
かつて持っていたその気持ちこそが壁にぶつかったときに自分に一番大切なものだったりする。
そもそもおれが文章を書き始めたのは高校の時からだ。なにかを書きためておくのはどうも血筋であるらしい。
正直初めは意味なんて見いだしてなかったし、ただその時々に、きっといま感じてる感情はきっと大切だから忘れないようにしなくちゃって思って思いついたのがこの方法だったっていうだけだ。今思えばなんども反芻したくなるような感情がたくさんあって、それがきっともったいなくて忘れたくなかったんだと思う。
初めはだれに見られるわけでもなく自分で走り書きしていたものがHPを作ったことでたくさんの人の目に触れられるようになった。話が脱線しちゃうけど、そもそもなんでHPをつくり感じたこととか思ったことをのせたかといえば
いまのおれがいるのはいままで自分に関わったたくさんの人がいたからで、その人達からたくさんのきっかけをもらったからだ。きっとこれからもたくさんのきっかけをもらっておれは生きていく。そのきっかけや、忘れたくない言葉とか出来事とか感情をおれの集大成としてすべてはきだしていって記録しておきたかったから。その一つ一つを忘れたくないから。そしてまたその中でつねに変化していく自分の感情とか気持ちもしっかりと見ていたかったから。
そしてそれがまた誰かのきっかけになって、それがまた誰かのきっかけになって、そうやって人がつながっていけたらいいとおもったから。
そして何よりも人にさらすということは甘えがでないからいい。なんでもそうだけど見られるということは人を大きくするから。
でも長い間いろんなところで文章を書いているていると、評価もされるようになるし、褒めてくれる人もいれば、否定をする人もいる。
そのうちに評価だって気になりだす。
そりゃ人間だから褒められれば素直にうれしいし
けなされれば素直に悔しい。
褒められればもっといい物を書きたいと感じるし
けなされればお前にはわかるもんかって。
でもどちらに転んでも次におれはおれ以上のモノを書かなきゃと思うようになる。
いいことかかなきゃ・・・って思えば思うほど
そのうちに自分らしさを失ってしまう気がして怖くなるときがある。
なにをかけばいいんだろう。
なにかかかなきゃって。
これじゃ本末転倒だ。
最初に言ったとおりおれにとっての書くという行為は
反芻したくなるような感情を忘れないための記録だ。
だからありのままをかけばいい。
いいものをかくなんてえらそうなことすこしでも感じたら終わりだぞ。
と自分に言い聞かせる。
おれが書く文章はおれの感じたすべてだから。これはおれという人間の一部分であることは間違いない。
どうあがいてもこれ以上でもこれ以下でもなれるはずがない。
なんでもそうだ、本末転倒にだけはなりたくないから、
だからたまにこうやって自分の足下を確認してみたりする。
POSTED @ 2005.10.07 |
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