Title: ばたふらい。
やっぱ20代の終わりという節目だからなんだろうか、30才を迎えるにあたって、おもいがけないところや、おぼいがけない人からメッセージをもらって、ぐっときて、よしっておもって、返事は言葉じゃなくていきざまでしたいと思った。
ありがたい。
ほんと、ありがたい。
そんで思ったのは、各分野いろんな人の話をきいてると、本当に可能性は無限なんだなと思う。
したいことはなんでもできる。
そんでなにかを成し遂げようと思った時にまず必要なのは、方法論じゃなく精神論だとも思う。精神論のない方法論では、なにも成し遂げられない。方法論は精神論の中から生まれてくるものであるべきだと思う。
わかっているようで陥りやすいところだと思う。
そんなことを思いながら、
「そのこころは心ではなく情なのだ。浄土は情土なのだ、唯識で心はとけるが、情はときあかすことはできぬ」
という言葉を思い出して。
たしかに、経典を読んで、頭で浄土を思い描いている限り、お念仏は方法論に陥りやすくて、そんなんじゃ一切衆生とはまだほどとおいとか思って、大事なのは浄土なんじゃなくて、浄土を恋う気持ちによりそうことであって、救いを恋う気持ちによりそえなければ理屈ではない浄土というのはわかんないのかもしれないと思って。
その心の中にあるものこそが浄土であり情土だということなんだろうかと思うわけで。
それってやっぱり、最後は一緒に笑えて一緒に泣けることなのかもしれない。
なんてことがぐるぐるとまわりまわって、煮詰まりそうになったので、まっきーをききながらホットサンドをたべてもうひと眠り。こないだホットサンドメーカーを買ってから、朝ごはん革命だと思って、ホットサンドをたべまくりなわけで。
しかし冬は眠くてたまらない。体がカロリーと眠りを欲しているわけで。
気づけばうとうと。
そんでうとうとしながら、そういえば昔バタフライで25mおよげたのに、いまもう泳げないなとか思って、そんで昔できたのにできなかったことを具体的に考え始めたら、結構多いことに気づいて、それをもう一回できるようにするためには、それをはじめて習得したのにかかった時間よりも時間を要するだろうか、それともそれよりも短い時間でできるようになるのだろうか考えたら頭がさえてきた。
やったほうがはやいからさっそくご無沙汰してるジムにいってバタフライでもしてこようか。溺れてるのと間違えられて救助されないといいけど。
POSTED @ 2010.01.11 |
Comment (0) |
Trackback (0)