Title: Q
朝起きて目覚ましをたたく。
そこからはじまる自分の日常に。数年前まで、たんたんと過ぎていく毎日なんてくそくらえだぜ。毎日毎日なんでこんなこと繰り返さなきゃいけなんだ。
夕刊フジを読みながら老いぼれてくのなんかごめんだ。
刺激だ刺激がほしいぜ。
な~んてこといってたけど。
でもそれって、毎日の中にある、かすかな移ろいや、ちいさく揺らいでいるものに、気づけるだけの感性が自分の中に育ってなかったからなんだろうと思った。
今それが育ったのかどうかはわかんないけど、小さなことにガツンとくる頻度は増えた気がする。
感覚が鈍ければ、激しく刺激がないと、感じることができないけど、感覚が鋭敏になれば、目の前に風が吹くことも、頭をトンカチで殴られるくらいに感じることもできるし、そもそも、なんにも感じられない今日なんて日はないだろうと思う。
刺激を強くしていくことよりも、少ない刺激でも、それを受け止められる自分を創っていくことの方が、ずっとコンパクトでシンプルで、こんがらがったりしないんだろうと思う。
昨日園で、恒例行事の、いも掘りにいってきて、この行事もう何年もしてる行事だし、今日園庭で、芋がどろだらけのまま太陽に干されているのも、いつもの光景なんだけど、たくさん干された芋の前で大はしゃぎしてる子どもたちと、泥だらけのさつまいものコントラストに、なんかぐっときて、ああこういうのを今現在説法というんだろうなと思った。
#
自分にとってのがんばれは。
朝目覚ましをたたくことでもあるし、顔を洗うことでもあって、コンビニでポカリを買うことでもあるし、高速道路のおじちゃんと挨拶を交わすことだし、子どもと遊ぶことでもあるし、誰かを心配することでもあるし、誰かの喜ぶ顔をみたいと思うことでもあるし、今日雨が降らなかったことでもあるし、太陽に干された芋が甘くなることでもある。そう思えばいまの自分の日常にがんばれじゃないことない。
#
でも誰かを喜ばせたいと思うことは、喜ばせることで満たされるのは、自分だからなんだろうと思う。自分が満たされることは、同時に誰かを満たしていることでもあるわけで、自分を満たさずに誰かを満たすなんてことは傲慢だなと思う。
自分の心をひらいてないのに、さぁ君の心をひらいてごらん。なんていうみたいなもんだ。
#
昔、受験が終わるまでは恋愛は・・・なんていうこと言われたとか言われないとか。
いま思えば、恋愛は受験にとってマイナスだったんだろうか。
そりゃあんた体のいい断り方ですよ。というのはさておきですよ。
#
いままでたくさん嘘をついてきて。
自分の悪智慧CPUが、そもそも真実なんてものがなんなのかわかんない以上、どこからが嘘なのかわかんないはずだ。真実でないことを嘘というなら、世の中にあるものは基本的に嘘だろうに。それに嘘と真実がどちらかが善でどちらかが悪なんてことはなくて、時に人を傷つける真実もあって、あたたかい嘘もあるわけで。な~んて屁理屈を言わせたとしても。そんなことは無視して。
何年もたって今になって、ふとあんな嘘つかなきゃよかったなとか、なんであのときあんなこと言ったんだろうなとか思って。後悔とかして、もうそういうのやめようと思ったと同時に、その時の自分がそんな嘘をついてまで守りたかったものはなんだっただろう、嘘をついてまで失いたくないものはなんだったんだろうと思い返してみると、そこには大抵、自分が納得しただけの都合のいい理由があったりする。きっと嘘は自分の弱さや甘さを覆い隠して、麻痺させるために服用する悪い薬みたいなもんなのかもしれない。それに頼ると、それがないと駄目になっちゃうほどにたちの悪い。小さな頭痛でもすぐに頭痛薬をのむ人もいるし、痛くなる前に飲む人もいるし、なかなか飲まない人もいるみたいなもんだし、でも時にすぐに頭痛薬をのむことで、物事が好転することもあるわけで、一概にはいえないけど、きっと用法容量をまもって正しく服用しましょうってことなんだろう。overdoseしないように。
POSTED @ 2009.10.16 |
Comment (0) |
Trackback (0)