Title: いったりきたり。
旅気づいた心を鎮めようとするものの、どうやっても鎮火しない旅心に、もうこれは道祖神が呼んでるんだって思ってあきらめる。きっと旅にでればおさまるさ。
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やなせたかしさんの弟が回天の乗組員だったことを聞いて、家に帰ってアンパンマンの唄の歌詞を聴いたら、すこしほろ酔いの頭と心にぐっときすぎていろんな想いがこみあげてどうしょうもなくて、アンパンマンを聞きながらおかしなテンションのまま眠りについたら、明け方、理由はわからないが春田(秀明)にきれた夢をみて目が覚めた。なんなんだあいつは。
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久しぶりに身体をおもいきり動かしてみて、あまりの自分の低落っぷりにはもう笑うしかない。でもやっぱ思い切り身体を動かすのは最高に気持ちいい。あおむけにひっくり返って、ぼんやりとした頭で空を見上げたら、最高の満月が見えて。
なんかぐっときた。
そんでびっくりドンキでチーズカリーバーグをたらふく食べて、あとはもう泥のように眠った。眠りに落ちるときに、ぼんやりとやっぱ自分は身体を動かすのが好きなんだなと思った。
なので復活です。フットサル。
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集中していこう。
おう!
というなんてない掛け声。
なんだけど。
よくよく考えてみれば。
なにをどこに集中するんだ。
精神を集中するだとしたら、精神がなにかもわかんないのに、集中はどこに意識をおけばいいかすらわかんないのに。
でもだれもがあたりまえにそれをしてるわけで。
不思議なことだ。
精神集中。
突き詰めたらまじ深い。
パーリ語で書かれちゃうくらい昔から考えてる人がいるくらいだもんね。
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話をしていると、自分の中にあってまだ言葉にもなっていなかったようなものが、次々と出てきて、話をしているうちにいろんなことがつながって、ついついしゃべりすぎてしまう人がいる。その人と話をしていると大抵帰り道で反省するんだ。しゃべりすぎたなって。でもそれはきっと反省してもなおせないんだろうと思う。そういう人がいてよかった。ありがたいです。
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いまここ。
まずはそこにいることで、そこにいると感じられる事細かな感覚が大事で。
言葉や文字でその感覚を伝えようとしてもそれを伝えるのは難しい。
だから言葉や文字ありきで、それをとらえようとしても本当は本末転倒なのかもしれない。
そこで得られる感覚が大事なんだけど、その感覚を言葉で伝達するのは難しいから、方便を使ってでも、まずはいまここに意識を置かせようとするんだろう。
仏教はどうもそういうものなんじゃないかと最近思うことがある。
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あまりにニュートラルすぎると、ときにDとかRとかにギアを入れた方がいいんじゃないかと思うんだ。これでいいんだろうか。
こだわらなければこだわらないほど、執着しなければしないほど、身の程を知ろうとすればするほどに、自分が使える言葉が減っていく気がして、最後にはなにも発言できなくなってしまう気がして。
言葉にした瞬間にそれは、自分のみた側面にすぎないんだとか思えば。
正解なんてものはなんにもなくて。
自分の伝えられることなんてなんにもないのかもしれないと思ってしまう。
だから。
ナモしかないのかやっぱ。
楽なのに、それでもまだこれでいいのかと思う自分のあさはかさ。
踊躍歓喜の心なんておこるはずない。
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選択本願念仏集がよみたくてたまらないとおもったときに。
Amazonでポチっと変える時代で嬉しいんだけど。
それがいいのかわるいのか今の自分には全くわからない。
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きっと。
かっこいいまま次のステップにあがることができるとおもったら大間違いなんだろうと思う。なさけなかったり、弱い自分をさらけだしたり、涎とか涙とか垂らしてはじめてレベルアップできるんじゃないかと思う。
自分は体育会系だから、泥だらけにならないで、何かができるようになったことがないからそう思うのかもしれないけど。
きれいなまんまで腕でもくんで、御託並べてたり、自分の弱さを理屈ごねてごまかしてるのをみてると。
自分はそうはなるまいと思う。
前に前に、すこしでも前に。
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ほんと、他力はあくまで自力の上になりたつもので、三願転入とはよく言ったもんだと思う。
POSTED @ 2010.01.31 |
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