Title: 晴れ渡れ。
気温が下がると比例して、空気が澄んできた。なんか景色がどこまでもクリアにみえて、空が高くなってきて、ああ秋になってきたなと思う。
空気が澄んでクリアになると、なんか気持ちとか、心とか想いとか、物理的じゃないものの深度まで深くなっていくような気がする。
そんで鼻水がとまらない。
ブタクサのせいだそうだ。
そんなお彼岸の終わり。
最近、ほんとつくづく自分の根底で真宗っぽさというか、他宗の人が「でた真宗」と言っちゃうくらいに、あたりまえのように、真宗の考え方が根付いているんだなと思う。
きっと仏教や宗派を学んでなければ、そういう人なんだと思って終わりなんだろうけど、仏教や宗派を学んでる人たちと話すと、それぞれの中に流れているものや中心においてる仏教や宗派の教義の違いと、そこから繰り出される思考の違いや、その思考の違いが生み出す生き方の違いが結構顕著で、そしてなによりもそこからあぶりだされる自分の姿が、間違いなく真宗に依っていることに、時間や習慣とというものは、間違いなく自分の中に蓄積されているんだなと感じる。
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10月3日から天一(天下一品)のキャンペーンで、くじを引いてあたると、その場で特製ボールペンがもらえるそうだ。ボタンを押すとこってりラーメンの写真が、プロジェクターでうつしたみたいに浮き上がってくるそうだ。
ほしい。
ほしい。
絶対ほしい。
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最近結婚したばかりの友人が、唐突に、「最近ものすごく孤独を感じることがある」といった。
なんかすごくわかる気がした。
人は必ずしも1人でいるときに孤独を感じるんじゃないんだろうと思う。
孤独っていうのは、物理的な要因よりも精神的な要因が大半を占めているわけで、たとえば、自分の中にあるものと、自分の置かれた状況の中にあるものとのギャップが生み出すんだろうと思う。
そういう意味では、ほんとはギャップのない場所なんてなくて、人間はいつだって孤独を潜伏させているんだろうと思う。それがいつ顔を出すかはわかんないけど、ふとひょこっとそいつが顔を出してきたときに、隙間風が吹いたりするんだろうと思う。
なんか、孤独は毒にも薬にもなるようなもので、孤独だからこそ蝕まれるものもあれば、孤独だからこそ見える世界や視点もたくさんあって、たいてい自分を根底から押し上げてくれるものの多くは、使い方を間違えると、諸刃になるようなものなんだろうと思う。
そういうものをどう扱って、そういうものとどうつきあっていくかを体で覚えていくことが、生きるコツを学ぶということじゃないかと思う。
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一生という時間は、意識をして過ごすには長すぎるけど、意識しないで過ごすには短すぎる。
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「書く」ということは、階段を作るような作業なのかもしれないと思った。
POSTED @ 2010.09.26 |
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