• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 淵黙雷声

この時期になると自然と、今年1年を振り返り始める、何日かかけて。そういえば今年の頭に、あの人はあんなこと言ってたなとか、それからあの話どうなったんだろうなとか、自分は目標を果たせたかなとか、1年分の書いたものを読み返しながら、1年をひたすらに反芻する。

それと、毎年この時期にちょうどおじいちゃんの命日があるから、改めて自分の足元を確認する。

別に恒例にしてるわけでも、習慣にしてるわけじゃないけど、自然と気づいたらそんなことを毎年考えてる自分に、きっと習慣というのは、意識してするものじゃなくて、気づいたらしてることを呼ぶんだろうなと思って、気づかなくてもそうなれるような自分を、まずは創ることの大切さを改めて感じる。

最近本当に確信できたことは、心は所作にでる。所作は心に作用するってことで、何を言うにも、何をするにも、それは仕事とかプライベートとか、使い分けてるから、仕事の時にはちゃんとするよ。っていう人いるけど、でも、それはとってつけただけの所作でしかなくて。

心のくっついていないものは、その場しのぎにしかすぎなくて、大事な部分で相手の心にはなんにも響かないと思う。

感謝の気持ちを人に伝えよう。と思った時に、人に一生懸命事例を出して説明したり、理路整然と話しても伝わるかというとそうじゃなくて。

感謝の気持ちを伝えたいなら、自分がありがとうといって生活することで。真心っていうのはねとか。努力とかってのはねとか。

なんでもいいんだけど。

誰かに何かを伝えようと思った時に、まずしなきゃいけないのは、本当に心からそう思える自分をつくることで、むしろそれだけでいいんだと思う。そういう自分さえできていれば、自分の行動も言葉も、おならすることも、身振り手振りも、全部がそのままもう伝える行為なんだろうと思う。

しっかりと受動することはもうそのまま能動なんだと思う。

そんでしっかりと受動できないものは能動できないんだと思う。

「道」と名のつくものが、所作を大事にするということは、まずは所作を繰り返すことで、自分を整えて、受動できる自分を創っていくことに重点を置いてるからなんだろうと思う。

ダライラマがなにか迷った時にどうやって判断をしていますかと問われて、「brain」と一言言ったのもそういうことなんだろうと思う。


この時期の空気とか匂いとか、街の感じとか、きっとそういう目に見えないものが、うまいぐあいに作用して、毎年この時期になるとこんなことを考えさせるんだろうな。

今年ももうあとすこし、これから怒涛の忘年会ラッシュもはじまるけど、最後まで笑顔ですごそう。

しかしこんなおだやかな気持ちの年末も珍しいというか初めてかもしれない、それも今年1年の成果の1つなのかもしれない。

POSTED @ 2009.12.18 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。