Title: りゅうじゅ。
一流の選手になればなるほど、信じる気持ちとか、応援とか、自信とか。
最後の最後で、その記録やプレイや、演技を支える一番大事なものに、そういう抽象的で、理屈じゃない部分を挙げたりする。
でも、それもきっとそこに来るまでに、そういう非合理的なものを否定したり、あらゆるものを否定しつくして、結果を出すために、消去法で、デメリットを消し続けてきたからこそ、最後の最後にそういう、抽象的なものが、なにかを左右するうえで重要な部分を占めるということを体得できたんだろうと思う。
これもぐるっと一周して同じところだけど同じところじゃないところに立っているということなんだろうと思う。
気持ちは大事だ。
だけどそれは気持ちだけじゃないと自ら体得したプロセスの上になりたってる言葉であるという事実も忘れちゃいけなくて、でもそこに行きつきたいときに、同じプロセスというのは存在しなくて、自分は自分の方法でそれを体得しなきゃいけなくて、そうやって体得して、1つ1つの言葉や行動やが一周して同じところにたつ要素になるんだろう。
そんでそうやって、一周して同じところにたった言葉や行動を、自然につかえ、自然にみについた状態とその数というのが、ある種、線引きというか、ラインなんだろうと思う。
時に自分自身の人間性や、築き上げたものまでも否定しながら、ウィークポイントを自覚して、デメリットを消していくということは並大抵のことじゃない、強い精神力と、順応性と、信念を持ち合わせていなければできないことで、それができるからこそ、そのラインを越えた人たちを一流とか天才呼ぶんだろうと思う。
どんな分野でも、スポーツだろうと芸術だろうと、宗教だろうと、なんでもそうだ。
人間自分自身の中に何かを築き上げていくことは、あるラインまでは努力と時間をかければできるんだ、でもあるところから先は、それを破壊しなきゃすすめなくて、それこそがなによりも苦しく、壁を越えられるか否かの瀬戸際なんだろうと思う。
彼らをそこまで駆り立てるものは何だろうということを考えながらも、恐れ多くも自分もいきたいんだ、そのラインの向こう側に。
なにをと笑われても。
最後は自分を信じることだよ。と質感をもって言いたいんだ。
POSTED @ 2010.01.04 |
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