• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: ヒューストン
2009.01.28


今更だけど学ぶということはなにかがわかるようになるんじゃなくて、わからないことを増やすようなものだなぁとしみじみ思う。知れば知るほど分かんないことだらけだ、学んだ分以上にわかんないことが増えるとときにものすごいあせりとかむなしさを感じることがある。途方もないなほんと。勉強や経験はなにかができるようになるために、なにかがわかるためにするんじゃなくて、わからないことがたくさんあるということを知るために必要なんだろうな。ああほんと途方もないわ。時間がたくさんほしい。

*
一度好きになった人のことはきっといつだって好きになれるんだと思う。逆をかえせば一度も好きになったことのない人を好きになるということはないんじゃないかと思う。少なからず一度恋に落ちた相手には年齢や時間なんて関係なくきっといつだって恋に落ちれるんだと思う。一度も恋に落ちたことない相手に急に恋に落ちるなんてことがあるんだろうか。自分はきっとないと思う。

*

自分が話をしていて、楽しいなと思える相手の条件の1つは、その人が自分自身のことをどれだけ冷静に見られてるかどうかということがあるかもと思った。自分を冷静にとらえられる人はきっといろんな物事に対してもある程度傍観できるだけの視野があるんだと思う。物事を考えたり見たりする時の視点の位置がどこにあるかということは話していれば明確にでてくるし、その位置はその人をつくる思想にものすごく直結しているような気がする。自分の中にしか視点のない人は話しててもそんなにおもしろくないと思う。たまにいるけど衛星みたいなところから物事を見てる人と話すとものすごく得るものがあるしものすごく楽しい。

*

たくさんの経験をしてたくさんの出来事をこなしてきて、きっと頭の中は全然違うんだろうけど、人の目の動きや間の取り方や距離の取り方や食べ方とかそういうところっていうのは何年たってもかわらないんだなと思う。

*

説教臭いかもしれないですががそれが仕事ですから。

*

独裁者スイッチをからめて法話を書こうとしてるお坊さんへ

やっぱり真宗ってのは山から下りた宗派なんだよ。なんで親鸞が山から下りたかということは、なにかを話す上でもものすごく核になってくる部分だと思うし、蓮如さんがなんで真宗をここまで大きくできたかといえばきっとそこに立ち返ったからじゃないかと思う。

法話の目線はあくまで非僧非俗の目線でというのを自分自身最近意識するようになった。非俗のほうはほっておいてもそうなってしまうことが多いんだけど、むずかしいのはいかに非僧でいられるかなんだろね。非僧といっても僧だしね。

*
最近家電製品やパソコンを買っても説明書をぜんぶ読むなんてことはあんまりしないけど、でもふと思ったんだけど、説明書をつくる仕事ってものすごい大変な作業だと思う。そういう仕事をしている人に出会ったこと無いけど、そういう人がいたらぜひ話をきいてみたい。

でも思うに経営って説明書をつくる仕事にちょっと似てるのかもしれないなと勝手に思った。

*

ヒューストン応答願います。っていうセリフを一度真顔でいってみたい。

だれか真顔でこちらヒューストン、こちらヒューストンと言ってくれないか。

そしたら

「今日も地球は青いです」

といいたい。

よし。だいぶつかれがたまってきたようです。NASAの話と寝台特急の話で妄想をはじめるというのは一種のバロメーターです。

今日ははやく帰って長風呂して利休にどっぷりつかって寝よ。

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Title: 意識
2009.01.25

なにかを考えているときにいろんな点と点がどんどんつながってぱぁと新しいことに結びついたり、絶対に交わらないような出来事が1つの事実で結びついたりすることがある。

逆に完全に煮詰まって言葉遊びをはじめて、言葉に依りすぎて堂々巡りを繰り返すこともある。

その時の自分の違いをよくよく観察したみた結果。

あたらしくいろんなものがどんどん自分の中にはいってくるときの自分の中は考えるということをしていないときだ。考えた結果答えが出るんではなくて、答えがいきなりぼかっとだされて、それがプロセスにつながる。ぜんぜん時系列に沿ってない。

