• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 11月1日
2007.10.31

さて今日は長い一日になりそうです。

ほんとなんとなく感慨深いです。

思い起こせばおれが幼稚園にはいったのはもう約5年前。

その頃うちの幼稚園の園児数は150台をいったりきたりしてました。

そのときに自分の中で目標をたてました。

5年で200人。

それから

丸5年が過ぎました。

明日は来年度の新入園児の受付ですが。明日の8時の受付の為に今夜から並ぶ人がいるそうです。

おそらく来年は230名を越える子どもたちを預かることになるとおもいます。

ありがたいことです。

なので今日の出勤はPM10時で夜通しその対応をします。

うれしい悲鳴ですが。少なくとも30名近い人を断らなければいけないかと思うとものすごく心苦しいです。

全国どこの幼稚園でもそうだと思うけど。

11月1日というのは一年間の評価が数字になって出る日です。
正直9月くらいからずっとそわそわしっぱなしでしたが。

今年はほんと安心感と充実感で迎えられそうです。

大変なのはこれからですが。

人数が増えればそれだけ求められるものも高くなります。それを維持するのは人数を増やすことよりも大変だと思います。

勝って兜の緒を締めよという言葉は大好きです。

まえにまえに。

ここ数年けっこうがんばったもんね。

みんな。

よく幼稚園は人数がすべてじゃないといいますが、たしかにそれはわかります。

理想と現実の折り合いです。

自分の中で理想的な幼稚園が必ずしも人を集められる幼稚園かというとそうではありません。

でもやっぱり自分の仕事は。

この場所をなくさないことで。

ここから一人も残念な気持ちがする人をださないことです。

きっとその折り合いを完全につけて理想をかかげて周りを牽引しても評価に結び付けられるようになるまであと20年はかかると思います。

その年になったときそういう自分になれるように。今の自分にできることを一つづつ片付けていきたいとおもいます。

さて今夜はがんばります。

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Title: へそ曲がり。
2007.10.30

最近読んでいるブログの一つに。

「ほぼ日刊イトイ新聞」というのがあります。

サイトの作りもさることながら、文章の端々からも糸井さんのほんわかとあたたかい雰囲気とユーモアと遊び心が垣間見えます。

ちなみにそこで売ってる。

谷川俊太郎質問箱という本はお勧めの一冊です。ここ最近では一押しです。ユーモアがあるということはこういうことなんだな。と素直に納得できますよ。

ユーモアのある人になりたいなぁ。

おもしろい人じゃなく。

わらいのとれる人じゃなく。

ユーモアのある人にあこがれます。

でも思うに。

ユーモアのある人ってのは。

ある意味へそ曲がりなんだと思います。

説得力のあるへそ曲がりなんだと思います。

人間は

ちょっとくらいへそ曲がりで

ちょっとくらいマイペースなほうが。

愛らしいんじゃないですかね。

人っぽくて。

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Title: 恩は因に心と書きます。
2007.10.29

時期はずれの台風が通り過ぎて台風一過の昨日。寺に金光寿郎さんがきました。

知らない人はまったく知らないと思いますが。NHKで宗教の時間というテレビをやっているかたです。

その先生が講演を終えて控え室で休憩されていたので挨拶に行きそこですこし話をさせてもらいました。

その先生はお弁当を食べながら唐突にこんな話をしてくれました。

私の知り合いの方で旅行をされるのが大好きな方がいます。
その方がおっしゃってたのですが。

その方はお弁当が大好きでいろんな種類のお弁当をたくさん抱えて船に乗るそうです。

その時にお弁当を両手に一杯たくさん抱えて歩いていると重くてしょうがない。

でもそれを全部食べておなかに入れてしまうと、同じ重さなのに全然気にならないしまったく重いなんて感じないんですよね。

・・・・・・・

あまりに唐突だったので。

おもわず。はぁ。

たしかにそうですね。

としかいえませんでした。

すると先生は

きっと宗教も同じなんですよ。

といいました。

頭であれだこれだ。両手に本を抱えているうちは重たくてしょうがないんですね。

でもおなかに入れちゃえば全然なんてことない。

簡単なことなんです。

ほんとにそのとおりだと思いました。最近自分で感じていたこととものすごく同じだったのでものすごく素直にその言葉が入ってくる気がしました。

感覚的にとしか言いようがないけど。

これが「理解する」と「わかる」の違いなんだと思います。

恩とは因に心とかきます。

因は大切です。

まえにまえに。

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Title: なにを生業に。
2007.10.28

生業という言葉かっこよくないですか。

共栄ジムの金平会長が会見で使っていましたが。

生業というのはかっこいいなぁ。

こんどから誰かにお仕事は?

