Title: いわずもがな。
北千住で一杯飲んだ帰り道。
路上で歌う二人組がいて。
なんかふと足を止めて、ガードレールに座って聞き入っていたら、
妙にぐっときて、おもわずCDを買ったのです。
「ケセランパセラン」という二人組。
この人たちの曲を聴いていたら思い出す人がいて、
それがなんでなのかわかんないけど、
その理由を探しながら聞き入っているのです。
ひさしぶりに聞いてていろんなもの湧いてくる曲にあったきがした。
なんか、歌うことととか、弾くことがすごく好きで、
たぶん音楽が心底好きなんだろうなとか思える二人で、
そういう気持ちが表にでてるような曲ばかりだなと思った。
響く。
こういう出会いが、いろんなところに落ちているから、生きてるのは楽しいと思う。
*
「いわずもがな」でしょ。
といわれて。
なんか、「いわずもがな」って。
すごい優しいし深いし、時に厳しい言葉だなと思った。
でも「いわずもがな」なんだよ。
*
「借りぐらしのアリエッティ」をみた。
すごいおもしろかった。かなり好きだと思った。
なんかいろいろ思うことがあって、きっとアリエッティだけで、5時間ぐらい話せそうだけど、でも一番ぐっときたのは、それこそ「いわずもがな」なところだと思った。
超えられない壁であったり、滅び行く種族であったり、病気のことであったり、命のことであったり、2人の気持ちであったり。
きっと言葉で表現したら、安っぽくなりそうなところがほとんど言葉で交わされてなくて、でもなにも言葉になっていないのに、そこには「いわずもがな」で成り立つものが確実にあって、そういう曖昧さと、不確かさとか、そういうおぼろげなものが、あちらこちらに落ちていて、なんだろう、一言でいえば、すごい愛おしい映画だなと思った。
壊れやすいものを、壊さないように扱うということは、いつだって人の心を揺さぶるんだと思う。
*
ほしいものとか、手に入れたいものは。
きっとその場所にあるから、自分にとって魅力的で、
きっとその場所にあるから、手に入れたくなるんだろうと思う。
それをこっちに引っ張ってきて、自分のポケットに入れるんじゃなくて。
こっちからそこまでいって、その横に座り込めるような人になれたらいいなと思うことがあって、その魅力的なものを作る環境まで全部に寄り添えるような覚悟のできる人間になりたいと思う。
それには程遠く、器はいつまでたっても大きくならないのだけど。
*
こないだぽかりと時間が開いたので、平日の新宿を徘徊していたのです。
みんながみんな、なにかを見据えてカツカツ歩く中で、ぼんやりと目的も決めずに。
職務質問にだけ気を付けながら(ちなみに今年もう2回されているので)
なんか、ぼけぼけして歩きながら、きっと堕ちようと思ったらどこまでも堕ちれそうな世の中だなと思った。
どこを見ても巧みな意図ばっかりで、こんだけどこかの誰かの考えた、利害や意図にさらされてたら、いろんな感覚とか、麻痺しちゃうんだろうし、そこにどっぷりつかっちゃえば、みるみるうちにおちてって、自分の力で浮上するには深すぎるところまでいっちゃうんだろうなと思った。
弱い人とか、素直な人とか、まっすぐな人とか、そういう人のアイデンティティがあまりにも簡単にお金に変わりすぎる。
でもそれを何とかしたいとかは思わなくて。
人間が人間である以上、この仕組みは変わらないし、戦争もなくならないし、悲しむ人がいなくなる事はなくて、それをなんとかしようとするのは、結局人間をやめるということしかないんだと思う。
だから、自分勝手かもしれないけど、そんな中で生きている自分がどう生きていいけばいいかということだけを考えていたいし、思うとおりに頭も体も使えるようになりたいし、そうやってもがいているうちに死ぬ時がくればそれでいいと思う。
でも願わくば、自分がそうやって生きていく姿勢でどこかに種をまけることが、理想であり願望であって、それは同時に欲望であり自己顕示欲であって自我なんだと思う。
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POSTED @ 2010.09.16 |
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