逆に煮詰まるときは大概疑問だらけの頭の中を時系列に沿って順番に考えていこうとするときで、そういうときは往々にして煮詰まってそのままバラエティ番組かジャンプに逃げる。

つまりは考えるということは必ずしも時系列にそっていかなければならないということはなくて、そう思い込んでること自体がもうバカの壁なんだなと思った。

突拍子もない音楽を聴いてる時や渋滞の中でふと悪人正機への足がかりをみつけることもあるのに、机に向って中論を読みふけってもなんにもみつからない上に、むしろものすごくそういうものから離れたくなることもある。

面白いくらいに考えるということ、つながるということ、更に言えば人間ってのは意識に支配されていて、その意識は環境やもうどうしょうもないくらい長い年月の反復で積み重ねられたもので、なかなか打破するということは難しいものだなと思う。

なにごとも、どんな道を進もうとしていても、意識というものを意識するということは次のステップに進む上では絶対に避けては通れないところだなとつくづく思う。

こないだバク転して思ったけど、物事を時系列で考えるのは人間の悪い癖みたいなものだと思う。物事は同時並列で時系列にそって説明のつくことというのは所詮机上の空論みたいなもんなんじゃないだろうか。

バク転してるときに体の動きと意識の置きかたを時系列にそって説明しなさいといわれてできる人なんていないとおもう。なのにバク転できてる人がいる。

身体と意識と脳みその限界をこえて伝えるということはそういうことなんだと思う。でも脳みそというリミットがある有限な人間が無限の可能性を説くというのは一種のパラドックスみたいなもんなんだろうか。

なんか考えすぎてもやもやしすぎたのでパタポンして寝よ。

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Title: 言葉
2009.01.22

hpのminiPCの使い勝手にもキーボードの大きさにもだいぶ体が慣れてきた。若干性能的にやっぱ気になる部分はあるものの持ち運びを考えたら十分な性能。

言葉というものについて最近考えさせられることが多い。

まえにオールウェイズ3丁目の夕日を見たときにも感じたけど、「くそばばば醤油のんで死んじまえ!」というのをそのおばあさんにいえるということは、お互いの信頼関係あってだし、言葉尻をとらえればひどいことみたいだけど、でもそれは愛情があるやりとりだと思う。逆に「おばあさんいつまでもお元気で」という言葉をかけたからと言ってその人に関心がなければ全然意味がない。

大事なのは言葉なんじゃなくて、言葉を発する人の中にあるものなんだと思うし、本当に中にあるものは言葉に頼らなくても伝わるものなんじゃないかと思う。

そりゃそうだよ当然じゃないか。なにをいまさらと思うんだけど、でもそれを自分がちゃんと質感をもって感じていたかというとそうじゃなかったと思う。

吉本隆明さんの講演をきいて改めてそう思った。なんていうか言葉が先に出てるのではなく、言葉に心をおいつかせるのではなくて、心に言葉を後付けでさがすような絞り出すような感じがした。

言葉ありきの心ではなく。心ありきの言葉を使えるようになりたいと思った。質感をもって。

すこしそこから話はずれるけど、言葉は大切だけど、それはあくまで一つの手段であって、それ以上でもそれ以下でもないという事実は間違いないと思う。その事実をちゃんと直視するかしないかで心にかかってくる負荷もだいぶ変わってくるんじゃないかと思った。

言葉にしてほしいときもあるんだよとか、言葉にしないとわからないことというのはたしかにそれは間違いないからそれはそれで大事にするんだけど、でも言葉はあくまでなにかを形容する1つの手段であって、いくら自分のほしい言葉を引き出せたからといって、その瞬間安心できたからといってもその瞬間にいつまでもつつまれていることはできない。心というものはいつだって変りうることを考えれば言葉は無常だ。そういう意味じゃ本当の意味での安心というのは言葉によってもたらされるものじゃない。