ときくのではなく。

生業は?

と聞いてみようか。

ちなみに。

もし誰かに生業はなんですか?

と聞かれたらそれだけできっとその人と友達になれそうな気がする。
おもしろいしかっこいいもんね。

そんでおれはまじめな顔でこう答えよう。

そうです。

と。

そしたらきっと、いやいやそうですじゃなくて、なにを生業にされているんですか。

ってかえしてくるだろうから。

だからそうですって。

いやいや。

生業って仕事のことですよ。

っていってきたら。

だから僧です。

といってやろう。

僧なんですか。

はいそうです。

あ~くだらな。

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Title: 千鳥足。
2007.10.27

千鳥足で家に帰る。

そういうときはたいてい歩けるところまで歩きます。

小雨降る夜に千鳥足でひとけのないビジネス街を歩き思ったこと。

明日がくるのと同じくらいの確立っていうのはどのくらいの確立なんでしょうか。

50%ですか。

100%ですか。

明日がくる確立が50%を超えるなら。

それはものすごく幸せなことなんではないでしょうか。

生を2杯に黒甕ロックを4杯に克を3杯に晴耕雨読を2杯にダメ押しでマッカランの12年を3杯のんでます。

まだ数が数えられるのと記憶が鮮明なことがせめてものすくいです。

ジェニファー山田さん。おやすみなさい。

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Title: おれは不審者ですか。
2007.10.26

朝晩の寒さが本格的になってきてさすがにそろそろ寝るときには服を着たほうがいいんじゃないかと思い始めた今日この頃。

ほんとにおもしろいくらい寒さに比例して外に出るのがおっくうになってくる。

でもそんな自分にまけないように夜な夜な町を徘徊してます。サッカーボールを持って。

ちなみに昨日。

22時頃ちかくの公園でボールを蹴ろうと住宅街をさっそうと抜けてはしっていると少し前を自転車で若い女の人が走っていました。

しばらくしておれの走るスピードと彼女のこぐ自転車のスピードがシンクロしました。

ちょうどおれの少し前を自転車の女の人が走ってます。

その少し後ろをおれが走っています。

その距離はつかず離れずいい距離を保っていました。

次の瞬間。

その女の人が振り向いて。

おれの顔を確認してものすごい勢いでたちこぎしてその場を去っていきました。

・・・・・・・・・

あれ。

なんかおれ。

不審者っぽい。。。。

えもいわれない虚無感と若干の腹立たしさを覚えましたが。

でもこんな現代ですから。

それくらいの自己防衛意識は必要ですよ。

思わず立ち止まって髪型を直したりしてみましたが。

どうやら髪型だけの問題ではないようです。

そんな自分を鼓舞するために家に帰ってから

「あなたと合体したい」というキャッチコピーでおなじみのCMで流れている。

1万年と2千年前からあいしてる♪

の曲を勢いでダウンロードして聴きました。

そしたら。

まぁまぁでした。

不完全燃焼な一日です。

そういえば。

灯油のストーブには一酸化炭素中毒を防ぐために不完全燃焼防止装置というのがついているそうですが。

おれにもつけてほしいです。

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Title: 昭和時代ですがなにか。
2007.10.25

最近では昭和のことを昭和時代というらしいです。

普通に明治時代とか大正時代とか同じ並びで昭和時代。

そう聞くとなんかいきなり古い時代の人になったような気がします。

最近の子はスマップが6人だったのも知らないんだろうな。今度平成生まれの子にあったら教えてあげよう。森君ってのがいたんだよスマップには。

いま東京モーターショウが開かれてるけどそこに出展されている車をみるとまさにAKIRAでマサルが乗っていたような車とか、アトムにでてきそうな車とか間違いなくあの頃想像した未来はそこまできてるんだなと感じます。

物理学者のウィリーガロンは

「人が空想できる全ての出来事は起こりうる現実である」

といったそうです。

そのとおりだと思います。


一流の選手ほどよく「イメージ」という言葉を口にする。

イメージもできないものが実現できるわけないしね。

はっきりとしたイメージを想像することが何よりも大切。


明日の自分。

来年の自分。

5年後。

10年後。

想像したら実現できるかもしれないなら。

想像しなきゃ損でしょ。

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Title: 冬眠はしません。
2007.10.24

冬はいやおうなしに新陳代謝が悪くなるから、うっかりしてるとすぐに太っちゃう。

だから無駄にカロリーとるのやめよう。運動しよう。と堅く決意をすればするほど。

DNAに刻まれた太古の記憶が冬篭りの準備をさせようと脳をハッキングしてくる。

皮下脂肪をつけなさい。

ごろごろしたらいいじゃん。

炭水化物はおいしいよ。

でもここで。

うん。

食欲の秋だもんね。

冬篭りにさからったらだめだよ。人間も動物だもん。

なんて思ってしまったら負けです。

負けはいやです。

ロッキーでもみて自分を鼓舞させようと思います。

しかし最近月がきれいですよ。

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Title: 隣に風の又三郎がいます。
2007.10.23

