• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 大底にある問題
2007.03.29

自分の大底にあるもの。

1日の終わりに、その日に起きたことを思い出してみて、ああなんであんなこといったのかとか、なんでこういえなかったんだろう。とかそんな過ぎ去ったことにもやもやと悩んだり苦しんだり。いい話をしなきゃしなきゃって何週間も悩んだり。こう見られるためにはこれくらい知っておかなくちゃとか背伸びをしたり。そうやって自分で作り上げた自分たるものに苦しめられる。

うんざりするくらい自分に執着して、なにかをがむしゃらにつかもうとして、それが苦しいのに、でもそれがおれのやり方だし、そうしなくちゃ見えないこともあるって言い聞かせる。

無駄に苦しまないで無駄にがんばらないって決めたのに。人間は1つなにかを手に入れると次にも次にもなにかがほしくなっていつだってだれかに認められたくて、どん欲で、傲慢で、それが自分の首をしめてるのに気づかない。

ふと手を離す。ふと自分を手放す。

そんな簡単なことで楽になれるのに、手を離すとまっさかさに落ちていくんじゃないかとおそれをなす。

そんな簡単なことができないで、四方八方にちりぢりになりそうな自分を必死に自力で押さえつける。それが理性なんて思えども、理性なんて執着をすてきれない自分のエゴが作り出した詭弁なんじゃないかと思う。

考えないと前には進めないのに、考えることで生まれる苦しみがそこにあって。
苦しみたくないくせに考えをやめると自分を保てないんじゃないかと怖くなる。

おれは世界中のことを知りたいし、なんでもかんでもおれは知りたいし。知らないことがすごくいやだ。知らないと思うのが苦しい。だから虱潰しに知りたい。

それが今、最後に自分を支える自信になってるのに、その最後に自分を支えてるものが、最後に自分の深いところから自分を苦しめてるのかもしれない。

知ることで知る苦しみ。
突き詰めることで見えるどうしょうもない苦しみ。

知りたいのに、知りたくないし。
考えたいのに考えたくないし。
前に出たいのに、前に出るのが怖くなる。

堂々巡りで八方ふさがりで、だれに教えを請えばいいかもわからないし、なにを読んだらいいかもわからない。これに答えてくれる人に出逢えたらおれはきっと法然に出会った親鸞になれるかもしれない。

これははじめてはっきりとした形でたどり着いた自分の大底にある問題の一欠片かもしれない。

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Title: 旅をするということ
2007.03.27

お彼岸も終わり一息ついて、やっぱりいつもみたいに暑さ寒さも彼岸までだなぁと感じる頃にはもう4月以降の仕事や準備に頭を動かしていかないと追いつかない。でもちょっと頭を一回リセットしないと新学期は廻せないのですこし休憩。バカ殿とか見てると心から安らいでる気になるから不思議だ。

全然関係ない話だけどDysonの掃除機買った。

これほんと今まで生きてきてこんなにかっこいい家電製品は見たことないくらいかっこいい。これ1つでライトセーバーがなくても帝国軍と戦えるんじゃないかと思うくらいかっこいい。

あとグレゴリーコルベールの写真展を見てきた。

まず感じたのは、ああこれが感覚の世界なんだなって思った。なんの説明書きもコメントも字幕もない。

感じるべきは受け手次第だ。

時に静であり、動であり、命とか生とかふつふつと湧いてくる力強さを感じる反面、皮肉めいていて残酷で、哀愁や悲哀にもにた感情が沸いてくる。

気持ちや見方次第で色んな感情の湧いてくる写真だった。

キャパの「崩れ落ちるスペイン兵」を見たときのようながつんとくる衝撃みたいなメッセージ性も強い主張もない反面きっとだれのこころにも感覚的にすっと入ってくるような穏やかさがあるんだと思う。でもあえて穿った見方をするなら、主義主張のない分どうしても自分の中ではそれ以上でもそれ以下にもならないような気がした。