そう考えれば本当の意味での安心ってのは言葉とかそういうものに左右されるところにはないわけで、じゃあどこにあるかといえば、その言葉をとらえる自分の解釈の問題になってくるんじゃないかと思う。矢印を内側へ。どんな言葉をかけてもらえても、自分がだれかにどんな言葉をかけたとしても、それは1つの事実に対する手段であり形容であって、自分が必ずしもいつもその言葉を生み出せるかというとそうじゃないし、それは相手も同じだということ。そういう瞬間を大切にしつつもそれは無常であると思えることに幸せっていうのはあるんじゃないかと思う。なくなりうるから価値があるのであって永遠なんてものには価値はないと思う。

そう思ったらいまかけてもらえた言葉や人にかける言葉にものすごく質感がともなうんじゃないかと思った。

この事実を間違いないと思えたらものすごく楽になれるような気がする。口にだすだけでそのつもりにならないように、何事にも質感をもって。

言いたいことがうまくまとまらないけど。

いつまでもあると思うな髪の毛と命。ということです。


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Title: パタパタパタポン
2009.01.19


バク転学校からもう二夜があけました。

体中がギシギシいってます。ギシギシどころがミシミシいってます。階段の上り下りにはおじいちゃんみたいな歩き方になります。

そんで肝心のバク転できるようになった?ってところなんですが。

正直。たぶんできるとしか言えません。

なぜなら一応補助が二人ついてやっただけなので、その安心感のある状態では一応ある程度形になりました、あとは一人で何回かやればたぶんできると思います。だいぶ恐怖心はなくなりました。しかもバク転の理屈もだいぶ分かりました。自分の体が思ってる以上に衰えてることも。

ひさびさにはじめてスノボをやったときのような、はじめてゴルフをやったときのような、少しづつ理屈と身体がシンクロしてきて、でも一個できると一個できなくなりながらすこしづつ意識をどこかに置かなくても体が動いてくるあの感覚を味わった。やっぱこうやって体の使い方を覚えていく作業は好きだなと再認識。

こういう感覚を味わうといつもおもうのが自分は思っている以上になんにもわかってない。自分の体の使い方ひとつも。って思う。一度できちゃえばなんてことないのにこのプロセスが楽しい。

とりあえず完全に一人でできるまで挑戦し続けます。


*

ついに「勇者のくせになまいきだor 2」をクリアした。

どんだけかかったか。寝る前に少しづつ少しづつやってたもののもうおなじステージを2か月以上ですよ。難しかった。でもこのゲームはかなりはまる。なかなかおもしろいですよ。SONYのだすゲームをはじめてやったけどなかなかおもしろい。

そんでクリアー祝いに同じくSONYからでてる「パタポン2」を購入。これもなかなかおもしろい。ただのリズムゲームとあなどるなかれ。

人生はパタパタパタポン時々ポンポンパタポンです。チャカチャカパタポンではありませんよ。

*

最近星がきれいだと思う。オリオン座がものすごくきれいに見える。冬の空は空気がきれいなんだろうか。オリオン座をみると小学校の時に星座観察をしたのを思い出す。

しかし寒いな。

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Title: 総括小寒
2009.01.12

石田さん一家ほんとおもしろいなぁ。大家族いいなぁ。きっと人には言えないような苦労とかいっぱいあるんだろうけど、でも大家族の子どもは笑うとみんないい笑顔だと思う。くったくない。

*

しかしやっぱりしつこいようだけど基本冬だめだわ。寒すぎるし眠すぎて気を抜くとすぐに冬眠しそうになる。夏は外へ外へ冬は内へ内へ。心も体も。そのバランスがあるから年間でバランスが取れるのかもしれない。

*

大分むぎ焼酎二階堂のCMいいなぁと思うのは自分だけだろうか。久々にヒットなCMだ。あそこに出てくる場所ぜんぶめぐりたい。大分には黒い人が住んでるからね。

*

いくら29歳になったとはいえ焼肉・ホルモン・ステーキ・フォアグラというここ数日の食生活はひどすぎる。しかも明日もホルモン。基本なんか体がニンニク臭いし胃にもたれてるし。せっかく体重落ちたのに。このままじゃやばいな。しかも寒いから運動しないし・・・来週にはバク転学校だしすこし体を動かし始めないと。