毎年書いてるような気がしますが。

この時期は一年のうちで最も自殺者の少ない時期だそうです。この時期の空の色は人を落ちつける作用があるそうです。

そんな秋空の下にもかかわらず、最近なんか妙に自分の限界に挑戦したくなります。限界っていったってたわいもない自分ルールの中で行われる豆粒のような挑戦ばかりですが。

でもやたら自分に挑戦したくなります。

どうやらまだ風の又三郎はおれと遊びたがっているようです。

今日幼稚園で子どもに。

「先生なんで目は黒いの?」

と問われました。

あんなに谷川さんの本を読んでるのに気の利いた答えが浮かびませんでした。

なので今日はしばらくそのことについて考えてみたと思います。

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Title: 法縁
2007.10.22

自分の中で一つ答えが出たので、やっと文章にできる気がします。

すこし前に身近な人が亡くなりました。

身近っていっても実は名前も顔も知りません。

でも間違いなく自分の手の届くところにいる人でした。

mixiとは別にもう1つGREEというのをやってます。

その中で 6月くらいに突然メッセージをもらいました。日記を見てくれてそれに対するコメントと感想がすごく丁寧な言葉でかかれていていました。

その人は48歳の女の人で病気で入退院を繰り返しているそうでした。日記を読むととても前向きで明るくてとても入退院をしてるなんて思えないくらいのエネルギーがある人だなって感じるくらいでした。

はじめは読んだ本のこととか、日常のこととか、娘さんの話とかそんな短いメールをやりとりしてました。

ちょうどお盆の時期に自分の家がお寺であることを伝えたら長いメールがきました。

そこには

元気がうらやましい。私もパワーもらいたいです。病気と無縁な生き方ができるようにしたいです。

与えられた課題が何か。どんな時も冷静に考えるのはつらい時もある。まして体がつらい時は自分の事でいっぱいいっぱいで。この世に生まれてきたのは修行のため?楽しむため?RYOさんはどう思いますか?お寺さん的には死後はお釈迦様の所に行くのですか?

こんなことが書かれていました。

このメールをもらって正直自分がなにを伝えられるんだろうと思ったしなにをどう伝えようかものすごく迷ったけどものすごく時間をかけて自分にできる限りの気持ちで返事を書きました。

最後にちゃんと伝えられたかわかりませんがもっと勉強してしっかりと伝えられるようになったらまたメールしますと書きました。

そのメールにその人は

私も今をしっかり受け止めて感謝していきたいな。
生きている不思議死んでいく不思議 。

という一文とともに

でも何が何でも死にたくないと言う強い信念は絶対必要です。

と書かれていました。

おれが書いたことは死んだら極楽にいけますよとか。いまに意味はありますよ。なんてことは書きませんでした。

一言で言えばいかに今をみつめるか。いかに今を生きるかということを書きました。どちらかといえば抗うことよりも受け入れることを伝えました。おれがいうのもおこがましいのはわかってます。でも自分の思う限り感じてきた限り、少なくとも人の生死に近いところで27年間育ってきて感じたことを伝えました。

正直自分の伝えたいことがしっかりと伝えられたのか。伝えるべきことはあってたのかものすごく気になったし、なによりも文字でなにかを伝えるということはものすごく怖いことだと感じました。

そんなやりとりがあってそれからもたまにたわいもないことでメールをやりとりしていました。

そしてつい先日その人の日記が更新されました。

題名には「娘です」と書かれていました。

本日、10月16日
10時22分

お母さんは亡くなりました。
たったさっきのことです。


私は母に頼まれた訳でもないのですが
たまたま一昨日、危篤状態の時に母の携帯をかまったところ
グリーをやっていることを発見しました

みなさんからの励ましのコメントも見れない状態になった母は、

もうすぐ最後だから…
と声にならない声でしゃべっていました。
私はみなさんからの励ましのコメントをお母さんに一言ずつ伝えてあげるべきだったのでしょうか。

お母さんは私に
「大好きだよ」と言ってくれました。

多分皆様のことも大好きでしょう。

母の日記、前向きな姿勢にはとても関心しました。

皆様も病気に負けずに頑張って下さい。

お母さんも何よりもそれを思っているはずです。


また更新しますー…


お母さんは笑っています。
きっと天国から家族をはじめ、皆様に向けての笑顔だと思っております。

この日記を読んで。

いままでやりとりをしたメールを読み返してみました。

読んでみてものすごく後悔しました。自分の手の届くところにいて少なくとも自分になにかを求めてくれた人に自分はなにかを伝えられたのかとか。そのメールで少しでもその人が楽になれたのかとか。

