• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: たまいれ。

クラスの中にあきらかに身体能力の劣る子がいる。

その子のせいでそのクラスはリレーも一度も勝てない。なにをしても、その子が足を引っ張ってしまう。

そうすると、周りの子どもたちは、あのクラスはあの子がいるから勝てないんだよと口々に言う。

これを一生懸命がんばったからみんな1番だよとか!それでもみんなはがんばるんだよ!1番よりも大事なことはあるよ!とかいうべきなのか悩んでしまう自分がいる。

自分はそうはいいたくない。

子どもだって5歳にもなれば、誰のせいで負けているのかも、自分たちのクラスがなぜ勝てないのかだってわかるし、できる子だって自分がいくら頑張っても報われないことへのいら立ちや、ぶつけようのない思いを抱えているわけで。

それを無視してでも、ナンバーワンよりオンリーワンだよということは違うと思う。

頭じゃなく心で理解できなきゃ子どもにはなにも伝わらない。それが子どものデメリットであり、メリットでもあるんだと思う。

子どもの心は大人よりも、ストレートでまっすぐな分、ときに残酷でもある。でもそれを残酷だと感じるのは大人のエゴなんだと思う。

そういう感情が湧くことはもう仕方がないことだと思う。

大人になると、そういうことを包み隠して、覆い隠して、表面ばかりの道徳を指針と進んでいく、残酷なことを表に出さないようにして。

でも道徳で習うような世界は、この世の中に一握りしかなくて、大抵の人は、そんなのどこにも見当たらないような世界で生きている。

そのギャップが生み出すのが心の歪なんだと思う。

子どもの感性がのびのびしているのは、まだそのギャップにさらされてないからなんだろうと思う。

今自分が幼児教育にかかわる中で子どもたちに伝えたいのは、勝てないのは勝てないのでしかたない。そこで悔しかったり、悲しかったり、誰かのせいにしたり、なんでいつもこうなんだとか絶望したりしてもいい、誰かを恨んでもいい。

でもその気持ちを感じている自分をちゃんと見つめてほしいし、自分の中に沸いた感情に飲み込まれたりしないでほしいということだ。

誰かのせいにしてもいい、でも誰かのせいにしている自分がそこにいるよ。と知ってほしい。

なんかうまく表現できないけど。

子どもの中に素直に湧いた感情を否定することはしたくない、それよりも、その感情の矛先からしっかりと目を背けないような人になってほしいと思う。

これが自分の中にある理想論、でもこれを現場に落としていくとなると大変なことだ。

理想を掲げれば掲げるほど、そこに伴わせなければいけない技術や感性や、伝える力や、自分の中にあるものをもっともっと底上げしなきゃならないと思う。

POSTED @ 2010.10.08 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。