Title: かつぶし。
ここ数日で本当にたくさん話をした。
いろんな話をいろんなところでいろんな人と。
胸が痛かったり耳が痛かったり、ああ誤解されてるなって思ったり、なんでこの人はこうなんだろうなとか思ったりすることもあるけど。
胸が痛いのも耳が痛いのも全部1つの点にすぎないとは思いつつも、その点はある意味その角度から見た正しい姿なんだと思うし、ああ誤解されてるなと思うのと同時に自分も誰かをきっと誤解してると思うし、なんでこの人はこうなんだろうと思えばそうはなるまいと思う。
ただひとつ感じたのは、やっぱり人間は誤解をまとって生きていくもので、苦しみは全部自分の欲求で、人間はその立場にならなければわからない。だからどれだけ相手の立場になって考えられるか、自分の知らない可能性にどれだけ想いをめぐらせられるか。というのはとても重要な能力だと思う。
いつだって棚にあがってないかい自分が。
ほんと謙虚にならなきゃいけない。そしてやっぱり誤解の満艦飾になれですな。
ほんとありがとうをわすれちゃだめだな。いろんなことが帳消しになるくらいのありがとうに囲まれてるはずなのに。
おれはなにさまだ。
■
夕焼けを見てよしっと思えるときは健全な時だ。
夕焼けを見てにやりと笑えるときはみたされてる時だ。
■
信じた道を歩こうと決めてそこに向かって歩き出す。そこまでの決意と覚悟を決めるのだって大変だったのに。歩きだしたらもっと大変で。でも大変だなと思うたびに確実にその道からはずれてないなと確認したりもする。
独りよがりにならずに自分の信じた道を歩き続けることがどんなに大変なことか。
ええねんええねん。これでええねん。
最後は理屈じゃねぇ。
鬼気迫れ。
■
言葉で伝えられることの数よりも、言葉で伝えられないことの数のほうが途方もなく多いのに。
でも人は言葉でなにかを伝えたがる。そして伝えた気になって満足する。
そんなもん自慰となんらかわんない。
■
覚悟はできてるのか おれ。
■
ほんとはね。ああでもないこうでもないとか愚痴ったり文句もいってる時間もないくらいに、自分の中に何かがあふれてて、ちょっとごめんいまそれどころじゃない。自分の中に湧いてるものをこぼさないのでいるので手一杯だ。といっていられたらいいのにと思う。そんなの不可能に近いけど。
■
しかし思うに自分の苦しい時やいやな時の種類って言うのは何十年も前から変わらないな。
■
言葉には意図がある。
意図があるから、言葉には力はあるけど、そこに意味はない。
言葉はあくまでツールだ。とても優れたツール。
でも必ずしも万能ではない。
言葉じゃない方法でしかまかなえないものはあるのに、つい使い慣れたものを使って済まそうとするのは人間の悪い癖だと思う。
POSTED @ 2009.07.02 |
Comment (0) |
Trackback (0)