Title: なんとでもいえる世界だ。
トトロのあばあちゃんの声をしていた北林谷栄さんがなくなったそうだ。トトロの中であの役はなくてはならない絶妙な役だったと思うし、あの人を抜きにトトロはなりたたないくらいの最高のおばあちゃんぷりだったと思う。
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ネットで毎日だらだらとながれてくるニュースとか、テレビのニュースをみていると、さらりと表をなでただけような程度の情報が、自分の世界のすべてになってしまいそうでこわくなる。意図的で側面的で表面的で、みんながみんな自分を棚に上げて表面をなでては捨てていく。
それがあたりまえになって、物事をふかくことを掘り下げようともしないことは知らずのうちに習慣化する。そうはなるまいと思っていても、気を抜けば自分もいつでもそこに落ち込んでしまうわけで。鈍感になって、そこにのうのうにいられるようにならないと、ずっと踏ん張らなきゃいけないし、どこかをあきらめなきゃこのスピードにはついていけない。
その点自分は手をはなしたり、ひらきなおったり、あきらめるのは比較的得意だけど。
たまにどっちが正常でどっちが異常なんだかわかんないなとか思う。ニーチェは晩年鞭打たれる馬を見てそこへ駆け寄り、その首を抱きしめながら泣き崩れて昏倒したそうだ。
それは狂気なんだろうか。
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きっともうすこししたら、コアでディープなことを取り上げる傾向の世の中になるだろうと思う。そういう番組やそういう特集や記事が目立つようになるだろうと思う。実際少しづつだけどテレビも雑誌も、狭く深くの傾向が出てきたような気がする。反作用が少しづつ動いてると思う。
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なんか昨日も今日も電車にのった。そしたら2日続けて人為的な理由で電車が遅れているのを目の当たりにしたら、毎日毎日だれかが生きることをあきらめたくなるこの国は本当にこのままでいいのかと憂いたくもなる。
自分にはなにができるかはわかんないけど、毒矢の例えみたいなもんで、もちゃもちゃ考えるまえに、自分は自分にできるところで足を進めるしかないなとか思う。
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なんか。自分の方向性と矢印がびっくりするぐらいに先がとがって収縮して1つの方向に進んでいってる気がする。
やりたい仕事とやりたくない仕事の白黒があまりにもはっきりしすぎてきて、それがいいのか悪いのか考えようとしたら、ふと何かで読んだ黒柳徹子さんの言葉を思い出した。
「自分の好きな事だけおやりなさい。好きな事なら疲れても寝れば治る。いやな事をやっていると、あとに1つ悪いものが残り、さらにまた1つ残り、という風に身体を壊していく」
ほんとその通りだと思う。さすがトットちゃん、だてに窓際で外ばっかりみてたわけじゃない。
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ずっと話しがしてみたいと思ってた人と話ができて。
話した内容もさることながら、話し終えた後の自分の中にあるものがここちよくて、また話したいと思った。相手のなにをみて自分がそう感じるのかといわれればきっと感性なんだろうと思う。
相手と自分が合うか合わないかを左右するもののほとんどは感性なんだろうと思う。
そこにお互いの環境とか立場とか趣味とか年齢とか、後付けでいろんなものがついてくるけど、後付けをいくつか重ねてつながった人よりも、感性でつながれる相手をみつけたときに、自分の中にのこる心地よさはなににも代え難いと思った。
のらりくらり。
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なんかはしゃぎすぎて家に帰って反省するたびに、まわりが多めに見てくれてるからここまでこれたんだろうなと思うと、ありがたいことだとおもう。
そんで反省したのにまたすぐわすれてはしゃぎすぎちゃう自分。
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いまここ。
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あ。そうそう今日からワークアウト開始です。
NIKE+どなたかいっしょにレッツワークアウト。
ベトナム帰りのそこのお方どうでしょうか。
POSTED @ 2010.05.08 |
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