• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: なつはほよよん。
2009.05.24

夜中のラブレターは翌朝読み返せなんていうけど。

がんばる友達の熱にあてられて、しかもほろ酔いでかく文章はきっとあとから読み返したらあちゃちゃちゃなんだろうけど。でもいいんだそんなことも無視できるくらいいまなめらかに書きたいことがわいてくるから。

どこで道を間違ったんだろう。どっかで道を間違えたわ。そんなことを嘆く人がいて、そんな話をさんざんきいて帰り路にひとりで歩いていておもった。そもそも地図はどこを目指してたんだ。そもそもあんたの地図に目的地は書かれていたのかい。そんなひねくれてることを思いながら夜風に夜風に吹かれていると次から次へいろんなことが湧いてくる。浮かぶんじゃない。湧く。

いろんなことに冷静になってしまったり、ここ一番で感情移入できなかったり、自分てなんで冷たいんだろう、どっか心などになにか問題を抱えているんじゃないだろうか。(そういう人を最近メンヘルというらしいが)そういう話をきいて思ったこと。

物事に冷静でどこか受け止め方によっては冷酷で、ときにどこから物事をみてるのというようなことがあるかもしれない。でもそれっていうのは仏教的にいえば知恵ではなく、智慧でものごとを判断しているということじゃないかと思う。

前に刀愛好家の人と口論になりかけたことがあったけど、そこにある真実を曇らせるもしっかりと光を当てるのも自分自身だ。人間は自分の気持ち次第で空の色だって気温だって変えられてしまうんだ。晴天もどしゃぶりも、そこによいもわるいもないんだよ。

だからなにをもって幸せかなんてことを考えている時間があったもっと自分自身が何が好きなのかを考えたほうがいい。

最近ことごとく言葉や事実の一つ一つを反芻する時間が増えたと思う。言った本人も覚えてないような言葉のちいさな欠片を何度も何度も反芻する。そこにその瞬間込められていたであろう気持ちを反芻する。そうするとおもしろいようにその瞬間には気づけない事実や伏線や、さらには皮肉や比喩まで、たくさんの事実をみつけられることがある。

おもしろいな会話も言葉も、それを生み出す心も環境も。

一瞬で天国にも地獄にもなりうる自分。

うかれるなかれおちこむなかれ。
一寸先は闇。

これバイロンじゃありませんよ。

つねに最悪な事態を想定していることはネガティブなんじゃなくて、最高にポジティブなんだと思う。悪いことばっかり考えちゃうのは、ある意味正解でいいことばかりしか考えられないのは結果としてネガティブなんだと思う。真実は逆説のなかにこそある。

最近、瞬間やタイミングの重要性をものすごく感じる。すべては生ものでわいたときがすべてで、わいたときから1秒後には劣化して風化するんだ。

湧くというのはそういうことだ。その瞬間をいかにとらえるか、その瞬間をどれだけ瞬間冷却するか。それはもう経験と体験からそれぞれが独自に編み出した技術によってしかなりたたない。答えはまさに十人十色だ。その瞬間をとらえることに、劣化しないものを瞬間で固めてしまうために、人は苦悩する。

帰り路の夕焼けをみていて。自分の知っているなに色となに色を混ぜたらあの色をだせるんだろうかと思った。でもその事実を反芻すると、自分が知っている色を混ぜればそれが表現できると思ってしまった自分の浅はかさがそこにあった。

くそったれ。考えれば考えるほど、思えば思うほど、自分はなんもわかんない。なんにもできない。それなのに簡単にしったふりもわかったふりもする。気を抜けばすぐにえらそうなことをいいたがる。抗えど抗えど、どうどうめぐって同じとこ。

今バッハ聴いてるですよ。ありえないと思うでしょ。バッハハ。バッハッハッハ。

「誤解の満艦飾になれ」

この言葉をあれから何度も何度も心でなぞる。なぞればなぞるほど。自分にかけていたもの。自分が苦しんでいたものが浮き彫りになって、そこから自分がなにを恐れて、なにを求めて、なにを目指したかったのかが浮き彫りになった気がする。

なにももたずに生まれてきたからなにももたずに死んでいきたい。0で。ニュートラルで。無理だろうなきっと。

死にたいなどと死に対して希望をするのも、思い通りにしようとするのも違うのはわかりますが。人間ですから理想の死にざまっていうのを思わずにはいられないんですよ。

さてもうねます。

おやすみなさい。

ほよよんっていう響きには夏が込められてるね。すごいいい響き、浮かれ具合がよく表れてると思う。だからぱくります。いただきます。

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Title: 源。
2009.05.20

一日のうちに現実じゃない時間はどれだけあるんだろうか。

いろんなことの切り替えがうまくなってくると、いろんなことに苦しまないように日々を過ごそうと思うと、いままで気にとめていた部分や、深く掘り下げて考えていたところをいい意味で流してしまうという弊害があった。けどそれもうまく調整できるようになってきたと思う。

