• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 年度末。
2009.03.31


10年という時間は重くも長くもあるし短くも軽くもある。

思えばどこへ向かいたいかとか、どこへ進もうかなんて悩んでみるものの、結局人生というのはその時のタイミングや、環境や、出来事。そのたまたまの連続で成り立ってて、自分が頭で考えてどこかへ進もうと思ってもそれが必ずしもそうなるかといえばそんなことないことのほうが多い。

足を進めるうちに、二転三転右往左往暗中模索五里霧中でふらふらととにかく足をうごかしていれればそれでええんでないかと思う。ええねんええねん。夢とか希望とか目標なんていうものはあくまで方便みたいなものなのかもしれない。

人生は自分の思い通りになることなんて1つもない。言い切れる。なんかわかんないけどいろんなタイミングやいろんな出会いや縁とか、そんなおぼろげであやふやなもんで成り立ってて、自分でなんとかできるとか、自分の力で人生を切り開くなんて思い込んでるうちはきっとまだまだなのかもしれない。ほんとはよく見たら全部後付けなんじゃないかと思う。

初恋のあの人がもうすぐ母親になるんだって。なんてゆずの歌詞を何度もリピートして口ずさむ。

*
今日は年度の最後の日。

そんな日にタクシーにのったら運転手さんがこういった。

「今日で私最後の仕事なんですよ、今から帰るところだったんです。お客さんが私のタクシー人生32年間で最後のお客さんです」

集団就職で岩手から東京へでてきて、いろんな職を転々として、30歳でタクシーの運転手になったそうだ。「今日で終わりかと思うとすこしさみしいです、さて明日から何しようかな」なんていってる運転手さんに「おつかれさまでした。気をつけて帰って下さい」と車を降りようとしたら、運転手さんは振り向いて「ありがとうございました」といってくれた。その顔がすごくいい顔だった。

あのやり遂げたぜという満足な笑顔にタクシー人生最後の「ありがとうございました」なんだろうなと思ったら少し胸が熱くなった。

それだけに運転が下手すぎて粗くて、人生最後の客が気持ち悪くなったことだけは悟られないように満面の笑顔でタクシーを最後まで見送った。見送った後なんとも言えない微妙な気持ちでおれっていい奴だなと思った。

*

神楽坂の蕎楽亭という蕎麦屋さん。そうとう美味しいです。麦好きならぜひ一食の価値ありです。2軒目の前にちょっと蕎麦でもってな感じで。

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Title: うなぎ。
2009.03.28


昨夜無性に鰻が食べたくなって、こんなに食べたいならいくしかない。ということでせっかくなのでかねてより行きたかった神楽坂にあるたつみやさんに行ってきた。

いやぁ。ご飯に絡むのはたれではなく鰻自身。絡むという表現がぴったりな柔らかさ。ジョンレノンとオノヨーコが食べに来たという鰻。そしてその頃から継ぎ足し継ぎ足しつかっているという秘伝のたれ。これはうな重の歴史を塗り替えますね。間違いなくまた行きます。ヘビーローテーションでもいいくらいです。

ほんとうまかった。鰻好きの方もそうでない方もあれは一食の価値ありです。

いやしかし神楽坂というのはいい街です。これだけ足を運んでるのに、こんな店をしらなかったなんて・・・こんな店があったなんて・・・ということだらけです。

しかもふと気付いてみれば、最近自分の興味のあることを並べてみると、そのお店が全部神楽坂にはある。器もグラスも、盆栽や骨董屋まで。ひと通りの室礼はここでそろいますよ。それにおいしいお店もおいしいお酒もたくさんあるし。毎日でも通いたいくらいだ。

こうなるとやっぱり自分専用の和室に床の間に、できれば炉がある部屋なんかあったら最高だな。そこで定期的にうまいもの、旬のものをたべる会なんかして。毎日旬のものや室礼に頭を巡らせて、器からその日の食事を決めて、暗くなってきたらお気に入りのグラスで一杯飲み始めるなんていうのんびりとした毎日が過ごせたら幸せだろうなぁ。でも考えてみればうち寺だし、いくらでもできないことないんだよねそういう生活。とかいうと怒られそうだけど・・・でも今にしかできない食材で今にしかできない室礼で、だれかをもてなすことや、今にしっかりと意識をして生きていくということは大事なことだというところで自分を言い聞かせよう。

