Title: 口論の原因
つい最近幼稚園である年輩の先生とかなりの口論をした。その先生はもう25年もいる大ベテランだ。でもどうしても納得できなかったので思わず熱が入り周りの先生達は思わず黙ってしまった。
なぜそこまであつくなったかと言えば。
子どもが喧嘩をしてるときに無理に仲直りさせる必要はないと思うといったおれに、大人がそこを間に入って仲直りさせるのも教育だし、集団生活を覚えることだといった。
それがどうにも納得できない。
5歳の子どもに上辺で人とつき合うことを教えてどうするんだ。こんな時から友達とつき合うこと、人とつき合うことは窮屈だなぁって思って欲しくない。これからイヤというほどそういう場面には出くわすんだよ。そういうときに根本で人と関わるのは楽しいことなんだっていう根っこをもっていてほしい。
いまは人と関わることを楽しいっていうプラスになる体験をたくさんして欲しいと思う。
それともう一つ。先生がお話をしてるときは口を閉じましょう、手を膝に置きましょう。これがお約束です。
おれはこれがだいっきらいだ。
こうやってルールとか、決まりとか。そういうモノに対するイメージがイコール我慢とか、イヤなモノになっていくんだと思う。
本当の意味でのルールは自分たちが楽しく遊ぶために自分たちで生み出すモノで、それが新しい創造につながっていくんだと思う。
だいたいお約束とかで何かを守らせることができるのは幼稚園児くらいだ。これから中学高校に進み「お約束」でなにかを強制できなくなったときにここでルールとか決まりに悪いイメージしかないとそれを無条件に嫌い反発するようになるんだよ。おれみたいに。
だから最近おもうのは幼児期にはなんでもそういかにプラスの原体験をさせるかだ。
友達とかかわるときだって無理に仲直りなんかいらない。ほっおっておいたって子どもは次の日にニコニコ一緒に遊んでるよ。もちろんごめんなさいの気持ちは大切だよ。でもそれは心から沸いてこなくちゃ意味がない。大人はそれが沸いてきた瞬間を見逃さないで口から出るのを後押ししてあげることが必要なんだよ。無理矢理いわせたごめんなさいに何の意味もない。
お約束だってそうだ。みんなで静かにできたら気持ちいいね。心が静かになるね。みんなが話をしてたら楽しいお話が聞こえないね。ルールを強制するのではなくそうやって感じていけばいい。無理矢理強制させて黙らせてるなんてただしんどいだけだ。大人だってそういう中にいたらしんどいのに、子どもがどれだけしんどいか。
おれは保育を専門に勉強した訳じゃない。正直あまりいい子でもなかった。だからできない子、約束を守れない子の気持ちはよくわかるし、守らされてきた子どもがこうなるってこともわかる。
だいたいだ、大人っていったって一人の人間になにかを教えられるほど成長してるのかといえばそうじゃない。
むしろ子どもの方が優れてる部分なんてたくさんある。
最近思うのは幼児教育って、いかに子どもの部分をなくさないで大人にしていくかってことじゃないかと思うんだよね。
子どもにしかない大切な心をのばしてあげられたらそれはそれは最高だ。それができる先生ってのはホントに一握りだと思う。のばせなくてもせめてその心がなくならないようにしてあげてほしい。
POSTED @ 2005.10.03 |
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