いままではストレスや負荷の中から生まれてくる言葉や考えとか、自分の中から飽和したように表現されたものはどちらかといえば負から生み出されたものが多かったと思う。負から生まれたものは、限りなく陽であって、いろんなものを払しょくしようとする力が込められていたんだと思う。

でもそうやって言葉や思考を深めていこうとすると、どこかにひずみが出るんだと思う。言葉も気づきも、そういうことが必ずしも体に負荷をかけていると思っていたし、実際にかかっていたから。そこで自己防衛的に、苦しむことをやめようとすると、いままでの自分はそこからなんにも生まれなかった。

でも言葉やいろんなことがおもいつかない自分が長く続くとそこにフラストレーションやジレンマが生まれる。そうやっていろんなバランスを保つためにいつも現実とそうじゃないところを行ったり来たりふらふらしてきたんじゃないかと思う。

でもいまはそれがうまい具合にバランスがとれるようになってきたし、なによりも言葉や考えの生まれてくる源が変わったと思う。おんなじ言葉や考えなのに生まれてくる場所が変わるだけでこんなにも違うものなのかと思う。微妙な表現だけど、違うんだあきらかに。負でも陽でもない。上でも下でも右でも左でもない。いうなればどこでもないところだ。

十年前の自分、去年の自分の自分といまの自分は思考の順序も、根本も、自分を支えるものも違う。いまのほうがずっとしなやかだと思う。

その違いはささいなことなのかもしれないけど、アームストロング船長の言葉を借りるなら、この一歩は小さな一歩だが、自分にとっては偉大な一歩だ。


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Title: りかい。
2009.05.17

自分が知っていると思う。理解してると思う。そういうものしか手元におけないことよりも、知らないと思うもの、理解できないと思うものを手元に置いておく方が思慮深く満たされた感覚を知ることができるのではないかと思う。

理解していると理解していないの間にあるもののほとんどは誤解であり、希望であり、自分の生み出した一面でしかないわけで、知っていると思うことよりも知らないと思えることの方が幸せなんだと思う。

人間が本当に必要なのはよくもわるくも満たされるということ。悲しみでもいい喜びでもいい。少しづつたまったものが飽和してあふれだすくらいに満たされるという感覚が人の本当に深い部分を支えている。

知っていることのどれだけを自分が正しく知っているかなんて議論は浜辺にある砂の数はいくつあるかというような議論にしか過ぎないと思う。

理解とはただの整列であり規則性にしかすぎない。いうなれば記号化された自分の範疇であり、あくまでその深さと視野は比例する。

整列されて規則的にならんでいるものの中では万が一にでも生まれないものがある。ちりばめられて乱雑で不規則な中にこそ偶然にも最高の美があるように。人が意図して生みだそうとするときに生まれるものの美しさは、意図しないところに生まれる何万分の1の奇跡には問うに及ばない。

すべては後付けなんだ。心を動かすものはすべて。

満たされてあふれでて、いかようにもならない何かを表現したもの。混沌としていて理解もできなくて、具現化できないものの一片が奇跡的に削りだされたものに人は意味をのせる。


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Title: 満艦飾
2009.05.09

「誤解の満艦飾になれ」

岡本太郎の言葉だそうだ。すごい言葉だな。一瞬で心を持っていかれる言葉、想い。そういうものがあるんだなぁと改めて気付かされる。

人間は誤解されたくない。誤解されると思えば苦しい。ちゃんと自分をみてほしいと思う。

でもだれにも誤解されずに生きていくなんてことはできない。だれにも誤解されてないなって思ってもそれは勘違いしてるだけかもしれない。

むしろ自分はここ数年間の苦しみの多くは誤解だったり誤解を避けようとするところにあったと思う。そうじゃないないのに。なんで伝わらないんだろうとか。こう思われたくないなとか。こう思ってもらえるようにしなきゃとか。

