Title: 聖橋
みとれるというのはこういうときにつかうんだろう。昨日の月を見ながら思った。雲ひとつない空に浮かんだ月を眺めながら夜道を歩いて帰る。
1つ1つの言葉や想いを反芻して、そこにこめられたものの気持ちに浮ついたり、ざわついたり、そんでそれを払しょくしようとしたり。ギャップを拾うのがうまくなっただけ、その処理能力もあげていかなきゃと思う。
どうすればいいか、頭ではわかってるのに思い通りに動かない頭も心も、体の1つ1つにもどかしくなって、そんな自分にあきれて、聖橋の上で、もうどうにでもなれとつぶやく。言葉遊びなんかくそくらえだ。
日常を生きていくということは、なんどもなんども、同じところで転んで、何度も同じところにあざを作って、それを癒してはまた青あざ作っていくようなもんなんだろうと思う。
でも前歯を折っても、鼻血たらしても、二カッっとわらって、うへへと笑えりゃいいか。
自分を過小評価も過大評価もしないことは、なんて難しいことか。かっこつけずに卑下もせず、自分の、歩いたところが道になればいい。
わかったかおするな、えらそうにりくつこねるな、たいしたことない自分。
POSTED @ 2010.03.01 |
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