Title: rubo
うまく話せるようになってきたなと思えば、自分なんかよりも、うまく話す人がたくさんいて、なんかいろんなことがわかってきたと思えば、そんなの爪の垢みたいなもんだったなと思い知らされる。
話すことももっとスキルアップして、教学だってもっと勉強もしなきゃいけないし、自分はまだまだしらないことばっかで、できないことばっかりなのに、いまあるもので満足して、付け焼刃でなんとかこなしていこうとして、もっともらしい自分が顔を出すたびに悲しくも、悔しくもなるし、そんな自分に目をそむけたくなる。
特に、同世代で、自分のできないことや、自分なんかよりもすごいやつを目の当たりにすると、悔しいし負けたくないと思う。勝ち負けじゃないけど、せめて自分の中で肩を並べたと思えるようになろうと思う。
いままで枠の中で考えてきたものを、枠の外からみてみることで気づくことはたくさんある。でもそこには痛みも伴うんだということをまざまざと学んだ気がする。その痛みがいやだから、きっとある時から成長のスピードは緩やかに下降してしまうんだ。
プライドや、自我とか、いろんなものが成長を妨げる。自己保身がだめな大義名分を生み出そうとする。くそったれ。そんなもんポイだ。
いまできるのは、足を動かすのだけはやめないことで、
いまできることを1つづつ片付けるのみ。
きっといつか花も咲くさ。
アインシュタインがなんていおうと、時間は誰にでも平等に流れるはずだ。
POSTED @ 2009.09.05 |
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かたよらない
こだわらない
とわられない
ひろくひろく
これが般若心経
空の心なり
Posted by: 大正 @ 2009年09月13日 21:29
空はほんと最近思うに、その心は般若心経だけじゃないような気がします。そもそも如来というものも、「如し」ですし、まぁそれについてはここに書き始めるとかき切れないので、またいつか・・・
Posted by: ryo @ 2009年09月13日 22:09
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