PS

世の中には白でも黒でもないということがある。白にも黒にも意味はある。世の中には理屈じゃなくて、五感全部使ってはじめてできる判断いうことがあると思う。いつだって論理的に順序だってなくたっていいんだと思う。

迷ってるということは、きっとどこにスポットを当ててもいろんな見方ができたり、どれも間違ってなかったり、どれも正解だったりするからなんだと思う。

南波六太がいってました。グーみたいな奴がいて、パーみたいな奴がいて、チョキみたいな奴がいる。その中で誰が一番強いか知ってる奴いるか?と。

あなかしこあなかしこ。

*

自分は宇宙飛行士にはなれないけど、宇宙の本読んだりナショジオやディスカバリーチャンネルみてたり、NASAにテンションあげて勝手になりきったりして。SONY製品を使ってお茶目だお茶目だといったり。茶人になんてなれないけど、利休の本読んで、やっぱ「わびさび」はなんて適当なこと言って。おいしいもの食べて、おいしいお酒飲んで、たまにハメはずしてはしゃいで。いろんな人と関わっていれば、適当な人生で適当なことばっか言って、基本3割増でも、世の中になんにも残せなかったとしても十分幸せすぎるくらい幸せだからそれ以上を求めるのはやめようと最近つくづく思うことがある。それ以上というかそれ以外のことを。と思う先から、ああでもたまには旅に出たいなとか。バイクもほしいんだ・・・とか・・・欲ってやつは・・・まあつまりなにがいいたいかといえば今に感謝してるということです。

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Title: 筍
2009.03.26


送別会も全部終わって旅立つ人が旅立って一区切り。一区切りはただの節目みたいなもんでいうなれば第2章の始まりみたいなもんだ。

卒業式シーズンのようであちこちで袴姿の人をみかける。しかし卒業って言葉はなんかそれで終わりって感じが嫌だ。足を洗うみたいで。終わりや区切りを決めたがるのは人間の悪い癖だ。自分は卒業したってなんにも卒業なんかしないぜ。いつだって引き続きの真っ最中さ。とかあほみたいなことをいいながらもう30も手前のいいおっさん。

でもいいんだ。だってみんなあれから何十年もたつのに変わったのは周りを取り巻く環境だけで、おれらはなんも変わってないもんね。いいところもわるいところも。ええねんええねん。それでええねん。

そんなことを思いながら靖国神社を散歩して、桜祭りの準備の真っ最中で組み立てかけの縁日を横目に、ちらほらと咲き始めた桜をながめながら、いつものまずいカレーとフランクフルトをたべて練習中の能の舞台をみてきた。

なんかいろんなことに一区切り。少しだけ切り替えの時間をもらおう。これでもすこしうまくなったとはいえこう見えても変化に対応するのには人よりも少しだけ時間がかかるのです。

もうすこし暖かくなってきたら体を動かし始めよう、冬の間に縮こまった心と体を少しづつ伸ばしていこう。夏には伸びきったゴムみたいになるように。

さすがに尾崎のように盗んだバイクでは走りだせないけど、バイクで遠出でもしたらきもちいいだろうな、今年こそ買ったろうかな。ベスパかピアジオの3輪。ほしいなぁ・・・どっかに落ちてないかな1億円。まずは竹藪めぐりでもしようか。

ああ筍くいてぇ。筍。

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Title: WBC
2009.03.24


WBC優勝おめでとう。

やっぱうれしい。日本がこういうところで勝つというのは理屈を抜きにしてうれしい。それと今回WBCを見ていて感じたのは、やっぱ国旗の持つ力というのは強い。なんとなく日の丸というものに対する気持ちの持ち方というのは普通じゃないし、マウンドに他の国の旗を立てられるとなんとなく悔しいなと思う。そのなんだかわからないけど大切にしたいという気持ちこそがナショナリティなんだろうな。そういう気持ちは大切なんだけど、行き過ぎればいいことばかりでもない。いいとか悪いとかじゃないんだきっと。世の中にある答えなのない問題の1つだと思う。