今回ノマディック美術館でやってるのを見たんだけどノマディツクというのは、流浪とか放浪とか定住しないみたいな意味があるそうだ。

写真の間の途中で短編映像が流れていてそれをみてたらああ、定住せずに旅を続けられたらいいなぁと久々に旅に出たい気持ちがむくむくと目を覚ましてきたのでそんな気持ちを抑えつつもんもんとしながら、そもそも旅の定義はなんだろうかと考えた。

そこで思ったのは旅の定義ってのはつぎに行く場所を自分1人で決められるかどうかじゃないだろうか。中田が人生は旅だといったけど、そういう意味じゃ人生を旅できるのは限られた人だけなんじゃないかと思う。

旅人が流浪を続けることで満たされるものは自己実現と、探求心と自信。そして流浪を続ける上で一番やっかいなのは孤独なんじゃないかと思う。自分で選んだ道だとしても孤独はいつもつきまとうんじゃないかと思う。でも孤独だからこそ一期一会の出会いに大きな意味を見いだしたり、安らいだり、なによりもエネルギーをもらえるんじゃないかと思う。そういう心は定住するよりも何倍も感じられるんだと思う。

定住することで満たされるのは安定と安心と安全。ただしその代償は孤独になれないことだ。いつだって自分はどこかから完
全に切り離されることができない。

それと思ったのは旅はすべてが自分だけの為に行うもので、定住するということは、自分だけの為じゃなく何かや誰かの為だにすることじゃないかと思う。

きっと旅人は誰かや何かの為に生きようと思ったときに旅を終えるんじゃないかと思う。

「しばし旅立ちたるこそ目さむる心ちすれ」

徒然草の中にもでてくる位だから昔から誰もが一度はその狭間で揺れ動くのかもしれない。

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Title: まもなく暑さ寒さも。
2007.03.14

■夏がまちどおしい。

カルピスウォーターのCMをみながら、ああはやく夏がこないかなぁ・・・「ああ・・あっちぃ・・・」って早く言いたい。しかし毎回毎回カルピスのCMってのは的を得ている。夏=カルピスの構図を作り上げた戦略は完璧だと思う。

■天一と焼き肉のない世界にはいきたくない。

このくそ忙しいさなか、風邪をひいてしまい思うように頭と体の回らないから天一食べに行ったら一発で体が楽になった。さすがコラーゲン。こらぁ元気になりまっせ。って言うだけある。スープライスセットバンザイ。

■目玉企画

さてつい先日、またもアフリカへ旅立つ友達の送別会を執り行いました。今回は東京遊覧飛行という洒落込んだ計画を立てて思い切ってヘリをチャーター。

ヘリポートまでアイマスクを装着してもらい、直前までどこにつれていかれるのか、なにがおきるかもわからない、アルジャジーラとかで流れそうな状態の友人の手を引きヘリポートへ。

しかしヘリはね。これは乗った方がいい。まじで興奮する。

誰もが一度は空を飛ぶことを想像したりすると思うんだけど、
あの空へ浮かび上がる瞬間の感覚とか、旋回してる時の感覚とか、ものすごいリアルに空を飛んでる。っていう感じがもろに伝わってくる。あの高さから東京を見ることはヘリ以外に体験できないし、これぞ東京だ!というのを存分に見せつけられた気がした。

これほんとデートでも送別会でも忘年会でもなんでもいいけど、ほんと使えるとおもう。

■昔から強制されるとやりたくなくなるんだな。

活字を書くのは苦じゃないしなんでもいいから書けといわれたらきっといくらでもかけると思うんだけど、これについて書けといわれるとどうにもいろんな所にひっかかって先に進まない・・・お彼岸の原稿の締め切りはもう目前なのに、結局こういうつらつらとした文章を書くことの方に逃げてしまう。

■昨日テレビ見てておもったこと

テレビを見ながら、「どんだけ~」っていってるギャルに最近の若者は・・・とか「全然いいっすよ」とかいってる新入社員に全然ってのは否定だろうが!いってるおっさんをみていて、思った。