自分で送ったメールを何度も読み返したけどいま思うにあの時その人が聞きたかったことはおれの書いたことではなかったような気がしてなりませんでした。

宗教というものを扱うというのはものすごくジレンマの中に立たされることがあります。

その人の求めてるものが必ずしも教えや教学にはかかれていなくてもそれを言葉にして伝えてもいいんだろうか。 死に際してその人が信じているものにそれは違いますよと伝えることが必ずしも正しいとは限らないんじゃないだろうか。

きっとあの時。

死んだら極楽にいけますよ。

でも生きることには大切な意味があります。
死にたくない!って強い気持ちでいないとだめですよ。

がんばってください!!!

というべきだったのかもしれないと感じたし、ものすごく自分の無力さに悲しくなるし、本当にこのままでいいんだろうかと感じた。手の届くところにいる人だけでもなんていいながら本当は自分の手の届くところにいる人さえ守っていけないのかもしれないと思った。

自分が伝えた言葉でその人がすこしでも楽になれるなら、その時を救えるならそれはそれで大切なことかもしれないと思った。

そのときにその人にあう言葉を選んで伝えられる力がもっとほしいと思った。


この文章。ここより前はその当日に書いたものでここで終わっていました。

その日からいろいろ考えました。

ここから先はそれから感じたことです。

自分の伝えたかったことのどれくらいがその人に伝わったかどうかはわかりません。 でも自分の答えたことは自分がいままで感じた仏教、宗教のすべてです。

きっとあそこでおれが自分の判断で極楽にいけますよといって。
生きることに意味はあります。強く生きたいと思っていれば大丈夫です。

がんばってください!!

