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Title: 2005年総決算
2005.12.31
今年もいよいよ今日で終わり。31日にはおきまりの長風呂に入り、一年を振り返りながら気持ちを新たに新年を迎える準備をする。 今年は本当にいろんなことがあった一年だった。本当に濃い一年だった。 足踏みすることなくだいぶ前に進めた一年だし、大変なことが多くてでもそれがあったことですごくいろんな角度から物事をみれたと思う。それとなによりもたくさんの人に出逢って自分自身を良く知ることができたと思う。 正直おれもまだまだだなとか目の当たりにさせられる出逢いや出来事がたくさんあった。おれの知らない世界でいきてる人とであったり。おれなんかよりもでっかい視野で物事をみてる人をたくさん目の当たりにできたし、いままで関わったことのない職種や人生を生きてきた人にも会えた。そんな中で正直自分は自分がおもってるほどたいした奴じゃないなと思った。 気づいたら自分の生きてる世界で一杯一杯になっちゃう時があるけど、おれの目に見えてる世界なんて地球のほんのひとかけらにすぎない。 おれはまだまだ発展途上だ、もういい年だし、俺はこれでできあがりなんて考えるのは思い上がりもはなはだしい、そんなのは無難にすごそうとおもってあきらめたにすぎないんだ。 地球はでっかい。世界は広い。 それなのに俺はちっちゃい。 おれまだまだこれから。 来年はどんな出会があるのかいまから楽しみだ。 苦しくて逃げだしたくなるようなこともたくさんあるんだろうけど、その一つ一つが自分をさらに先に進めてくれる。 人生はおもしろい。 生きてるのが楽しくてしょうがない。
Title: 北緯30度43分東経128度4分
2005.12.20 昨日「男たちの大和」をみた。 お台場でみたんだけど、60を過ぎているであろうおじいさんがちらほらいたのが目についた。 総制作指揮の角川春樹が今回東映配給の同作の公開拡大のため東宝他社チェーンでの公開交渉をするという前代未聞のニュースを耳にして、すごい力入れてるなって思ってたんだけど、この映画を見てわかった。 この映画は一人でも多くの人が見るべきだと思う。 この史実を忘れてはいけないと思う。 原作『男たちの大和』は、生存者と遺族への膨大な取材によって完成された傑作ドキュメントだ。 つまりこの映画は史実に基づいたものであり、大和乗組員であった生存者が体験したリアルな物語である。 この映画を見て改めて感じた。 やはり日本はどこかで間違った方向に進んでしまったのかもしれない。 誰だって死ぬのは怖い。 それでも彼らが逃げ出さずに最後まで突き進んでいけたのは、家族を守るため、恋人を守るため、日本という国を守るという強い気持ちがあったからだ。 大切な人との別れや、やりきれない想いをたくさん抱えてても そういう人間がたくさんいて心から国を愛していた人がたくさんいたということ。 その人たちに敬意を払うことのどこが間違っているのか理解できない。 この映画をみても靖国の参拝はおかしいと感じる人がいたらおれはその人とは絶対にわかりあえない。 いいとか悪いとかじゃない。 彼らの気持ちを裏切るような国にはなってほしくない。 この映画を見ていて思った。 昭和20年8月15日 あのラジオ放送をみんなどんな想いで聞いていたんだろう。 とにかくこれは見てほしい。 Title: 思いこむ力
2005.12.12 信じられる自分を作るには感性を磨くこと 思うにそういう心を一番鈍らせるモノは 現状しか維持できない自分に自信がもてるわけがない。 前にでようとすれば感受性も強くなる。 心の強さは自信につながる。 体だってつかわない筋肉は自然に衰える。 たくさん感動して。たくさん怒って。たくさん喜んで 大人になるとだんだんにそんなことをしなくてもいいように生きようとするし。 自分でさがしにいかないと心を奮い立たせる場面になかなかあえなくなる。 だから心はどんどんにぶくなる。 そして感受性は弱くなる。 感じることができなかったら 前にでようなんておもわなくなる。 前にもでれない自分が自信なんかもてるわけない。 思いこみだってイイ 心をこめる。 思いこみはときに奇跡をおこす。 ナポレオンもエジソンもライト兄弟も できるって思いこんでたからできたんだ。 Title: 殿になりたい。
