Title: ジェネレーションギャップなんて飛び越えてやる。
新緑もまぶしく日も長くなって活動できる時間が長くなればなるほどテンションが上がる。
最近、若い子とカラオケに行き「純恋歌」歌ってといわれ、しぶいね!長渕好きなの?というと湘南乃風なんだけど・・・といわれ、チェリーいいよね~という会話に横からはいりスピッツ聞くんだ?と言えばYUIなんだけど・・・といわれ、世の中は自分の思ってる以上に速いスピードで動いているんだなぁと感じる今日この頃。
しかし愛川欽也には負けてられないので生涯現役を貫けるように車ではYUIと大塚愛をヘビーローテーションで聞いてやる。
でも高校生の頃には27歳なんていえばだいぶ年上に思えたもんだけど蓋を開けてみれば意外にこんなもんなんだな。
たしかに視野は広がったし、あの頃見えなかったモノもたくさん見えるけど、でも視野が広がっただけ見えにくくなったものもたくさんあるわけで、どちらがいいとはいえないけど、でも意識して見えにくくなったところにもしっかりと目を向けられるような大人になろう。
大人になろうって・・・
もういい大人なんだけど。
そういや幼稚園にいると子ども達はよく大人になったらとか いう。
大人になったら・・・
いつから大人になったのかわかんないんだけど、でもこの年になって僕は子どもです。なんてまじめな顔でいったらはり倒される。
どこからみても名実共にもう大人な自分は、あの頃思い描いてた大人像とどれだけのギャップがあるんだろう。
あの頃大人になったらなにになる。
大人になったらこうしようとか。
思ってたことの何%がいま叶ってるんだろうか。
くそったれだと思ってたものになってみて思うのは、おれがくそったれだと思ってたのはきっとその存在や年齢じゃなくて、歩み寄ろうとしなかったり自分の経験の上にあぐらをかく姿勢に対してなんだと思った。
今になっても、英語の授業中に、学歴がなけりゃだれも相手にされないぞ。勉強もできないやつは何やっても駄目な奴だといったくそったれへ思う気持ちは健在だし、今になっても1mmだって理解したくも理解しようもない。
おれはそうはならない。
いつだって先頭に飛び出してやる。
楽しいことを目の前にして腕を組んでなんか見てられるわけない。
ペース配分くそくらえ。
すくなくともおれの周りにいる小さな目に、大人も捨てたモンじゃないなと思わせられるような大人になってやる。
POSTED @ 2007.04.27 |
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