• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 深層格

自分はこうであるということの中の多くは願望でもあるんだろうと思う。

自分は基本的に人が好きだからというのは、人を好きでありたいという気持ちでもあるし、自分は基本的に人が嫌いだからというのは、人を嫌いでありたいという気持ちでもあるのかもしれない。

その姿勢の裏にはたくさんの縁と関係と環境が作用しているにせよ、こうありたい、こうである、こうだからと簡単に言い放つ言葉とその中にある本質は真逆であるのかもしれない。

破壊衝動は創造への渇望でもあるし、創造は破壊への渇望でもある。

本質と動機付けはそうしてバランスをとるのかもしれない。

そう考えれば本質的な優しさとはなんなんだろうか。

突き詰めて究極にネガティブなのは自分と彼とどちらなんだろうか。

ロックが優しいと感じるのとそれはなにか通ずるのかもしれない。

突き詰めてネガティブなのは最高にポジティブで、至ってポジティブなのは最高にネガティブで。(まんま日本の構造にもあてはまるけどそれはさておき)

自分はこうである。という裏にある本質というのが、人間が人間である以上何万年も前から変わらない真実なのかもしれない。そして同時に自分の誇示するスタイルは、同時にそうやって自分を守る術でもある。やわらかい部分に手をとどかせないための手段でもある。

先に手を出すのは、先に手を出されたくない弱さでもあるし、相手をゆさぶるのはゆさぶられたくない保身でもある。

ベクトルの向く方向はあるところまでくるとくるりと同じ方向を向くのかもしれない。アウトプットと表現とその使い道の違いはあれど、その根本に流れる普遍的なルールをつかんだらこわいものなんてないのかもしれないとすら思う。

ニーチェでも、親鸞でも、岡本太郎でも、ナポレオンでも仏陀でも、デュオニソスでもヴァーグナーでもだれでもいい、その深度や多少のギャップはあるにせよ、ベクトルが向いてる方向に大きな差がないように感じる。

うまくつなぎきれないけど。

相反する衝動と正反対の動機付けを持つ人間の中に同義性をみつけることがやはり本当の意味での調和なのかもしれないと思った。

ここでもまた点と点がつながる。


POSTED @ 2010.06.05 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。