*

口の横がピリッと切れた。ひりひりする。気をつけてるのに大きな口をあけるとまた切れる。これどうやったら治るんだろうか。治りかけても口開けたら切れる。でも口開けないわけにはいかないし。このままじゃ一生治らないんじゃないか。

*

昨日書いた日記にたいして何人かからメールをもらった。そこに返信していて感じた。

文章で自分の中にあることを全部吐き出すことって難しい。顔が見えないから。顔をみながらならいくらでも伝えられるのに文章で気持ちを伝えるのはなんて難しいんだろう。

そう思ったらコミュニケーションをとるということはきっとほとんど言葉でしてるんじゃないんだろうと思った。もちろん言葉でなんだけど、言葉じゃないなにかのほうがきっと大きな部分を占めてるんだろうな。

*

ここ数年で低くても長く飛ぶことの重要性を学んだのでこのまましばらく低空飛行を続けようと思います。とりあえず着陸はしません。

*

だれか野菜作りに詳しくてガーデニングにも詳しくて、土いじりとか庭いじりが好きな人いないですかね。

できればダッシュ村のあきおさんみたいな人。そういう人探してます。

*

こないだ寺っこ会でごはん食べに行った時に思った。やっぱさ。兄弟構成っていろんなところに影響してるよね考え方とか。

長男はやっぱ長男気質だし、次男は次男気質だし、一人っ子は一人っ子で末っ子は末っ子だわ。考え方の根底にどうもそれがにじみ出てるような気がしてならない。

*

今日この真冬に真黒に日焼けした人がお寺にきた。オーストラリアから帰ってきたという。話を聞いてたらますます夏が恋しくなった。

真冬なのにはやくBBQしたいとか思う。

*

戦争を体験してる直に話するといつも感じる感覚。

戦争を生き抜いた人たちの抱えているものの深い部分が一瞬でも垣間見るともう自分がなんて言葉をかけていいかわからない。完全に言葉がみつからない。こういうときにものすごく自分の無力さを感じる。自分なんかが言葉をかけてどうこうなる問題じゃない。その人の言葉の1つ1つにうなずくしかできない自分。

*

すこし前から寝るときには耳栓をするようにしている。そうするとびっくりするくらいよく眠れる。こうみえて神経質なんで眠ってても外でサイレンとかちょっとした物音とかで目が覚めちゃうタイプです。

昨日ずっと使ってた耳栓がよれよれになったのでハンズに耳栓を買いに行った。そしたらものすごい種類があって悩んでいる時にある耳栓の箱に書いてあったキャッチコピーが目に入った。

「NASAが認めた防音性」

これだけで即決です。2箱買いました。

さっそく家に帰ってそれを耳に詰めました。

そして思いました。

やっぱNASAすげぇわ。

テンピュールに寝転びながらその耳栓をしているとNASAのすごさを肌で実感できます。

*

今年も腰だけはぎっくりしませんように。

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Title: 地図は歩きながら作るものだ。
2009.01.12

昨日の情熱大陸をみて感じたこと。

肩書だけでいえば自分にはお寺の副住職、幼稚園の経営者、UNIPHの代表というものがある。でも正直肩書なんてどうでもいいし、自分は小さい時から跡継ぎとか、お寺の子とか園長先生のお孫さんとかそういう色眼鏡でみられて育ってきたから正直そういうのがあんまり好きじゃない。そういうんじゃなくてもっと自分をみてくれたらいいのにと思ってたし、肩書とかじゃなくて名前で呼んでくれたらいいのにって思ってた。

だれかに「いいよね」といわれるたびに、好きでこんなとこに生まれたんじゃない自分がどういう思いで育ってきたかも知らないのにかわれるもんならお前がやってみろなんてふてくされてる時もあった。

