Title: 恩。
少しづつ、でも確実に日が伸びてる。しかもここんとこの月は最高にいい感じだ。
文字や情報じゃなくて肌で季節を感じるということは、当たり前なのにでもつい忘れがちになる。暦で季節を判断することに慣れすぎるといろんなこともつい知識やマニュアルに照らし合わせてしまいそうになる。
でも春も夏も秋も冬も、常に刻々と変化する中にあるもので、その小さな変化は意識をすればするほど日常のあっちこっちにあふれてる。
お寺にいて最近感じるのは、うちのお寺の場合いつもお花が生けてある。行事の前にはお花の先生にきてもらって生けてもらってるけど、家族は大体、自己流だとしてもそれなりに花を生けることができるし、自分で生けられなくても、なんかこれはおかしいなとか、これは誰が生けたんだろうな、ということぐらいはわかる。
小さいときから当たり前だからあんまり気にしたことなかったけど、気づけばなんとなく季節の花といわれれば大体思い浮かぶし、生けている花をみて、ああもうこんな季節かと感じることもある。
最近利休の本ばっかり読んでるもんで、そういう「しつらえ」とか「もてなし」ということを意識するようになった。
そうおもってみていると床の間にかかっている絵や、しつらえだけで印象はがらりとかわることもあるし、来る人がほっとできたりするんだと思う。そういう細かいところへ意識を張りめぐらすことの大切さを最近感じる。
また自分がどこかへ伺う時もそういう細かなところまで意識を張り巡らせてみる。そうするとほんとに今まで気付かなかったことにはっと気付かされることがある。名のある料亭でもしつらえのおかしいところもあるし、小さな小料理屋でもものすごくきめ細かい配慮がされている店もある。
利休のいう「わびさび」というのはものすごく日本人の利にかなっているなと思う。それと利休のよくいう「わざとらしさ」というものをいかに消すかというのは、茶道だけでなく生きていく上でもものすごく重要なテーマだと思う。
そうだ。
昨日の話の続きで、こないだ各分野でいろいろな仕事をしている人と話す機会があってその時に感じたことがあった。
自分はどんな仕事をしていても、どんなことをすることになっても日本人でいたいと思った。日本人にしかない発想や、日本人にしかない感覚、日本人だけに育まれた心みたいなものに胸をはって仕事がしたいと思った。
島国で育まれた感性は誇るべき財産だと思います。とか強くいうとまたいつもの「お箸を持つ方」ですか、と言われそうですが。
きっといまの時代にはそういう仕事のやり方はうけないのかもしれないし、生き残れないのかもしれないけど、自分はどうしても合理的で理論的な仕事の仕方は合わないと思う。
その辺がお寺育ちのゆるくて甘いところなんだろうけど。でもそういう部分に自分はどっぷりつかって生きていこうと思う。
経済は大事だけど経済だけにスポットを当てるのはほかの人に任せればいいと思った。自分は経済を作る人が笑顔でいられるような仕事をしたいと思う。笑顔でいる人がつくるものが悪いもののはずがないと信じて。
さて。
今日は謝恩会です。
この時期になるといつも思うのが、謝恩会とは恩師に感謝をする会という趣旨だそうですが。でも自分が卒園していく子どもたちにできたことよりも、子どもたちからもらったものを比べたらきっともらったものの方がはるかに多いんだと思う。
そういう意味では感謝したいのはこっちだと本当に思う。
POSTED @ 2009.03.12 |
Comment (0) |
Trackback (0)