Title: ちべ。
新年の抱負がうまいこと話せなかったので自分なりになにが言いたかったのか整理してみることにする。
ここ数年事あるごとに感じることの1つに、自分の中にあるフラグみたいなものが立っているときには、すべての目の前にある事実や出来事が点ではなくて線でつながるというか、一見なんの関係もないようなところにその答えが落ちてたりするということを体で感じる。
バク転と仏教はなんの関係もないようだけど、バク転をしてるときに、人間は時間軸にそってなにかを考える癖があるけど、「できる」とか「わかる」っていうのは同時並列なんだとか。時系列にそっているときにはなんにもみについてないんだなとか。
こないだフリークライミングをしたけど、壁を登ってても、たかが壁上りでも、つかみどころを変えるだけでひょいと上がれるところもあるのに、力いっぱい体をあげようとしても登れないところとかあったりとか、体の置きかたのバランスを変えるだけで指先にかかる体重が全然違うんだなとか。壁から降りるときにロープに全体重をかけて後ろによっかかるのってものすごい怖いんだけど、その怖さってものすごく宗教的に絡めていけるなとか、事あるごとに真宗にとりこめるなとか思う。前にラフティングで川に浮かんでるときにも思ったんだ。
思うにようは、自分の中にある芯みたいなものが確立されたら、なにをしてもそこに答えをみつけることができると思うし、むしろいろんな角度でいろんな挑戦をしているときのほうが気付かされることがおおいんだと思うようになった。
感性みたいなものをしっかりと磨き続けておけば、いざなにかを始めよう、なにかになろうと思った時に自分のしてきたこと、していることで無駄になることなんて1つもないと思う。
点である事実なんてなんもないと思う、それは自分の中で点にしてるだけで線にしようと思えばできないことなんてなんもないと思う。むしろ世界は関係性と関わりでできていて、そのものだけで成り立ってるものなんてなにもないと思う。木を見て森を見ず森を見て木を見ずっていうことなんじゃないかと思う。
自分の中でそういう柱というか、芯というか、真宗っていうフラグがここ数年ではっきりと立った気がすると思う、だから何をしてても自分の生活や考え方の中にそういうものを見つけることができるようになったと思うから、そういう意味で、いままで以上にいろんなこと、やりたいと思ったことしたいとおもったことはなんでもやっていこうと思う。なにをしてても自分の中で大切なことを感じることができるなら楽しいことややりたいことをしてたほうがいいにきまってるから、そういうことを思いっきりしていこうと思う。
ということが言いたかったんです。
ちべのみなさまには本当に感謝してますよ。
あの気の抜けすぎた空気は、あの時あの場所でおんなじ時間を過ごしてなかったら作り出せなかったと思うし、あの時あのメンバーが奇跡的に同じ車でヒマラヤを越えたという事実は財産だと思います。
ただ声がでかすぎだと思います。あとみんな会話が完全にとっ散らかってる上に自由すぎだと思います。
以上。
と書いたらタイミングよくメール。
ナイス親知らず!
いまからエリックホッファー読みますよ。
POSTED @ 2009.02.04 |
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