• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 屋久島の旅vol1縄文杉の森


屋久杉に向かう朝。4時起床
5時過ぎには宿をでる。

T山君に登山口までおくってもらいそこでT山君とはバイバイ。
かれは仕事で東京へとんぼ返りだ。

登頂開始6時40分

快調な滑り出し。黙々とながいトロッコ道を上る。

うんこれなら全然いける。

次から次に広がる景色と
スタンドバイミーのラストみたいな
森の中のトロッコ道に感動しながら
鼻歌交じりに快調に足を進める。

登り初めて1時間で小休憩
ここであとどれくらいだろう。
なんてことが思えたのはあまりに
おれがこの登山をなめていた証拠だ。

しかもおれ3枚しか持ってないTシャツの一枚をここで着替えてしまう。

これから先にどんな道のりが待ち受けてるとも知らずに・・・・

そこからトロッコ道を歩くこと2時間半

ついにトロッコ道の終点まで到着。

けっこう疲れてたものの歩き始めて2時間
俺がすごいのかみんなが大げさなのか・・・
これおれめちゃくちゃはやいじゃん!

ゴールまでをしらないくせによくここでそう思えたモノだ。
今思えばバカだった。

ここからは深い森の中に入っていく。

さすが「もののけ姫」の森
そこには重厚で重々しい緑色と
海の底みたいな
体にまとわりつくような静けさがある。

ああここは完全に人間のテリトリーじゃないと素直に思える。
おじゃまさせていただくんだという気持ちになった。

前にも後ろにも人がいなくなって目を閉じていると
現実と非現実の境界がぼやける気がする。

次から次にあらわれる巨木をみていると
日本には昔から八百万の神がいるいう信仰
岩や大木にしめ縄をして手を合わせる信仰心
その境地が素直に了解できる。

信仰に値するだけの存在感
神格化されるだけの威圧感

荘厳でいて厳粛な神懸かり的な存在感が間違いなくそこにはある。

いままでそこに存在した時間すらが
濃厚にまとわりついているようなオーラがある。

人間はいつだって大きい顔をして
我が物顔に生きてるけど

ここでは違う。

ここでは人間はまちがいなくよそ者だ。

そしてそこから歩くこと2時間

縄文杉にたどり着く

正直縄文杉の存在感もさることながら
一番先にわき上がった感情は達成感だ。

いやぁぁぁきたぁぁ!到着だぁ!って気持ちが一番だった。

縄文杉はさすがに何千年も生きてるだけある。
その存在感は半端じゃない。

縄文杉の存在は人間の英知を遙かに越えてる。
芸術の究極のカタチは自然の中にあるんじゃないかとおもったほどだ。
どんなに有名な彫刻家も画家も芸術家も所詮は人間の枠の中にいる。
縄文杉だけじゃなく屋久島にある自然は
人間の英知の枠からおおきくはみ出してると感じた。

そしてそんな縄文杉をみながら食べたおにぎりは最高にうまかった。

いつだって達成感の中で食べるものはなんでもうまい。
運動会のお弁当とかね。

人間の小ささを知ること
人間の限界を知ること

それは同時にその対比の中から
自分の大きさをしっかりと認識するいい機会だと感じた。

人はなにかと自分を対比しないと自分を認識できない生き物だから
どうしょうもないくらいにでかいものと自己を対比するという機会は必要なんだと思う。

いつのまにか我が物顔の人間は人間こそ一番優れていると
人間こそが地球の支配者だと勘違いしてしまっている。

でもそれはちがうって
今回屋久島で思った。

チベットで感じた自然との
共和共存の精神を思い出した。

そして登山は登りよりも下りがきつい。
下りでざっと3時間半

ふくらはぎの裏ぴきぴき

下山終了まで総計約7時間

最後はほんと自分との戦いだった。

出がけに旅館のおばちゃんがくれた黒砂糖は
ほんとうに美味しかった。

帰ってばたんきゅー

本当に深く深くよく眠れた夜だった。

達成感と疲労感が最高に心地よかった。

明日は屋久島一周バイクの旅にでる。

POSTED @ 2005.08.15 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。