Title: ポルシェ
おじさんの話
先日おじさんが亡くなった。
おじさんはポルシェの神様と呼ばれたメカニックで、1964年に開催された第2回日本グランプリでは、練習走行でクラッシュし、誰も直せないほど大きなダメージを受けた式場壮吉のポルシェ904GTSを徹夜で直した。
そしてそのポルシェはGT2を制した。
おじさんはネジ一本でどこのネジかもわかったし、エンジンの音だけでどこが悪いかわかるそうだ。ポルシェの運転もものすごくうまかったそうだ。京都まで直したポルシェを納品するのに3時間でついたという逸話も残している。
今でも、ポルシェ・フリークの間では伝説のYメカニックとして語り継がれているそうだ。
おじさんは寡黙な人で、自分からそういう話をしないから、大きくなって周りからそれを知らされたときにはびっくりした。
そんなおじさんはうちにくるといつも車の話をしていて、小さいときはそれが全然おもしろくなくて、つまんないと感じていたけど、気づけばいつの間にか自分も車が好きになったし、大きくなるにつれ、いつも目をきらきらさせて車の話をしているおじさんはかっこいいと思ったし、自分もああやっていくつになっても目をきらきらさせていたいと思うようになった。
大学の時に自分がはじめて中古のワーゲンを買うときには、中古車のオークションにまでついてきてくれて、エンジンをあけて隅々までみてくれて、はやく車がほしいのに、おじさんは納得のいくものがみつかるまで妥協しなくて、毎週オークションにいってくれ、車を買うまでに3ヶ月以上もかかったこともある。
そんなおじさんの葬儀をしていて、なんか、いつも人前で法話とかしてるくせに、いざ火葬場にいったらいろんなものがこみ上げてきて、どうしょうもなくなって。
なんかえらそうに仏教だ何だと語ったところで、なんも意味ないじゃん、えらそうに人前で生だの死だの語ったって、自分一人どうしょうもないのに、なにが救いだ、くそう。と思った。
そんでこうやって人は宗教にであって、こうやって仏教にであっていくのかもしれないなと思った。
なんかおじさんを通して改めて自分自身の中にある仏教が浮き彫りになって、こういう経験をするたびに自分の中の仏法に血が通っていくのかもしれないと思った。
この想いを忘れないようにしようと思う。
そんでおじさんの残してくれたものを次の世代に必ず伝えようと思う。
POSTED @ 2010.12.20 |
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