Title: 三願転入
三願転入についてまとめるいい機会をはるまげ君にいただいたので、個人的な三願転入の解釈を述べます。
ふざけた解釈ですがポイントはずれてないはずです。本山の人とかがみたらぶん殴られるでしょうか。
まじお釈迦様とかいう人悟っちゃったの!まじでおれも悟りてぇ。修行だ修行!なんなら庭に菩提樹植えちゃうぜ!とりあえず比叡山いこうぜ比叡山。
ここまでが双樹林下往生で19願、経典でいえばここの教えは観無量寿経に書いてあること。
そして数年。
いやでもまじ無理・・・・ってかさ。おれお釈迦様じゃねぇし。シッダルタじゃねぇし。恋とか好きだし。比叡山恋できねぇし。もう比叡山おりちゃうしかねぇ。
ああおりたわいいけど、おれまじダメ人間だわ。ああおれもうたぶん一生苦しむんだわ。おれみたいなダメ人間はもうひきこもるしかねぇ。ひきこもってPSPでもやるしかねぇ。六角堂こもっちゃうぜ。ハァハァ
そこで右往左往としているところに阿弥陀さん登場。
ちょいちょいちょい。救ったろか。おっちゃんが救ったろか。わし阿弥陀いいまんねん。こまったら呼んでみて。10回くらい。あ~みださ~んって。そしたら全部チャラにしたるさかいに。もしそれであんたのこと救えなかったらおれ仏やめちゃうもんね。
ええまじでか!!呼ぶだけでいいんかいな!!ほな呼ぶわ。何なら10回といわずに何回も呼ぶわ。きちがいみたいに呼びまくったんねん。
阿弥陀さんまじあち~呼ぶだけでいいなんてなんていい奴だ!うへへへっへ。極楽はちょういいとこらしいぜ。最高の世界まじいきてぇ。
ここまでが難思往生で20願、極楽は阿弥陀経に書かれてるようなところだと思い描く。
なまんだぶ・・・なまんだぶ・・・なまん・・・だぶ・・・
な・・まん・・・だ・・・・ぶ・・・・
ってかこれまじで?!話うますぎだろ!!こんなんでほんとに救われるのかいな。極楽いけんの?まじで。ってかそんないい世界まじあんの。おかしいなぁ全然うれしくねぇ。
ああ・・・阿弥陀さんがあんなにいってくれてるのに。なんでおれはまたダメなんだ。 これじゃ比叡山おりたときとおなじやんか。ダメ人間ぷりがでてきたわ。
ああおれまじもう救いようない。もうおれあしたからメイド喫茶にこもるわ。阿弥陀さんも信じられないなんてもう救いようがないんだおれ・・・・
そこでニヤニヤしながら阿弥陀さん登場。
ちょいちょいちょい。兄ちゃん。
ほんとあんたダメ人間じゃの。せっかくすくったるっていってんのに。それも信じられんと疑いよってからに。あんたほんまどうしょうもないわ。まじだめ。ダメ人間。
阿弥陀さん・・・そこまでいわんでも・・・
でもな兄ちゃん。
それがな。に・ん・げ・ん
そんで阿弥陀さんが肩に手を回してきて耳元で囁くんですわ。
「兄ちゃん。あとはまかしとき」
かっこいい!しびれる!そこで涙がとまらなくなるんですね。そのツンデレ攻撃にもう骨抜きです。
まじ理屈じゃねぇ。阿弥陀さん!阿弥陀さん!ああ阿弥陀さん!
あっみっだ!あっみっだ!
ここではじめて心から阿弥陀さんの名前が口をついて出るわけです。そしてこうつぶやくわけです。
ああ。あったけぇ。こんなおれなのに。あとはまかしときって・・・まじあったかいなぁ。理屈じゃねぇ。ああ極楽・・・ここにあったわ・・・ああこれに気付かせるために阿弥陀さん、わざとあんなまわりくどいこといったんだ・・・あいつ・・・にくいぜ・・・
これが最後の18願で難思義往生大無量寿経の世界というわけだ。
この流れとこの順序はまさに親鸞のたどってきた道なんだということがよくわかる。 そしてこの20願の存在する意味、そして18願をどううけとめるか。この20→18のつなぎがまさに聖道浄土のかわりめありというすばらしいところだと思います。
三願転入は難しいとこだけど、親鸞になりきって考えてみるとほんと真宗、親鸞にものすごく感情移入できる気がします。
まぁりくつじゃねぇ。
POSTED @ 2009.06.25 |
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