といってしまったら。

きっと新興宗教とかわらなくなってしまうし、なによりもおれの言葉でその瞬間を救えてもきっとそれは救われたことにはならないんだと思います。

自灯明法灯明という言葉があります。

自らをともし火とし法をよりどころとする。

自分にはだれかを救える力はありません。一瞬でも自分の言葉で誰かを救おうなんてことを考えてしまった自分はなにもわかってなかったと思いました。

自分にできることは立ち止まらないこと

たくさんのことを感じること

自分の生き方をしっかりと法や知識と照らしあわせて非僧非俗の立ち位置を忘れないことだと思いました。

とまったらそれで終わりなんですよ。

この法縁を大切にします。

前に前に。

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Title: こめる。
2007.10.19

たまに書きたくて書きたくてどうしょうもない衝動にかられて体中に溜まってるものをこそげ落とすみたいに文字が次から次に湧き上がってくることがある。

これも一種の自慰行為なんだろうな。

書くことは気持ちいい。

長風呂したときみたいな。ブートキャンプしたときみたいな。おもいっきり走ったときみたいな。大晦日みたいな気持ちになる。

だれもわかりようもないような自分だけの感覚が好き。

紡ぐことは。

晒すことで。

逃避することでもあり。

鼓舞することでもあり。

痛みでもある。

最近なんかやっと崩すという感覚を楽しめるようになったかもしれない。

感覚を崩す。

文字を崩す。

文章を崩す。

あえて。

ここまででやめとく。

あえて馬鹿みたいな表現する。

そこになにかを込めたり。

祈ったり。

隠したりする。

そういう遊びがたまらなくたのしくて。

それに気づいてくれる人が

世界に一人でもいるかとおもうと。

わくわくする。

世界中の感覚が

ぜんぶすきだ。

世界中の全部に祈りを込めて。

世界中の全部に願いを込める。

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Title: 天高く馬肥ゆる
2007.10.16

■感覚の再構築

楽しいとか。癒されるとか。好きとか。嫌いとか。気持ちいいとか。会いたいとか。愛おしいとか。

とりあえず27年で当たり前にあった感覚が突然違うものみたいに、新しい感覚みたいなることがある。

ああ。なるほど。いままでこれを好きとか思ってたけどいままでのはそうでもなかったなとか。ああ。気持ちいいってことはこういうことかとか。

たかが27年で得たものがそれで正しいなんてことはないんだと思った。

頭じゃないんだね最後は。

心や想いがのってはじめてわかることがまだまだたくさんある。

おれの中に完成されたものは何一つない。ぜんぶ疑わしいものだらけだ。

おれ全部疑わしい。ぜんぶしったかぶり。目の鱗がなくなりそう。

■蕎麦屋のお子様

こないだ蕎麦屋でとなりにいたとてもお上品で頭のよさそうなお子様とそのまたお上品なお母さんの会話。

子「こないだどっかで日本人が殺されたんでしょ」

母「ミャンマーだよね」

子「それどこ」

母「どこだろうね」

子「でもひどい国だよね。国際裁判所に訴えるいかないよねそういうのは」

母「ほんとひどいね」

これだけ隣で聞いていて思った。

きっと国際裁判所のことを学校でならったんだろう。
それは間違っちゃいない。

でもお母さん。

ひどいね。で片付けておわりですか。

なんかいやだなぁそういうの。

おれはそうはなりたくないなぁ。

歴史の話を懇々と話す気はないけど、

せめて子どもには水島上等兵の話と埴生の宿を合唱するシーンの話をしてあげようと思う。

■基礎ができてから

文章も。書道も。絵も。ファッションでもなんでもそうだけど。

基礎ができてはじめて崩せるんだと思う。

特に芸術ってのは基礎ができてはじめて遊べるし基礎がわかってはじめてその感覚の世界のすごさがわかるんだと思う。

ピカソの絵だって基礎ができてる人がみたらきっとそのときにはじめてそのすごさがわかるんだと思う。

文章も、韻文でも散文でも。

やっぱり基礎ができて初めて深みが出るんだと思う。

深みというのはユーモアだったり、余裕だったり、粋だったり。結局は感覚的な遊びなんだと思う。

遊びってのはなにかとちゃんと向き合ってはじめて意味を成すのかもしれない。

いきなり崩そうとしてもそれはただのぐちゃぐちゃなんだよきっと。

■脳みそ

たまに脳の話を書くことがあるけど。脳ってのはおもしろい。

たとえば。ああのどが渇いたな水がほしいなと思って水を飲みに行くときに、人間は自分が水が飲みたいと思ったから水を飲むと思ってるけど。

それは間違いで。

脳が先に身体の状態を見てそろそろ水分が必要だなこいつに水を飲みたいと思わせなきゃ。と判断して指令を出すそうです。

人は脳に支配されてるんだね。

感情が先だとおもったら大間違い。
脳が先でそこから感情を呼び起こすらしいです。

その話を聞いて。

それならばおれの感じるすべてのことは、きっと身体が機能を維持するために必要としてるって事で、おれの感じることは全部自分にとって意味のあることになる。

意味のない感情なんて一つもないんだ。

なんかすこし気が楽になった。

ぜんぶ自分のためなんだね。

脳様様だな。

■朝の女の人

朝はやく家をでると思うこと。

なんか朝一で6時とか7時とかにすれ違う通勤途中の女の人はまだ生活臭さがのこってる気がする。

なんというか作りきれていない顔の人が多い。顔にものすごい感情がでてるし、切り替えが終わってない感じがものすごいする。

きっとそれは時間がたつごとに消えてしまって、もう午前中にはつくり笑顔も様になって仕事モードになるんだろうけど。

そういう素の部分にこそ人がでるよね。

気になる人がいたら朝一で待ち合わせしたらその人の素がみえるかもしれないなと思った。

■失う

人は失って初めて気がつくといううたい文句がありますが。

思うに失わないと気づけないのが人間なんじゃないでしょうか。

■ビエラ

新しいビエラのCMものすごいいい。

たぶんチベットだと思われる映像がながれててちょっといきたくなった。

もう一回みたいのになかなか流れないんだなこれが。

■金八先生

やっぱ最高です。

金八先生を見て教師を志す人がひとりでも増えてくれたらいいと思う。

金八先生は偉大です。

あと福丸大吉も最高です。

人間くさいのが最近はやってるみたいですが。

こうやって時代は回っていくんだとつくづく実感します。

きっと人間くさい世界になると今度はそうじゃない世界がもてはやされるんだと思います。

回る回るよ時代は回る。

■芋

芋食べ過ぎるとおなかが張ります。

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Title: こないだのボクシング。
2007.10.15

