Title: 旅をするということ
お彼岸も終わり一息ついて、やっぱりいつもみたいに暑さ寒さも彼岸までだなぁと感じる頃にはもう4月以降の仕事や準備に頭を動かしていかないと追いつかない。でもちょっと頭を一回リセットしないと新学期は廻せないのですこし休憩。バカ殿とか見てると心から安らいでる気になるから不思議だ。
全然関係ない話だけどDysonの掃除機買った。
これほんと今まで生きてきてこんなにかっこいい家電製品は見たことないくらいかっこいい。これ1つでライトセーバーがなくても帝国軍と戦えるんじゃないかと思うくらいかっこいい。
あとグレゴリーコルベールの写真展を見てきた。
まず感じたのは、ああこれが感覚の世界なんだなって思った。なんの説明書きもコメントも字幕もない。
感じるべきは受け手次第だ。
時に静であり、動であり、命とか生とかふつふつと湧いてくる力強さを感じる反面、皮肉めいていて残酷で、哀愁や悲哀にもにた感情が沸いてくる。
気持ちや見方次第で色んな感情の湧いてくる写真だった。
キャパの「崩れ落ちるスペイン兵」を見たときのようながつんとくる衝撃みたいなメッセージ性も強い主張もない反面きっとだれのこころにも感覚的にすっと入ってくるような穏やかさがあるんだと思う。でもあえて穿った見方をするなら、主義主張のない分どうしても自分の中ではそれ以上でもそれ以下にもならないような気がした。
今回ノマディック美術館でやってるのを見たんだけどノマディツクというのは、流浪とか放浪とか定住しないみたいな意味があるそうだ。
写真の間の途中で短編映像が流れていてそれをみてたらああ、定住せずに旅を続けられたらいいなぁと久々に旅に出たい気持ちがむくむくと目を覚ましてきたのでそんな気持ちを抑えつつもんもんとしながら、そもそも旅の定義はなんだろうかと考えた。
そこで思ったのは旅の定義ってのはつぎに行く場所を自分1人で決められるかどうかじゃないだろうか。中田が人生は旅だといったけど、そういう意味じゃ人生を旅できるのは限られた人だけなんじゃないかと思う。
旅人が流浪を続けることで満たされるものは自己実現と、探求心と自信。そして流浪を続ける上で一番やっかいなのは孤独なんじゃないかと思う。自分で選んだ道だとしても孤独はいつもつきまとうんじゃないかと思う。でも孤独だからこそ一期一会の出会いに大きな意味を見いだしたり、安らいだり、なによりもエネルギーをもらえるんじゃないかと思う。そういう心は定住するよりも何倍も感じられるんだと思う。
定住することで満たされるのは安定と安心と安全。ただしその代償は孤独になれないことだ。いつだって自分はどこかから完
全に切り離されることができない。
それと思ったのは旅はすべてが自分だけの為に行うもので、定住するということは、自分だけの為じゃなく何かや誰かの為だにすることじゃないかと思う。
きっと旅人は誰かや何かの為に生きようと思ったときに旅を終えるんじゃないかと思う。
「しばし旅立ちたるこそ目さむる心ちすれ」
徒然草の中にもでてくる位だから昔から誰もが一度はその狭間で揺れ動くのかもしれない。
POSTED @ 2007.03.27 |
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