Title: 柔軟でいて強い心
世の中には理想と現実というモノがある。
理想の仕事、理想の彼女、理想の生き方。
どんなことだって人はそのギャップに悩んだり、失望したり、あるいは自分を奮い立たせたりするんだと思う。
幼稚園を始めてからもずっとそれは頭の中にある。とくに教育の中で理想ってのは重要な意味を持つ。でもそこには同時に経営という現実もある。だからこの問題はしょっしゅうおれを悩ませる要素だ。
今日もいつものように理想と現実の間でもちゃもちゃと考え事をしていたらふと思ったことがある。
理想と現実ってのは、どちらも片方ではなりたたないんだってこと。どちらかが消えたらそこで終わりなんだと思うし、どちらか片方では前にも進めない。2つで1つなんだ。
そしてそれを切り離さないようにすることが理想を現実に変えるんだと思う。
理想や夢のない人がいたとして、夢や理想を見つけることができたらまずそれは第1段階のステップを上ったことになる。
つぎにそれを心の中でしっかりと温めて明確なカタチに育てることができたら第2段階になる。
でも多くの人はここまでの段階で終わってしまうんだと思う。せっかくカタチになった理想や夢を、いつまでも夢を見てられないとか、もう大人だからとかいってみたりしながらいやおうのない現実に飲み込まれる。
もがいてみたり旅に出てみたり、夢を語ったりしても現実がついてこなけりゃ夢は語り続けられない。だから現実を受け入れる。
はやくもここで多くの人の理想と現実は切り離される。大抵ここで理想はあくまで理想。現実はあくまで現実。全くの別のモノになっちゃうんだ。
だから次のステップに進めるのは限られた人だけだ、つぎのステップは理想をかなえるために自分が何をすればいいのかをしっかり見据えるとことだと思う。漠然とじゃなく、次の一歩をどこに出すかを逃げ出さずにしっかり見極めることで第3段階になる。
彼らのなかではまだまだ理想と現実がしっかりくっついてる。
ここまでいけたらたいしたもんだ。
でもここから急にハードルは高くなる。
第4段階は実際に足を踏み出すことだ。理想に向かって現実が動き出す。そこに向かう一歩を踏み出せる人ってのは
ホントに限られた人間だけだ。
おれの知る友達の中でここに行き着いてると思える人は1人だけだ。
きっとここまでいける人は、今持ってる理想が失敗してもつぎに向かってまた進み出せる人だと思う。
さらにこの次のステップ。
この上のステップは
現実の為に理想を妥協できる
理想のために現実を妥協できる
ことだと思う。
理想を掲げる限り必ず現実とぶつかる時がある。その時に現実を柔軟に変化させることができて、現実のためには理想のカタチをいくらでも変えられるってことだ。
そのためにはしっかりした芯が必要になる。
でもここまで自分の力で行きついた人多くの人は自分が積み上げてきた理想とか、こだわりとかそういうものにプライドもある。理想にプライドはつきものだ。そのプライドに押し負けて現実を受け入れられなくときがある。
これが受け入れられないならやってても意味がないっていってかたくなに理想を貫いて、それでも譲れないモノが現実に受け入れられない時に潔くあきらめる。
作家でいえば筆を置くときだ。
これを美学とする風習が日本にはあるし、散り際は潔くってのはおれもすごくわかる。
でもそれじゃ結局理想と現実は別々だ。
切り離されてそれで終わり。
腹を切っても世界は変わらない。
ただそこで終わってしまうだけだ。
時にあの人は変わったとか、昔の方がよかったとか、裏切り者といわれても現実に折り合いをつけてでも見据えた先にしっかり進むことができる人。
そして時にゆずれない部分があるときに、時代遅れだと言われても、理解できないていわれても、立ち止まってでもそこに踏みとどまれる人。
そういう想いこそがなにかを動かせるくらいの理想であったり、なにか変えられる夢なんだと思う。
おれは理想を語るだけの人にはなりたくないし
理想を忘れて現実だけでは生きてはいくつもりもない。
現実を忘れた理想主義者にも理想をわすれた現実主義者も
結局はなにもできない。
柔軟でいて強い心こそが理想を夢をかなえる。
理想をかなえるということはなかなか難しい。
POSTED @ 2005.10.16 |
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