いやぁしかし日本万歳。日の丸万歳。

*

新しいヘッドフォンを買った。ヘッドフォンだけはものもちがいいというか、一個の寿命は結構長い、使用頻度もほぼ毎日だし、もうぼろぼろになったパイオニアのヘッドフォンに別れを告げ新しくSONYにこんにちは。やっぱ音いいわ。こんなに違うもんなんだ・・・とびっくり。

*
靖国の桜が咲いたらしいからまだだいぶフライングだけど月末にはカメラをもって散歩に行こう。3月が終わってそんで4月が来る。それだけなのになんだろうかこのそわそわ感は。嫌だね。大晦日のほうがまだましだ。

いよいよ明日で一区切り。


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Title: 195フィート
2009.03.20

若田さんが宇宙に飛び立ったというのに。あちこちで桜がちらほらと咲き始めたというのに・・・

自分はといえば、突然思い出したかのようにインフルちゃん(B型)がやってきて、完全に持っていかれた。地上62マイルなんかよりもはるか先へ飛ばされたかと思うくらいの高熱で朦朧とする中、若田さんのニュースをみてNASAの特集をみて、いろんな意味で下がらない熱を冷まそうとタミフル漬けの毎日でした。

しかもタミフルをのむ量を間違えて通常の2倍の量を服用していることに、5日分と言われてもらった薬が3日でなくなるまで気付かず。挙句の果てに突然の鼻血まででる始末。

ここ数日ありとあらゆる場所でバイ菌扱いされて、近寄るなといわれて若干人間不信です。自業自得ですが。そんななか唯一自分を癒してくれたのは宇宙への情熱だけです。宇宙兄弟にプラネテスを何度も読み返しました。NASAの特集2回も見ました。心から一度NASAに観光にいこうと思った。それと毛利さんはやっぱかっこいいと思った。

番組の中でNASAの技術者の人が新しいことを成功させる為には今までにあるやり方をしていちゃだめだ。だれもやったことのない方法を探さなくちゃいけない。と言っていた。

それを聞いてふとSONYのRollyが頭をよぎった。普通はよぎらないだろうけど。

やっぱり、NASAってちょっとSONYのと似てる。節々が。正確にはNASAがSONYに似ているのではなくて、SONYがNASAに似ているということになるんだろうけど・・・きっとこれはSONYやNASAに限らず一線の技術者というのは目指しているところや、気持ち的な部分では同じような熱さがあるのかもしれない。

しかしこの年度末、いくらインフルちゃんだとはいえ時間は待ってくれません。仕事の期限も1日1日と迫るし、お彼岸だし。焦る気持ちと裏腹に下がらない熱。ほんとうに自分自身に情けなくなりました。来年は絶対予防接種うけよう。絶対に。

準備不足な上、自らの力を完全に過信して、ほぼ原稿なしのぶっつけ本番で臨んだ2009年春彼岸の法話はここ数年にないぐらい収拾のつかないくらい最悪でした。途中から汗が止まらなくなるくらい。やっぱりなにごとも下準備というのは大事です。ほんとうに嫌というほど自分の身の程を見せつけられましたとさ。

さて。

お彼岸明けまで気持ちを切り替えて頑張ります。

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Title: 明日晴れるかな。
2009.03.14


たくさん笑って。たくさん泣いて。たくさん怒って。

たくさんっていう言葉でしか表現できないくらいたくさんのことがあって、今がどこかでなにかが違ったら変わってしまうものだとしたら、どこも違わないでいいしどこも変えたくない。

くそったれと思うけどありがとうで。

最後に意味はないなんていいながらも、どこかでそこに意味を探そうとする。

湿気をたくさん含んだなまぬるい風に吹かれながら夜風に吹かれてると。

涙には世界を変えるくらいの力があるかもしれないと思う。

自分の中にある大事な部分は、ここ一番でどうしょうもなく頼りにならない。

青臭く泥臭く。

いろんなものを垂れ流して生きよう。

ありがとう。

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Title: プレゼント
2009.03.13

またついうっかり深夜のラーメン。

次の日に後悔するのわかってるのに、ラーメン屋の前で葛藤をはじめると自分の脳みそは驚くくらいのスピードでしかも的確に自分の心を納得させる大義名分を思いつかせる。インテルもびっくりだ。