最近巷は亀田の話題で盛り上がってますが。友達が日記でモハメドアリのことを書いていたのでちょっと思い出したこと。

実はうちの親父ボクシング大好きで。

家にはタイソンの試合やモハメドアリのDVDが何枚もあります。はっきしいって小さいときにこれを見せられるのは苦痛だったのに気づけばボクシングはけっこう好きです。

亀田のやったといわれるサミングという反則(目潰し)これアリは神がかり的にうまかったといわれてるしあそこまで上り詰めることができたのはその技術が卓越していたからだと皮肉られたこともあるくらい。ひじだってムエタイ出身選手は完璧なフックの軌道できれいにいれてくることもある。

たしかに反則はよくない行為だけど、そもそも反則のないスポーツなんてないんだと思う。

アリのサミングしかり、マラドーナの神の手しかり。

一流選手はいい意味でずる賢く、卓越した裏技をもってるんだと思う。
どんなスポーツでも反則までいかなくてもダーティなプレイはあるし、ぎりぎりにところでそういうプレイはどこの世界にもあるし。それもある意味醍醐味なのかもしれない。ラグビーなんてみえないところじゃひどいのあるよ。

結局はどのスポーツだってだれがみても反則でもジャッジが反則をださなければ反則じゃないわけで。それをあいつは汚いずるいといっても敗者のたわごとにしかすぎないと思う。それを跳ね除ける力をつけるのも1流選手の器でしょ。

反則こそ表にはでてなかったけど亀田の相手の内藤選手。あいつもそうとうずるがしこいというと弊害があるのでクレバーな戦い方というけど、そういう戦い方をしてたと思う。

あの試合をあれから何度も見直したけど内藤が目の上を切ったあとの4Rから戦い方が変わって亀田の頭をなんども押さえつけて距離をとってるけどあれだって何回か注意をうけてるけどあれも反則ぎりぎりだし、6Rで頭を抑えながら亀田の目のあたりををこすったり、コーナーに追い詰められて打ち合いになりそうになったらスリップでにげる。亀田の距離になるとクリンチしたり。クリンチ際にこづいたりするのはどっちもどっちだったと思う。

反則取られてないけど細かいところでそういう技術を織り交ぜてたのはチャンピヨンも同じなんだけど。

でも1つ1つがものすごくうまい。時間の使い方も。7Rからの逃げ方はさすがにチャンピオン。うまいこと時間を消費してたと思う。

見えないところで亀田をあれだけ熱くさせるだけの駆け引きがあったと思う。

相手をいらいらさせる戦い方をよくしってるし、確実なポイントの取り方と、はじめから倒しに行くことを狙っていない戦い方。亀田からしたらのれんに腕押しさせられてるような不完全燃焼な試合はこび。

たぶんおれみたいな性格だったらきっとものすごくいらついてたと思うし亀田の気持ちもわからなくない。

でもあれが本当に強いチャンピョンの戦い方なんだと思う。相手を戦わせない戦い。あの戦い方こそボクシングの醍醐味なんだと思う。序盤からいらいらを煽ってたし、はじめおされ気味にみせる技術もうまかったし、それにまんまと亀田陣営がのっかっていっきにたたみかけにきてるのにのらりくらりと足をつかって逃げ回る。でも確実に手数でポイントをとっていく。打たれそうになるとクリンチをつかってブレイクを繰り返す。

タイソンがホリフィールドの耳を噛みちぎった試合があったけど、あの試合だってタイソンばかりにスポットが当たってるけど、あの試合タイソンがあそこまできれるにはそれなりの理由があったわけで。ジョージフォアマンはホリフィールドのことをあいつほどダーティな選手はいないといったけど。事実ホリフィールドは見えない部分でのバッティングが多かったと思う。

純粋でボクシングにまっすぐな人ほどこまかいダーティというかクレバーなプレイに熱くなってしまうんだと思う。

うまい選手というのはそういうものを効果的に使ってくることもあるし。熱くなればなるほどそういう技術を恐ろしいほど冷静に随所にいれてくる選手もいる。

亀田にはまだその技術も経験もない。

なによりもそれに耐えられなかったのは若さだと思う。

熱くなったときにうまく対処して怒りをコントロールする技術がない。それをうまく抑えて試合運びをするメンタルが育ってない。

しかもおんなじことしてもあのキャラじゃどうしても悪くみえちゃう。

興行すべてなのはわかるけどそれをわかっていながら試合をさせたジム側にも特別措置で身内をセコンドにつかせたJBCにも責任があると思う。ドンキングと同じようなもんだ。