人がつねに変化していくのと同じように言語だって生きてるんだから、いつまでもそんな小さなことにとらわれてる方がおいてかれてるんだぞおじさん。言語ってのは変化しうるものだし変化することで進化するんだと思うし、同じでいる必要ないし変化しない言語なんて死んでる。

生きてるものは何だってはつねに変化するんだ。

言語は時代と共に変化して当然で、その時代にはその時代の価値観があるように感覚や微妙なニュアンスが10年前と同じでないようにそれにあわせて変化しなくちゃいけないんだと思う。

すこし前の日記にもかいたけど、一番強いものとか、一番賢いものが生き残るんじゃなくていつだって変化できるものが生き残る。っていったダーウィンの言葉はほんとに深い言葉だと思うし大切な教訓だと思う。

なんでもそうだ。ぜんぶ。

生きてるものはつねに変化する。物理的なものだけじゃなくて心も夢も想いもぜんぶ生きてるものはつねに変化する。

変化するのを恐れるのは自分の中に芯がないからなんだと思う。変化したくなかったり、頑なになったり意固地になるのは自分の中でそれが死んでる証拠じゃないかと思う。

過去の栄光を語るのは今を生きていない奴の専売特許なように

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Title: ただ生きてりゃいいってわけでもないけど長生きはしたい。
2007.03.09

総括

UNIPH初の九州出張はひさびさにいろんな意味で切り替えもできたし学ぶべき事も多かった。はりきりすぎて、たべすぎて、はしゃぎすぎて2日目にダウンしたのなんかもう忘れた。いやしかし充実した3日間だった。あとグラバーさんはすごい人です。

なにせいい加減いい大人なんだからペース配分をしないと社会の荒波を乗り切れないぜ。

そしてこの時期は1年の中で一番激しい時期です。

確定申告の準備に追われ、決算の準備を進め、来年度にむけての打ち合わせや準備を連日こなす。それにくわえて寺ではお彼岸がはじまり原稿に追われ、幼稚園では謝恩会、卒園式などの行事が目白押しだ。

事務作業がつづく分にはいいんだけど、この打ち合わせというのが体力と精神力を消耗する。1つの方向にむけてみんなの意識を統一するのなんてよっぽどの動機付けがなければ無理だ。だから結局はいろんな欺瞞や誤解を抱えたままやむを得ずでも、結果として少しづつでも、その方向にすすんだとして、そこから生まれる軋轢がいなせる程度ならおれの仕事は成功なんだと思う。

長期的な展望と客観的な思惑と、最近の言葉で言えば「鈍感力」これさえあれば大抵はうまくいく。

人間の寿命を縮めるのはストレスだというけど、人間はストレスを感じることで成長できることが多いと思う。

長生きはしたいけど、視野の狭い老人にもなりたくないし、大抵のことはこなせるくらいの精神力は身につけて生きていたい。そう考えたら人間の寿命と精神的な成長と反比例するグラフをつけていったら両方の線が交わるところがきっとあるはずだ。

戦国時代にいつ殺されるか、いつ死ぬかわからないストレスにさらされ、人生が50年だった時代の人間はそれに反比例して間違いなく現代にいきる人間よりも刹那的な感覚はとぎすまされていたと思うし、命とか生きることとか、出逢いとか。そういうものの意味を深く探求していたと思う。

ただ生きてりゃいいってわけでもないけど長生きはしたい。

かきたいことは山ほどあるのに、それを活字に直すのに耐えうるだけの余力と時間がない。昨日鹿児島から幻の芋焼酎というのが届いた。これを呑みながら夜更けにつらつらとほっこりできるひが待ち遠しい。

そんなに忙しいならこんな時間に日記なんか更新するなといわれそうだけど、これは現実逃避と自己実現と足下を確認する大切な作業なんだなこれが。

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。