Title: くりかえす。
もう長いこと日記や文章を書いてる。
はじめてパソコンに打ち始めたのが1999年だからもう8年か。
初めの頃は1ヶ月のアクセス数が30くらいの小さいサイトから始まって、いまはmixiやGREEやサイトのアクセス数を合わせたら月にけっこうな数の人がみてるわけだ。
前にも書いたけど書くことが誰かに晒されるのはものすごくいいことだと思う。なによりも勉強になるし、投げ出さないし、最後まで考えるようになるし。
でもその反面やっぱりどっかでどうおもわれたいとか。こうおもわれたいとか。こんだけ晒されてるとどうしてもどっかで読まれることを意識した文章になりがちだし、たいていはいいように思われるように書けるようにもなってくる。
ましてや顔見知りがたくさんいる中で書くのは。
たまに自分の書いたものを読み直す。
手書きのものも打ち込んだものも。そしたら古くなればなるほど青臭くて文章はつたないし、どうしょうもないバカなんだけど。だれのことも気にしないでものすごいのびのびしたこと書いてる自分がいて。
読んでるとだんだん文章力はましになってくるしだいぶ読めるようにはなってくるし、確かに視野も広がってるんだけど、でもなんかのびのび感がうすれてきてる気がする。
無難なんだ。なんとなく。まえのほうがきもちよさそうなんだ。
文章にのびのびもゆうゆうも気持ちいいもよくないもないのかもしれないんだけど、もうここまでくると感覚の問題。基本文章には想いや心や勢いはのるって信じてるので。
今日岡本太郎の「明日の神話」をみてきた。
だからなのかもしれないけど。
書くことも描くことも。
なんでもそうだけど。
自分の型とか。自分のできるところとか。
精神的な部分でも。
自分にはここまでできるとか。
まえにこうしたらうまくいったとか。
これは我慢できるとか。
こういうときはこうすべきとか。
この歳になると。
だいたい一通りの経験もしてきて。
だいたいの体験もしたし。
いろんなことをある程度できるようになるし。人より少し長く続けてることがあるならきっともう体の一部みたいにそれができるようになってるんだろうけど。
でもそうじゃない。
仕事だって。
なんだって。
このへんで一回ぶっこわさなきゃその先にはいけないのかもしれない。
いっかいぐっちゃぐちゃにたたきこわして。
もういっかい積み上げる。
でもきっともういっかい積み上がったものはいま積み上がってるものよりもきっと鮮やかで力強いものができると思う。
でもそれをまた壊す。
そんでたくさんいろんな方法をためして積み上げる。
そうやっていかなきゃ。
どっかで満足したら。
それで
おわり。
いつもなんもかわんない自分なんておもしろくない。これから先も同じシチュエーションで同じことしかできないおれなんておもしろくない。
たたきこわしていったほうがおもしろい。自分を楽しんだらいい。
おれはだれかのためにいきてるわけじゃなくておれのためにいきてるからおれがたのしいならそれでいい。
POSTED @ 2007.08.14 |
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