でもそんなもちゃもちゃした葛藤や苦しみを捨てる。

自分の人生を生きよう。

そうしたら誤解はきっと勲章になるんだ。誤解をたくさん掲げて大漁旗のように。自分の人生を楽しみ尽くしてやろうじゃないか。誤解されてなんぼじゃないか。

他人に耳貸さずわが道をいこうというのではない。正面切って後悔のないようにいきよう。衝突を恐れず進んでいこうってなもんだ。

誤解は勲章。

うっしし。

昨日は決算ということもあってお金のことでいろいろと考えることがあった。でも最後は、自分は自分に与えられた環境の中でいかに楽しめるか。いかに楽しいことだけしていられるかでいいんだ。

楽しいはたくさんのものを生みだす。たくさんのことを創りだす。たくさんの人を繋げてくれる。

自分のすべての原動力はそれだ。楽しいことしてて不幸になるわけないと思う。

でも楽しむは楽したら駄目だし、一人じゃ駄目だし。視野が狭くても駄目だ。先も読めなきゃだし。

楽しむために必要なものをたくさん抱えようと思ったらやらなくちゃいけないことはたくさんあるし、自分自身にしっかり目を向けなきゃなんないし、なによりもたくさん頭と体をつかわなくちゃだめなんだと思う。

この年になって最近つくづく感じる。誰かに楽しませてもらおうと思ってるうちは、本当にたのしいことになんて出会えないと思う。

楽しいは自分で生み出すもんだ。

子どもたちが公園であんなに楽しそうな顔ができるのは、なんにもなくても。だれかやなにかに楽しませてもらおうと思ってないからなんだと思う。

感性は絶対に裏切らない。

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Title: てんがてんが。
2009.05.04

ロックはやっぱり優しい。

むき出しなのが優しい。

くさいものにふたをしないのが優しい。

まわりくどくないから優しい。

こんな夜に君にのれないなんて。

こんな夜に発射できないなんて。

夢を忘れずに。

ありがとうきょうしろう。

*

合理的はいつだってとてもいいことのように使われるけど。

それは時と場合によるわけで。

合理的じゃないほうが魅力的で心が通ってるものがたくさんある。

*

男女平等だと声高に叫ぶ人たちがいるけど。

男にしか女にしか楽しめないことや味わえないことがたくさんある。

そもそも世界中に平等なんてことは1つもないのに。

*

一瞬に。

いまここに。

どれだけの気持ちをのせられるか。

後先考えずにその瞬間にわきあがった気持ちをどれだけ摩擦なく表に出せるか。

必要なのは強い信念。

*

ほしたてのふとんの匂いににかんじる幸せ。

そういう小さな幸せがここ一番で自分のことを支えてくれてるんだと思う。

*

水掛け論は打破できるのか否か。

水掛け論だなといって平行線になってしまうような議論を打破する言葉。

打破する想い。

打破する力というのは必ずあるんだと思う。

とくに宗教をとりあげて議論をしていると往々にして水掛け論になってしまうことが多い。

お互いその立場にはなれないから。

でもそんな価値観をぶったぎるような。水掛け論を一蹴できるような力は。

今の自分にはまだないけど。

でもいつか必ずみつける。

*

最近顕著に自分の趣味が変わったなと思うのが。

直線よりも曲線がすきだ。

直線的なものよりも曲線的なもので。

左右対称よりも非対称のものがすきだ。

半分にできないものがすきだ。

いままではそれがもやもやしていて嫌だったのに。きっとそれは割り切れることが正解だと思い込んでいたからなんだ。

*

ひさびさに村上春樹を読んだけど、やっぱ好きだなぁ。このどろっとしたもやっとしたなんか生暖かいような。飲み物でいうならカルアミルクみたいな感じにたまらなくどっぷりと浸かる。

*

人間はストレスを受けないと進化できない生き物だというのは本当にそのとおりだと思った。心や身体ををなにかから防衛しようとしてはじめて今までなかった何かを生み出すんだ。

*

まぶしすぎる太陽はたくさんの人を照らすのと同時に深い影を落とす。

それはきっても切り離せない事実で。どちらかだけに価値がるなんてことじゃない。

どちらにも大切な意味がある。

*

人のブログを読んで。その言葉に。その感性に一瞬で惹きこまれる時がある。

言葉の力はすごい。

そういう瞬間に出遭うとむふふと思う。

たまらなくなにかがお腹の底からわいてくるような気持ちになる。

*

完璧なことは魅力じゃない。
魅力はいいかえれば欠陥だ。


*

いまの旬はなんだろう。

それをどうやってだれとたべようか。

どの皿に盛りつけようか。

どのグラスでどの酒をだそうか。

いまの季節の花はなんだろう。

花鳥風月に想いをめぐらせる。

そういう毎日をいつかおくりたい。

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。