なんか亀田とタイソンはかぶるようなところがあるきがする。

ファイトスタイルととじゃなく。

ものすごく純粋でまっすぐな性格とか。周りをとりまく環境に振り回されてるところとか。ほんとは心は優しいところとか。ヒールに仕立て上げられそれを従順に受け入れてるところとか。ボクシングへ向かう姿勢とか。

ただ決定的に違うのは亀田にはカスダマトのようなトレーナーがいないことだ。きっと亀田の側にエディタウンゼントのようなトレーナーがいたら全然違ったんだと思う。

きっとこれから彼らが先に進むためにはまずは親父から離れることだと思う。プロならきっともうわかってるんじゃないかと思う。親子の縁ほどややこしいものはないのはよくわかるけど先に進むにはまずそこだと思う。

最後にこういうと怒られそうだけど。

チャンピヨン試合後のインタビューや連日テレビにでて反則の話をしてるけど。たしかに正しいことをしてるのにあんまり好きにはなれません。もう生理的にとかいいようがないですが。わかる人にはわかると思いますが。ポケットから「ちくりノート」がでてきそうな気がしてならないんです。

ちょっとあいつに勝ちたくていらいらする気持ちがわかる気がします。

でもああいう倒すことではなく勝つことにこだわるボクサーは強いと思います。

個人的には亀田にはもう1度挑戦して欲しいです。

あの反則はありえないし。あんなのボクシングじゃないけど。
でもまだ出直せるしまだ強くなれる。

彼らはヒーローになれる器があると思います。

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Title: 繰り返し。
2007.10.09

よく眠れるし。たくさん食べれるし。体は元気なんだけど。

なんか疲れてる。

まぁ一言でいえば気疲れ人疲れ。

おれの仕事は。

人にかかわることです。

人にかかわることはすきだし。

きっと自分にできることはそれくらいしかないんだろうなと思う。

でもたまにものすごく疲れるんだわ。

目の前に独裁者スイッチとかデスノートがなくてよかったなと思えるくらい。サハラ砂漠で砂遊びして桂林の山の中で霞でもたべてついでにガンジス川でバタフライでもなんでもしたいくらいに。