でも何年か前からそんなこといっててもしょうがないし人間にはそれぞれの立場がある。だから何を言われようともいろんなことを言う人がいても、自分がそういう肩書を背負って生まれた以上はいま自分にできることを1つずつ片づけていこうと思えるようになったし、それを楽しんでいこうと思えるようになった。あるいみ一種の開き直りみたいなもんだけど。

そうやってここ数年を過ごしてきて、自分なりに宗教を扱うことの意義であったり、お寺のありかたとか、経営者として一番大切なことはなにかとか、保育ってなんだろうかと、自分の一番の長所はなにかとか、自分にできることはなんだろうかとか、人と関わることはどういうことだろうかとか。それぞれの肩書の中で自分にできる副住職、自分にできる幼稚園経営、自分にできるUNIPHの代表ってなんだろうって、自分の役割は何かいうことをずっと考えてきた。

そんなことを考えながら思ったのは、お寺でいえば10人の住職がいれば10通りの解釈をするし、10人の経営者がいれば10通りの経営方法を教えくれる。10人の友達がいれば10パターンのアドバイスをくれる。それぞれの環境も立場も違うから当然そうなる。

その中で自分はものすごく迷ってきたし、右往左往してきたし、それぞれスポットからスポットへふらふらふらふらとしながらも、どの意見でもぜんぶいいものは取り入れたかったし、その中から自分のビジョンや理想をつくろうとしていた。

もちろんそのプロセスは大事だし今でも大切だと思う。

でも自分はそうやっていろんなことを取り込む中で、現状の否定ばっかりだった。いやそれは違う。あれはおかしいとか。宗門にたいして、教育に関して、経営に関してもっといえば、社会に対して世の中に対して。誰かにたいして。それと同時に理想を語るばっかりだった。経営者って言うのはこうあるべき。お寺っていうのはこうなんだよ。宗教者って言うのはこうじゃなきゃとか、教育者としてはさとか。

そうやって現状を否定して理想を掲げて自分というものが出来上がってくる部分があるから、そのプロセスはこれでいいんだけど、あくまでそこは通過点であってプロセスだということに気づかなきゃいけなかったのかもしれない。

自分は理想を描くことばかりにこだわりすぎてたのかもしれない。気付いたらいつのまにか描くことだけが目的になってたのかもしれない。

描いたら次はそこに歩きださなきゃいけないのに。完璧な地図を用意できなくてもまず足をださないと。先にでかい理想があっても、まず次にどこに足を出せばいいのかわかんなきゃ何の意味もない。

地図は歩きながら作るものだ。

その時になったらとか、いまはその時じゃないとか。準備不足なんていう言いわけをまことしやかに思いつくおれの頭なんかくそくらえだ。大事なのは今自分にできることをみつけることで、今自分にできることをやることだ。

いまここ。そう思っていた自分の背中をどんと押された気がした。

自分が煮詰まってる時に答えをくれるのはいつも誰かだ。


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Title: 今夜11時からは情熱大陸
2009.01.11


スーダンで活動するNGOロシナンテスの代表である 川原氏が特集されます。

友人(しげちゃん)(株ショウギー)の紹介で川原さんと出会い現在はロシナンテスのサイトをUNIPHで担当させてもらってます。

「熱は高いところから低い所に流れる」川原さんといると自分までどんどん熱くなってくるような気がします。


川原さんのブログは↓
http://blog.rocinantes.org/


アフリカにスーダンに興味がある人もない人もぜひ見てほしいです。

日時:1月11日(日曜) 夜11時
番組:情熱太陸 
放送:毎日放送、TBS系列局

(番組ホームページ http://www.mbs.jp/jounetsu/ )
(NGOホームページ http://www.rocinantes.org/ )

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Title: にく年間。
2009.01.10


29歳になった。

ずっとまえから29歳にはなんとなく思い入れがあった。

少し前にも書いたけど、親鸞は29歳で比叡山をおりて自分の道を見つけるために歩きだした。仏陀は29歳で王子の身分をすてて生老病死の問題に向き合おうとした。孔子は29歳までに自分の道を志して30歳で自分の道を確立した。