2005.12.08 こないだふと思い立っていきなり休みを取り突然温泉にいってきた。 なんか無性に露天風呂に入りたくなったから。 すこし前までは温泉などにいってでてくる料理はちまちまちまちまでてきてなんかもっとがつんと食わせろ! っておもってたんだけど、最近この温泉などででてくる料理を最高に贅沢だと感じられるようになった。 御膳を前に思った。 殿様はきれいな女中に囲まれて毎日こんな料理をくってうまい酒のんでたんだろうなぁ・・・ そんで昼間は馬に乗り、じいをからかって、弓をひき、剣術をする。 たまにはお忍びで町に出て、悪いやつを懲らしめたり。 ・・・・・・・ いいじゃん! 殿様いいじゃん! 侍も浪人もかっこいいけど。 やっぱ殿様でしょ。 おれ殿様になりたい。 Title: 楽しいと楽は対極だ。
2005.12.07 おれはいま最高に楽しい。 友達がいるから楽しい。 すきなことできるから楽しい。 大切な人がいるから楽しい。 迷いがないから楽しい。 だれのことも羨ましくない。 だれかのことを指をくわえてみてたおれじゃない。 でも楽しいことをやり続けるのは
その意味がやっとわかった。 頭んなかで考えなきゃいけないこと一杯だし、体は一つしかないし。あれもこれもどれも中途半端にしたくない。 正直ここ何年かで一番頭のCPUが稼働してると思う。 でもいまは何があっても手を抜かない。 くたくたでも眠くてもみぞおちのあたりから力が沸いてくる。 いまだけは倒れない。なにがあっても踏ん張る。 そしてその自信がまた自分を支える。 今が正念場だ。 きっと今ここでこころが折れたらおれはこの先の人生でも絶対に一線を越えられない人間だと自分で自分を見限ってしまいそうな気がするから。 まだまだだしきってない。 全部出し切るまでは安心しない。 ほらみろ!とは絶対にいわせない。 Title: ありがとうといってみる。
2005.12.04 せとものと せとものと っていう詩が書いてあったよなっていった。 相田みつをの詩で、おれも忘れてたんだけどそういわれそういえばそんなものを書いてあったのを思い出した。 そいつは普段から何気なくそれを思い出していたらしいんだけど、今思えばほんとにいいこと書いてあったなって。そんな話しをした。 おれがいうのもなんだけどお前大人になったなぁ。 でもおれ自分自身いまになってホントにそこにかかれてる意味を深く理解できるようになったと思う。 これはおれの考えだけど、やわらかい心をもつってのは 感謝のこころってのは 自分がここにるのは自分だけの力じゃなくて、いつもだれかが支えてくれていたからだって思うことだと思う。 仕事をしてれば苦手な人も、イヤな奴もいるけど、間違いなくそこから自分はなにかを学んでるはずだし、その人と関わることで得たモノがいまの自分の一要素になってるのは間違いない。 だから自分に関わった人全部がいたから今の自分があるんだと思う。 昔はおれは一人で生きてる!って思いこんでたし、自分の力は自分の力って思ってたし、おれにはなんでもできると思ってた。だから自分一人でがどこまでできるかいつでも試そうとしてた。 でもあるとき、たくさんの人に迷惑をかけたあげく一人で生きてる奴なんていないって気づいた。 人間ひとりじゃ何にもできないって身をもって感じた。 そう感じたときからすこし物事を大きな目で見られるようになったと思う。 少し話がずれるけど、まえ読んだ本に、水道水にありがとうと書いた紙をはって凍らせると綺麗な結晶になると書いてあった。 ほんとかどうかわかんないけどありがとうってのはすばらしいと思う。 ありがとうありがとう。 必ずしも気持ちがこもってなくてもいいんだと思う。 苦手な人の顔を思い浮かべて3回ありがとうありがとうありがとうといってみる。 なんかそれだけでこころがやわらかくなる気がするし。 人の人のつながりの根本には感謝があるんだと思う。感謝の心を大事にする人の周りには人が集まるんだと思う。 感謝のこころであふれたひとが何かとぶつかり合うわけがない。 感謝していきよう。 Title: 変換癖
2005.12.01 ひたすらパソコンに向かってるときに、 具材って書きたくて、 ξ←こんなマークが出てきた。 ξ・・・・ ξ・・・・・・ ξ・・・・・・・・・ なんじゃこりゃ!! まず意味がわかんないし お寺のパソコンで「今日」 どんだけ宗教的なパソコンだ。 他にもおもしろい変換例としては 大多忙人間・・「だいたぼうにんげん」 変換すると「抱いた某人間」 なんかあやしい感じになる。 「どらえもんを変換すると その人の癖や仕事をパソコンは忠実に学習している。 かわいいやつめ。 |
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