はやく桜がみたい。

いろんなことがちょうど一段落する頃の開花宣言ということで、今年はほっこり、まったりと上野を散歩しよう。

*

先日ISSの乗組員が脱出用カプセルに避難したとNASAが発表をした。デブリが原因らしい。先月の衛星衝突からでたものかどうかはわからないけど、こういうニュースを聞くとまえにも日記に書いたけど、本当に近い将来ケスラーシンドロームのようなことが起きるんじゃないかと心配になる。宇宙を制するということはもう事実上地球を制するのに等しいわけで、そりゃ各国が躍起になるのもわかる。

人間は長い歴史でおんなじことを繰り返す。

地球が手狭になれば次は宇宙。これを続けていくことに終わりがないのに。与えられたものの中で最大限に幸せになる方法を探すことの方が大切なのに。あるSF漫画の中で、「侵略なんかしなくても、人間はほっておけばいつかは自滅するさ」と宇宙人がいうセリフがある。

地球人の自分でも最近その気持ちがわかるような気がする。

がんばれ地球人。がんばれ人間。がんばれ自分。

*

この時期はあっちこっちに「最後」って言葉があふれてる。

今日も最後のバスの運転をして、最後のバスの送迎をする人がいたので一緒にそのラストランにつきあってバスのコースを回った。そしたらそれぞれのバス停で、子どもの幼稚園生活最後のバスということで、涙ぐむお母さんたちがたくさんいた。

そう思ってもらえる幼稚園でよかった、そう思ってもらえる運転手がいて、そう思ってもらえる先生がいてよかった。

昨日の謝恩会でもたくさんの人に言葉をかけてもらい、ああいろいろとしんどいことたくさんあったけどがんばってよかったなと思ったし、来年もがんばろうと思った。

やっぱり感謝の気持ちをちゃんと形で伝えるっていうのは大切なことだ。たくさんの人からたくさんの想いをもらえて、こういう場面に立ち会えて本当によかった。

最後はやっぱりありがとうだ。

誰かが誰かを想って涙を流す。そういう場面に立ち会うと、人間でよかったなと思う。やっぱ汗臭く泥臭く青臭く。いろんなものにまみれていろんなもの垂れ流して生きていきたいと思う。

*

終わりがあるから人生は素晴らしい。無常だからこそ意味がある。永遠に輝き続けるダイヤモンドよりも、はかなく散る桜のほうがいい。

最後ということについて考えてみるとものすごく深い。最後という言葉のもつ意味やそれを一歩引いてみると最後を感じる自分の心にあるものはやっぱりなにか1つの欲なんだろうな。知恵でなく智慧。そうやってものごとをみるときっと面白いように世界はつながってみえるんだと思う。

*

威風堂々。

*

プレゼントはモノだけじゃない。

プレゼントという言葉を最初に思いついたのが受け取る側の人だったらいいなとなんとなく思った。


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Title: 恩。
2009.03.12

少しづつ、でも確実に日が伸びてる。しかもここんとこの月は最高にいい感じだ。

文字や情報じゃなくて肌で季節を感じるということは、当たり前なのにでもつい忘れがちになる。暦で季節を判断することに慣れすぎるといろんなこともつい知識やマニュアルに照らし合わせてしまいそうになる。

でも春も夏も秋も冬も、常に刻々と変化する中にあるもので、その小さな変化は意識をすればするほど日常のあっちこっちにあふれてる。

お寺にいて最近感じるのは、うちのお寺の場合いつもお花が生けてある。行事の前にはお花の先生にきてもらって生けてもらってるけど、家族は大体、自己流だとしてもそれなりに花を生けることができるし、自分で生けられなくても、なんかこれはおかしいなとか、これは誰が生けたんだろうな、ということぐらいはわかる。

小さいときから当たり前だからあんまり気にしたことなかったけど、気づけばなんとなく季節の花といわれれば大体思い浮かぶし、生けている花をみて、ああもうこんな季節かと感じることもある。

最近利休の本ばっかり読んでるもんで、そういう「しつらえ」とか「もてなし」ということを意識するようになった。

そうおもってみていると床の間にかかっている絵や、しつらえだけで印象はがらりとかわることもあるし、来る人がほっとできたりするんだと思う。そういう細かいところへ意識を張りめぐらすことの大切さを最近感じる。

