• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: あじあ。

言語について、ひたすらに書いたのに、つい保存するの忘れて消えてしまって、こういう経験は何度もあるけど、なが~い文章を一瞬でかき消されるというのは、なんとも無常を感じる瞬間だ。

ああ無常。

言葉は生もので、同じニュアンスで書くということは不可能で、おなじ熱量をもって書くということも不可能で、逃がした魚は大きいわけです。

だから違う話にしよ。

時間軸が前後するけど、タイの旅の最後の1日は1人でバンコクに繰り出して、ふらふらとしていたわけです。まぁなんのあてもないままとりあえずカオサンに向かうところがミーハーですが、カオサンにいけばあとは、のんびりできるだろうと高をくくって、しかもバスなんて使わないぜ、タクシーでいっちゃうもんね。と自分へのご褒美だと言わんばかりの勢いでタクシーに乗り込んで、しかも、おっちゃんハイウェイ使っていってくんな!と言い放ってやりました。

そんでカオサンについてみて、ちょっとなんとも言えない気持ちがした。

前にここを通りかかったのは8年前だし、記憶もおぼろげなんだけど、こんなだったっけ。なんかイメージ違うなぁと感じたわけです。

完全に欧米人を対象にしたお店が立ち並び、屋台の土産物は、あからさまに、通常価格の3倍以上だし、みんなピザとかハンバーガー食べてるし。ここどこだよ!竹下通りか!みたいな感じでした。

一瞬の戸惑いを感じたものの、迷わず、おサレなカヘにはいって、一言だけ、「フライドチキンプリーズ」といってやりましたけどね。そんでTigerBeerをぐびぐび飲みながら、フライドチキンとポテトをむさぼりながら、ネットカフェでネットをするという、瞑想はどこへやらという暴挙にでてしまったわけです。心の奥底に後ろめたさを感じながらも、お肉とビールというマーラの誘惑には勝てなかったわけです。

いやぁwifiで自分のパソコンでネットもできるし、マルゲリータもおいしいし、ビールもうまいし、まぁ若干タイなのに値がはることに目をつぶれば、居心地はすごくいいわけです。

でもそんな堕落生活も一晩で飽きるわけです。心の中にもやもやがわいてくるわけです。勝手なもんです。欧米カルチャーに十分に安らいだ後に、そこに文句をたらたらいいたくなるわけです。ハイネケンを飲みながら。

なんで欧米人がこんなに幅をきかせてるんだ。欧米人も言葉が通じないという経験をした方がいいんじゃないだろうか。どうしてアジアの国々はみんな、彼らに合わせて、店まで欧米好みにつくりかえて、売ってるものだって、欧米のアジア好きな人がぐっときそうなもんばっかりじゃないか!浅草のTシャツとか、神風とか書いた鉢巻きとかとなんらかわんないんじゃないかいこれじゃ。

そんなもんをおお!いいじゃんとかいって自分はかわんぞ!と思いながらも小さな仏像とか買っちったんですけどね。

まぁそんな自分は棚に上げて言わせてもらうならば、やっぱり資本主義という仕組みをはじめに作った人はすごいなと思ったし、この機能の浸透っぷりに怖さを感じた。

だってどう考えても、カオサンで生活する人は、生活のために、一番お金を落とす人をターゲットにした方がいいわけで、そのターゲットというのが欧米人だし、英語を話せた方が稼げる率があがるわけで、そしたらみんな、生活やお金のために、英語を使うようになって、そんで商売だって、お金のためにその相手に合わせていくようになるわけでしょ。

自分たちの文化とか、お金にならないような自国の産業を守り続けるよりも、英語話せて、欧米文化に依った方がてっとりばやいじゃん。という発想になってしまうもんね。

お金があるもの=優位というこの構図。

とくにアジアにおいて、この資本主義と帝国主義といってもいいんだろう、この構図は根底の部分で抜けきらないんだろうな。

だってアジアの国がいくら自力で這い上がろうとしたって、上の方でお金を握ってる列強各国が、いるかぎりそこに従順しなきゃ、発展なんてできないし、カンボジアの現状だって、たまたまカンボジアの話をきいたからだけど、カンボジアだけじゃない、アフリカだってそうだけど、この社会の仕組みの中では国という単位での一発逆転はできないとおもう。あくまで国という単位で。だって各国の偉い人たちの中にその構図ができてるんだから、カオサンで行われていることが一線の会議室でもおきてるわけで、偉い人たちの一生はそれで安泰だから、そこに依らなくても、今は貧しくても国のために!とかいえる人間がでてくる可能性は限りなく低い上に、それを指示する国民性を育むなんてことはもう不可能に近い。まんま日本もそうだし。

そんでこの仕組みをつくった人の一番怖いところは、人々の中に、もちろん自分の中にもだけど、お金=幸せの象徴というイメージを完全に刷り込んだことだろう。

事実物理的にも、お金は幸せになる確率をあげるものだけど、それはすべてではないないのに、それを追い求めることをスタンダードにしたということ、それが疑う余地もないくらい世界の中でスタンダードになっているということが怖い。まだいまだに田舎の方では、物々交換でなりたっている社会もあるけどそれは絶滅に近い。そういう流れができてしまうこともそれに疑いをもたないことが怖いなぁと思うわけです。

ちなみに共産主義的なことがいいたいわけじゃないですよ。
共産主義は達成できればユートピアだけど、絶対に実現不可能な仕組みだと思うので。

まぁそれはさておき、例えばアジアの人に、おまえは金がある方だからいいじゃん。といわれれば返す言葉がないしけど、じゃあ日本をみなよ。年間で3万人以上も自殺している国が正常で幸せな国に見えるかい?といいたい。豊かになろう豊かになろうとして、出来上がった社会のなれの果てだよといいたい。

このシステム、そろそろ行き詰ってるんだろうと思うし、こうやって息詰まることは、このシステムが作られた時からわかってたはずなのに、有効な対策もないまま、今を迎えて、もうなると時代が自然発生的に、この現状を打破できるヒーローを生みおとすんじゃないだろうかとかおもっちゃう。あ、ちなみにべつにチェとかを神格化してるわけじゃないですよ。

そんな話はさておいて、ほかのアジアの国が、日本を見て、学ぶべきところは学びながらも、日本と全く同じ道は歩まないでほしいと思うし、日本の抱える問題をみて、教訓をえてくれたらいいなとか思う。そんで自国のほこりやプライドをもって発展して共存共栄できたらいいなと思う。

できるのだろうかそんなことが・・・

ああ・・・これ。ちょっとなんか熱くなりすぎちゃったみたいなんですけど、完全にお箸を持つ方の発言ですか。大東亜共栄圏の発想だといわれそうですが、そういうことじゃなくて。

アジアの空気を肌で感じたり、そこで日本がどうみられているのかを肌で感じると、なんかそういうこと言いたくなっちゃうわけです。

井の中の蛙のたわごとだと思ってください。

しかしミャンマーの現状を聞くと、こんなことをネットでタレ流せる時点で平和なんだな日本は。平和。

平和ってなんだろう。

ともだちんこ。

へけけ。

POSTED @ 2009.11.20 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。