くそったれ。

吐露してまた前に進む。

みとれ。

おれにできないことなんて。

なんもない。

矢でも鉄砲でももってこい。

この繰り返し。

ずっと。

トータスが染みるぜ。


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Title: 骨肝文
2007.10.04

こんなもんでいいならいくらでもくれてやるさ。

失ったっていいものをたくさん抱えてるから。

ひとつくらいあげるよ。

だからそんなケチもののために

大切なものを見失わないでください。

世界が狂ってるのは

しったこっちゃないとおもえるおれの罪でもあり

ぜんぶおれのせいでもあるわけで。

明日が来ることが確実なくらい。

そこにあるものの姿は

確実です。

逃げも隠れもしませんが。

ときどきほじくりかえして

ときどき水をあげてやってください。

ときどきやさしい言葉をかけてあげてください。

サボテンがとげとげしいのが自分の身を守るためだとしたら。

おれはなにからなにを守ってるんでしょうか。

だれかに教えてもらおうとは思いませんが。

自分でみつけられるかもわかりません。

コンドームはだれのためにするのでしょうか。

おれでしょうか。

あなたでしょうか。

未来でしょうか。

希望でしょうか。

それともまだ見ぬあなたのためでしょうか。

守りたいものがなにかもわからないまま

なにかを守るのは

なんにも守らないに等しいのではないでしょうか。

ウミガメの両足をもいで

がっつくのと。

ニワトリの両足をフライにして

がっつくのと。

なにが違うのでしょうか。

おれが明日生きてるってことが

確実だといえる根拠は

どこにあるんでしょうか。

なんでおれはそんなおこがましいことを

平気で思えるのでしょうか。

くそったれでもなんでもいいけど。

くそたれないで生きてるあなたよりは

よっぽどましです。

人の心がわからないひとは

きっと自分の中にあるものを

ぜんぶもやもやと呼ぶんだと思う。

だけどあなたの

雨がふるんじゃなくて。

雨がくるっていう感覚

を忘れないところは。

すきです。

なんにもない場所なんてないけど。

なんにもないと感じる場所はたくさんあるよ。

おれがいたらないから。

みえないものを信じて

なにがわるいんでしょう。

目に見えるものなんて

ほんとはなんもないじゃないか。

さいごにひとつだけ。

かならずしもじぶんのおもう気持ちと

じぶんへのおもわれる気持ちは同じじゃないです。

かわらないものはかわらない。

でもかわらないものをまもるためにかわらなければならないものがあります。

そういうものが

いっぱんてきに

なんていうかじゃなく

わからないものをわからないままにしておけるこころです。

いわずもがなです。

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Title: もう夏はおわり。
2007.10.03

もう夏は終わりだ。

やっと認めるしかなくなった。

朝寒いし。半そでがきついです。

ひさびさの青空なのか。

ひさびさに青空に気づけただけなのかわかんないけど。

やっぱり秋は空が高くて気持ちいい。

朝の匂いもひんやりとする空気も。

これはこれで悪くない。

四季のある国ばんざい。

あたらしいmixiのデザイン使いにくい。VISTAも使いにくい。エクセルもワードも新しくなって使いにくい。新しいパソコンのキーボード使いにくい。

とかもう言わないことにします。

おいてかれたくないんですぐに全部使いこなします。

おいていけるもんならおいていってみろ。
噛み付いてでもついていってやる。

回る回るよ時代は回る。最近の若いもんはなんていいません。

年齢なんて記号みたいなもんで。

そのときその人が選んだ道にはきっとすべてに意味がある。

おれなんかが自分の器量でどうこういえるような代物じゃない。

心がカチカチになって視野が狭くなってどうしょうもなくなって。

丸めたコピー用紙みたいになって。

それをふわっとほぐしてきれいに伸ばしては

またぐしゃぐしゃになる。

それを何度も何度もくりかえす。

時々はしっこのほうが破けることがあるかもしれない。

年をとるってのはそうやってすこしづつそのしわが増えていくようなもんでセロテープだらけになるようなものかもしれない。

最後にはどこにもしわがつかないくらいやわらかくなったらいい。

最近年齢というのはとるというよりも
纏っていくようなものなのかもしれないと思う。

じいさんになって。

心の中にたくさんの白でも黒でもないもの抱えて

陰でも陽でもないところをふわふわ漂って。

パナマ帽でもちょこんとのせて上野でも散歩しよう。

いまどんな気分でも。

きっと同じくらい悲しいことと同じくらい嬉しいことが

これから何回も何回もまわりまわってくるわけで。

うかれててもきっとうちひしがれて

うちひしがれててもきっとうかれるんだと思う。

そんなもんだよね。

ずっと続くものなんてなんもない。

最近。自分が大好きなものは全部。

終わりのあるものだと気づいた。

心がほんとに震えるものは必ずなくなる。

夏だったり。高速道路からみえる夕焼けだったり。旅だったり。
友達とのなにげない会話だったり。大切な人の笑顔だったり。

いつまでもそこにあってほしいのに必ずなくなるものばかりだ。

儚いことこそ粋だと思う。

パソコンを凝視しすぎてそこにしかピントが合わなくなったおれの視力みたいに。
なにごとも同じところを凝視し続けたらそこにかピントあわなくなる。

なんでも。

腰はまだもってます。ぎりぎりのところですが。

音沙汰のないことはよい便りということでしょうか。

海外でおかしなものをのせた寿司をみて。
あんなの日本食じゃないぜ!邪道だよ!

といいながら。

パスタに明太子からめちゃ一緒でしょ。

いつもノー天気なやつがいて。
いつも暗いやつがいて。
いつも女のことばっかいってるやつがいて。
いつも小難しいこと考えてるやつがいて。
いつもなんも考えてないやつがいて。
いつもなんだわ。

みんな。何十年も前から。

結局いつもなんだわ。

そう思うとものすごく安心する。

感謝感謝

こないだ久々に電話した友達に

いま一番なにがしたい?

と聞いたら。

おっぱいが触りたいといってました。

そんなあなたがいて心からよかったと思いました。

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Title: 谷川俊太郎
2007.10.02

ある雑誌の谷川俊太郎さんが読者の質問に答えるコーナーでの記事。

質問

どうして人間はしぬの?
わたしは死ぬのいやだよ。

追伸:これは娘(6歳)が実際に母親の私に向かってした質問です。目をうるませながらの質問でした。正直答えに困りました~

谷川俊太郎さんの答え

ぼくがお母さんだったら。「お母さんだって死ぬのいやだよ~」といいながら娘をぎゅ~っと抱きしめて一緒に泣きます。

その後で一緒にお茶をします。

あのね、お母さん。

ことばで問われた質問に、いつもことばで答える必要ないの。こういう深い問いかけにはアタマだけじゃなく、ココロもカラダもつかって答えなくちゃね。

この記事を読んで。

ほんとそうだと思った。
こういう場所にいてこういう場所で育ったのに。

アタマで答えようとした自分がいて。
アタマでは考えてもわかりようもないのに。

もっともらしいことを言ってしまうであろう自分がいる。

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。