Title: とかくこのよは。
兎角にこの世は住みにくい。なんてぽつりとつぶやける時は、大抵目の前の問題は、過ぎさっているときなんだろう。
こんなぽかぽか陽気だと、いろんなものがふわっとほぐれていい気分。
最近、何事も言ってみるもんだなと思う。
口に出していると叶うことがあるというけど、少し前にオーロラみたいなぁ、犬ぞりで疾走したいなぁ・・・なんてつぶやいていたら、年末にアラスカにいけることになりそうだ。
それに、あちこちで宇宙が好きでね~ただの興味本位なんですけどね、何がというよりもその響きがわくわくするんだ。なんて吹聴してたら、いろんなものがめぐりめぐって、こないだエンデバーで若田さんが宇宙へもっていった300粒のかぼちゃの種を、地球に持ち帰って、それを教育機関で育てる、パンプキンプロジェクトというので、うちの幼稚園で、その貴重な種をいただけることになった。贈呈式なんてものまでしてくれるそうだ。
エンデバーに乗った種。NASAにいった種。無重力に浮いた種。
それだけでどきどきする。
でもこれ発芽させなきゃいけない責任は結構重い。
*
しかし、つくづくいったりきたりだな。
捨てたいものを捨てられず、捨てたはずのものをまた抱えて。
そんなことの繰り返し。
フェラーリもランボルギーニもプリウスも。
そんな言葉すらとらわれの1つで。
ぐっとくるとかこないとかも、どうでもいいことで。
自分がのうのうといれれば、それはプリウスでもあるしランボルギーニでもあるわけで。
それは色眼鏡で区別することじゃないんだった。
と考え直す。
こだわらないということは、限りなく透明に近くて、つかみどころがなくて。
無というのは、言いかえればなんにもとっかかりのない状態ともいえるんだろうと思う。
そこにいきたい。いきたすぎる。
バカじゃないといわれても、どうしてもいきたすぎる。
その切望の中に、他力の糸口も見つけられるような気がする。
最近、人間関係なんてものは、兎角自分の判断の及ばないことで、それを自分の力で何とかしようなんてことは、おもいあがりにもほどがあるってわかっちゃいるけど。
どうにも、自分が動くことで、誰かやなにかが好転する可能性があるなら、消耗してもそこにかけたいと思うことこそが、煩悩の固まりなんだろうな。
*
油と水は、相性がいいのか悪いのかなんてことはわからない。
こんなにはっきりした2つの反作用は見ようによっちゃぴったりの相性なわけで。
同じ液体なのに、こんなに作用が違うもの同士もあるいみ似た者同士なんじゃないかと思う。
*
幸せにします。といっている人をはたからみて。
一体どうやるんだろう。
とか思ってしまうわが身の悲しさ。
人に軽はずみにそんなこというなや。
とか思っちゃう。
えへ。
*
しかし仏教すげぇなと思う。
こんなに論理的で、実践的なものを、宗教というくくりで片付けてしまっていいんだろうか。
キリスト教やイスラム教と横並びではないんじゃないかとか最近強く思う。
*
よく考えると。
ゴッホもピカソも。
園庭に座り込んで地面に絵を描いてる子どもも。
本質的にはなんらかわんないんじゃないかと思う。
*
POSTED @ 2010.02.09 |
Comment (0) |
Trackback (0)