なんとなく29歳30歳という年齢はいろんなところにちらほらと顔を出す。

そんな偉人に自分を重ね合わせてよしおれも。なんて大それた気持ではないけど。

自分が1999年から思ったことや考えたことを書き始めて今年でちょうど丸10年、ぜ~んぶ読み返してみてほんと自分は右往左往しながら足元を確認しながら、あっちこっちふらふらしながらも改めて思うのは10年間好きなものも嫌いなものも、好きな自分も嫌いな自分もなんにも変ってなかった。

それは当り前なのかもしれないけどすごい発見だったしすごい自信にもなった。

背伸びしようとしてても、まわりからいろんなこと思われたくても、自分のイメージを払しょくできなくても、でも自分が好きなものはまちがいなくすき。それを我慢してももうしょうがないなと思った。腕組んで指くわえて、スーツなんか着こなしておれはもう大人なんだぜなんていわなくていいんだ。と思ったし、それを声に出してもいいやと思った。バク転とか習いにいってもいいんだ。

この10年でそれがはっきりわかったから。

これから先の人生は自分のしたいことを迷わずに進んでいこうと思う。いい意味でわがままになろうと思う。いまでも十分わがままだといわれそうだけど。

前は理想と現実をわけて考えてた。理想に現実をついてこさせるのは大変だと思った。

でもそんなことないのかも。

理想を目指して現実を歩くのではなくて、現実をしっかりと歩いた先にあるのが理想であると今は思う。

好きなものがわかってるんだから、今目の前にあるそういうものを一つ一つ大切に感謝していけば、その先の人生がお先真っ暗なんてはずはないと思う。

いまここ。この瞬間。

言葉にすると簡単だけど。いまのここに質感を持って。

そうおもって毎日をみてみると。ほんとに自分はいろんな人に支えられてるし幸せだと思う。そうおもわせてくれるすべての要素に感謝。

おじいちゃんがよく誕生日はおめでとうといわれる日だと思うかもしれないけど、それだけじゃなくて自分がありがとうをいえる日なんだよ。と言っていた。

ほんとにそう思う。

みなさんありがとう。

29歳はにくだから肉をたべるんだ。といっていた人がいましたがそれも実践していきます。

牛さんごめんなさいありがとう。

さて。29歳がんばります。そんでさくっと30歳になります。

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Title: バク転。
2009.01.06

バク転できたらかっこいい。間違いない。

そうおもってる男子は3人に1人くらいの高い割合なんじゃないかと思う。無論自分もその1人です。

若干太りましたがこうみえても運動神経はいいんですよ。前転も前中もできるんです。もちろん側転もロンダートもできます。なのにできないんですよバク転だけが。

なぜなら怖いから。首からいきそうなんだもん。

でもそんな自分にさようなら。新しい自分こんにちはです。

決めました。今年バク転できるようにします。齢29を目前に決意しました。

周りからはいい加減にしなさい。そんなもんできてもなんにもならんでしょ。アラサーのくせにバク転とかいってんじゃないよ。おまえはジャニーズか!と言われますがこうなるともう止まりません。

しかも去年バク転学校なるものを見つけたのでさっそく問い合わせて予約です。なんとバク転を教えてくれる学校だそうです。

バク転ができるようになった自分を想像して1人でムフムフします。

できるようになったら動画で自慢しますよ。バク転をかっこいいとおもってる世の男子たち(いいじま)に。


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Title: 情熱大陸。
2009.01.06

スーダンで活動するNGOロシナンテスの代表である 川原氏が特集されます。

友人(しげちゃん)の紹介で川原さんと出会い現在はロシナンテスのサイトをUNIPHで担当させてもらってます。

「熱は高いところから低い所に流れる」川原さんといると自分までどんどん熱くなってくるような気がします。

アフリカにスーダンに興味がある人もない人もぜひ見てほしいです。

日時:1月11日(日曜) 夜11時
番組:情熱太陸 
放送:毎日放送、TBS系列局

(番組ホームページ http://www.mbs.jp/jounetsu/ )
(NGOホームページ http://www.rocinantes.org/ )