また自分がどこかへ伺う時もそういう細かなところまで意識を張り巡らせてみる。そうするとほんとに今まで気付かなかったことにはっと気付かされることがある。名のある料亭でもしつらえのおかしいところもあるし、小さな小料理屋でもものすごくきめ細かい配慮がされている店もある。

利休のいう「わびさび」というのはものすごく日本人の利にかなっているなと思う。それと利休のよくいう「わざとらしさ」というものをいかに消すかというのは、茶道だけでなく生きていく上でもものすごく重要なテーマだと思う。

そうだ。

昨日の話の続きで、こないだ各分野でいろいろな仕事をしている人と話す機会があってその時に感じたことがあった。

自分はどんな仕事をしていても、どんなことをすることになっても日本人でいたいと思った。日本人にしかない発想や、日本人にしかない感覚、日本人だけに育まれた心みたいなものに胸をはって仕事がしたいと思った。

島国で育まれた感性は誇るべき財産だと思います。とか強くいうとまたいつもの「お箸を持つ方」ですか、と言われそうですが。

きっといまの時代にはそういう仕事のやり方はうけないのかもしれないし、生き残れないのかもしれないけど、自分はどうしても合理的で理論的な仕事の仕方は合わないと思う。

その辺がお寺育ちのゆるくて甘いところなんだろうけど。でもそういう部分に自分はどっぷりつかって生きていこうと思う。

経済は大事だけど経済だけにスポットを当てるのはほかの人に任せればいいと思った。自分は経済を作る人が笑顔でいられるような仕事をしたいと思う。笑顔でいる人がつくるものが悪いもののはずがないと信じて。

さて。

今日は謝恩会です。

この時期になるといつも思うのが、謝恩会とは恩師に感謝をする会という趣旨だそうですが。でも自分が卒園していく子どもたちにできたことよりも、子どもたちからもらったものを比べたらきっともらったものの方がはるかに多いんだと思う。

そういう意味では感謝したいのはこっちだと本当に思う。

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Title: えびす。
2009.03.11

世の中いろんな仕事をしている人がいる。

それぞれの分野で仕事に誇りをもっている人が増えればきっといい世の中になるんじゃないかと思う。仕事というのはやっぱり自分のためにするものだと思う。

誰かの為、何かの為が先にくるのではなく、自分の為にしていることが結果として誰かの為、何かの為になれれば理想的なんだと思う。そうやって仕事に関わってる人はやっぱり強いと思う。

各分野の一線で活躍している人たちと話をして感じるのはいつもその部分だ。そんでそういう人たちは往々に愚痴よりもビジョンの話で盛り上がる。

そういう人たちを目の当たりにして感じるのは、自分はなにが好きか。どうやって生きていきたいか、どういう人間になりたいかということだ。いうなれば自分の足元を確認というか、立ち位置を確認。

最近思うに自分はせっかちですぐに結果を求めたがるくせに、目に見えないものや、数字に表れないものや、すぐに形にならないものを扱うことは結構好きなのかもしれない。自分がわくわくしたり、苦もなくかかわっていけるのはそういうことなんだということを感じる。

それと何歳でも何者でも、口下手でも何でも、熱は高いところから低いところへ流れる。この法則だけは変わらない。きっと心の温度に沸点はないんだ。

まぁなにはともあれ恵比寿はおしゃれすぎたので、帰り路に少しづつ放屁しながら帰りました。

さて。

謝恩会に卒園式に終業式に送別会。

なんとなく「さようなら」のイベントが続きます。

出会いと別れの季節とはうまいこというもんです。人の幸も不幸も人が出逢うところから始まる。とみつをさんが言ってました。「さようなら」して「はじめまして」小さなことだけどそこで人生が変わる出会いというのはある。そう思えばこの時期はすごく大切だ。

でもしめっぽいのは苦手です。さくっとみんなを送り出したいと思います。

そんでもってお彼岸に突入です。

がんばれ。腰。

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Title: hibari
2009.03.09

匂いというのは重要です。いまうちの外壁の塗り替えをしているので、ペンキの塗装の匂いが部屋中に充満していて、頭がいたくなるくらい臭いです。たったこれだけのことで集中力を欠いて、お彼岸に話したいこともまとまらないことを、すべて匂いのせいにしようとして片づけている今日この頃。

*

信じるとは一言で言うなら期待なんだと思う。さらにいえばそれは希望であり、形をかえた願望でもあると思う。願望とはいいかえれば欲であるわけで、結局はきりがないものなんだと思う。