参考までに3年前の別番組(今日の出来事)です。

http://jp.youtube.com/watch?v=3qMEksmTxhY&eurl=http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1044853971&owner_id=721920

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Title: いまここ。
2009.01.05


わかりかけるとすぐにまた同じ所に落ち込む。

晴れやかに生きていても突然些細なことでおんなじところで迷い始める。

何年も何十年も。

自分の駄目な部分というものが消えることはない。

ささいなことでものすごく救われることもあるのと同じくらいささいなことでもものすごく迷うときもある。

劣等感や自己顕示欲や負けず嫌いや得体の知れない焦燥感みたいなものがふと首をもたげてくる。なんて自分は小さくてどうしょうもないんだろうと、そう思うたびに本当に身近に真宗があってよかったと思う。

こんな自分のできることは今にしっかりと質感をもって生きることだけだと言い聞かせる。目的地に向かって歩くんじゃない、しっかりとした足取りで歩いた時についた場所が目的地なんだと信じる。

いまここ。

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Title: ベス・チャトー
2009.01.03


NHK年末年始特集番組でベス・チャトーというイギリスのガーデナーのドキュメンタリーをやっていました。

それをみていて感じたこと。

若い時は自分らしさとか、自分の中にある独自性っていうのものをしっかりと自分自身でつかむのは難しい。

そんで試行錯誤して経験していろんな思いをして自分の中のそういうものを少しづつ形作って確立をさせていく、言い換えればそれが人生のというか自分なりの哲学みたいなものになっていく。

彼女のガーデナーとしての哲学、クリストファーロイドのガーデナーとしての哲学、そのやり取りのくだりはものすごく興味深かった。

正しいか間違っているかじゃない、自分が何かを決めるときに指針になれるような確立された哲学をもてるかどうか。っていうのはすごく大切だと思うし、そのそれぞれの哲学をしっかりつかんでいる人達が繰り広げる議論の広がりやぶつかり合いほどおもしろいものはない。

ベスが「庭に何を描きたいですか?」という問いに対して、すこし考えて言った一言。

「言葉がみつからない。なんて言っていいかわからない。」

この答えをきいてやっぱすごいなと思った。きっときれいにまとめることはいくらでもできるはずなのに、自分の中に確たるものがあるはずなのに、それを言葉にあてはめることができなかったというところが本当に面白いと思ったし、きっとそれこそが正解なんだろうなと思った。きっと彼女は自分自身のためにガーデニングをしてるんだと思う。

これは自分が思うところだけど自分の中の哲学っていうのは、きっと本来持ちうるものなんだと思う。それをしっかりつかんでないうちはいろんな試行錯誤をしたり、それを否定したり、枠を超えようとするけど、でもきっとみんな一周して同じ所に戻ってくるんじゃないかと思う。同じ所なのに同じ場所ではないところに。

話が前後するけど、やっぱりイギリス人の話すことは端々にものすごく深く共感できることが多い。やっぱり島国だからなんだろうか。きっと日本とイギリスは全然場所も歴史も違えど、なんとなく気質的な部分で共通部分が多いように感じる。

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Title: 新年。
2009.01.02


あけましてあめでとうございます。2009年はじまりました。

今年もみなさん楽しくやっていきましょう!どうぞよろしくお願いします。

今年はお寺にお参りに来る人がものすごい多い。31日から昨日も今日も、なんとなく切れ間なくいろんな人が新年のあいさつに来る。なので夕方にビールを一杯のんだらもう20時には白目むいて就寝ですよ。

さていよいよまもなく29歳になります。親鸞は29歳で比叡山を下りた。仏陀は29歳で出家した。矢吹典子は29歳で円形脱毛症ができた。

さて自分はなにをする。

もう迷いなし。

1歩づつ足を出していくだけです。

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。