一度信じた結果になれば次も、次も。それが人間なんじゃないかと思う。どこかでそれを断ち切らなければ信じるも苦しみになる。

信じるということは、自分の中にある模範解答にそれを照らし合わせているにすぎないだけであって、その模範解答を生み出す自分の価値観に依っているにすぎなんだと思う。

信じるを生み出しているのはあくまで自分自身。自分自身の心が、脳が、なにかを補うために生み出している1つの妄想なんだと思う。

いうなれば信じるという言葉で自分の大事な部分、深い部分を覆い隠してるだけであって、信じるなんていうものは本当はどこにも存在してないんだと思う。

きれいに思えるから、それを掲げれば大義名分なようにきこえる言葉というものこそ本当の意味で正しくとらえられなくなってしまうということがある。

正義・愛・希望・信頼

それを生み出しているのはあくまで自分自身。その価値観が絶対正しいなんて保証はどこにもない。そして世の中に変わらないものなんて1つもない。

どんな理由をみつけようとしても、どんな可能性をさがそうとして、自分の手の中にないものを思う通りになんてできないし。ましてやとどめておくなんてことはできない。それが気持ちならなおさらで、それがまぎれもない現実。

仏法の生み出す言葉は時に乱暴で、時にものすごく冷たいように感じることがある。でも思うにそれこそ人間が正しい事実から目をそむけたいだけなんだと思う。

手を離すまでがきっと大変なんだと思う。手を放してみるとたいしたことなくて、むしろ手を放して初めて自分へ、そして人へ本当の意味での温かさを持つことができるんだと思う。自分自身がなにかに対して半身でいるのに、だれかに向き合えるわけがない。自分が正面切ってたってはじめて誰かにもちゃんと向き合えるんだと思う。

ある人が、両手にたくさんのお弁当を抱えてると重くてしょうがないのに、全部食べたら全然重くない。重さは変わらないのにね。おもうに仏法もそうなんじゃないかと思う。といっていた。

ほんとにそうだと思う。

最近、仏教に触れれば触れるほど、その言葉の厳しさというかストレートさに、これをよく初めに思いついたときに人に話してわかってもらえると思ったなと、変なところで仏陀に感心する。

仏陀の話を何人かで集まってすると必ずそこにいる人の中から。人間くさくてもいいじゃないですか、振り回されても、騙されてもそれでも信じても、そういうものが人間なんじゃないですか。

仏陀のいうことは間違いないし、実践できたらすばらしいけど自分には無理です。信じるということが願望でも、それでもそこにすがってしまう自分はどうすればいいんですかね。という意見が必ずと言っていいほどでる。

そこまで聞いてる人が感じてくれれば、そこから親鸞や阿弥陀さんの話ができる。真宗の話ができる。疑問でも肯定でも否定でも、なんでもいい。なにか声をだしてくれればいくらでもそこから深い話ができる。声にするということは大事なことだ。

やっぱり仏法も、真宗も、なにごと宗教というものは生で人と向き合う中で育まれていくものだと思う。お寺というところはそういうところでありたいと思う。

最近、たくさんの若いお坊さんが真剣にがんばっているのをみてすごく刺激になる。自分自身もがんばんなきゃと思うのと同時に、がんばれ仏教。と思う。

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Title: 味わうように毎日を。
2009.03.05


桜の開花予想がでた。

それだけのことで煮詰まった頭の熱がすっとさがったきがする。

ああもう春がそこまで来てるんだなって思ったら、なんとなくあれだけ寒いのは嫌だといってたのに冬が終わることへの寂しさみたいなものもこみあげてくる。

特に今年は桜が咲く頃には別々の道を歩き出す友達がいる。

いままであった何気ない光景がなくなることへの寂しさは、学校を卒業することだけでなく、人生の事あるごとに味わうことだけど、このなんとも言えないお腹のちょっとしたぐらいをぐっと掴まれるような感覚は嫌いじゃないけど、好きにもなれない。

さて今年はどんな気分で桜をみるんだろうか。数週間先の自分の気持ちすらわかんないから人生はおもしろい。

この辺で一回散らかった頭の中と机の上を整理しよう。足元を確認。

味わうように毎日を。

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。