Title: te su to
夜風がふわりとなってきて。それだけを感じるだけで、のらりくらりと歩けるようになる。
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本来、人には共感とか同調とか、無意識にでも他者と自分の境界をなんとか、あいまいにしようとする機能が備わっているんじゃないかと思うことがある。
朱に交われば赤くなる。
きれいなものに触れた自分を自分もそうであるかのように思ったりするし、汚いものに囲まれている自分を無駄に過小評価したくなったり。
ほんと自分の身の置く場所って大事だと思う。
でもそれは属してる場所とか物理的な問題じゃなくて、心の置き方の問題。蝉しぐれの中では静寂を感じられるのに、都会の雑踏で静寂を感じられないのは、環境だけの問題じゃない。
意識や心の置き方の問題だと思う。
物理的な違いは、ようは難易度の問題なんだろうと思う。
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技術的な高まりは、針の先みたいに鋭くなっていって、もうこれ以上先にはいけないというところまでいけるのかもしれない。でも大事なのは、それをどう使うかであって。
何事も最後の最後は発想なんだと思う。
どっちも同じくらいに重要なんだろうと思う。
技術がないのに、頭の使い方のうまいやつを要領がいいという。でも歩をわきまえないと調子がいいねといわれれ、化けの皮がはがれちゃうし、逆に技術力があるのに、頭の使い方がうまくないやつは、自分よりも評価される人を小馬鹿にして、あいつは口だけだといいながら自分を納得させる。
でも一握り、どちらももっている人がいて。
そういう人は、いつもにこにこしてるのに調子がいいわけじゃなくて、化けの皮もはがれずに、だれも小馬鹿にしなくて、ちゃくちゃくと我関せず、淡々と生きてる。
そういう人を脅威だなと感じる自分の器の小さいこと。
自分もいつか人に脅威を与えるくらいに実力の伴った人間になりたい。
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大多数の賛成と大多数の反対で決まったものに、本当にいいものなんてないんじゃないかと思う。賛否両論、真っ二つにわかれるくらいのものの中からしか、本当にすごいものは生まれないんだろうと思う。
でも自分がそれを提唱するには勇気がいるし、胃が痛くいなっちゃうから、そんな自分にはまだまだなんも変えられないと思うわけで、だからまずは、賛否両論わかれた時に耐えうる自分をしこしこつくんなきゃなと思う。
迎合するのは嫌だけど、でも孤独も嫌なんていうジレンマをなんとも思わないような人間にはなりたくないけど、でもその二極性が人間のかわいいところだとも思う今日この頃。
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あの人っていい人だよね。そういう自分がその人のなにをみてそう感じたのかがしっかりわかれば、自分が誰かからいい人だと思われることは簡単なんだろうと思う。
あいつ嫌な奴だよねという自分も、あの人と会いたいなという自分も、好きだなとか楽しいなと感じる自分も全部そう。
なんでそうおもうのさ自分てば。っていう探求は時にいろんな発見につながるなと思う。
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おまえだけだよ。なんてのは自分の弱さを覆い隠した器の小ささを象徴するような台詞だと思う。
とはいうものの、そういう言葉を口に出せることが人間のもっとも愛おしい部分でもあるわけで。
どうしたもんか。
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ミスチルをきいてて。
OverとかReplayとかLOVEとか、星になれたらとか、抱きしめたいとか、なんかあの頃よりも今の方がそこにある切なさとか、なんかぐっとくる感じを質感をもって感じられる気がする。
とくにLOVEは名曲だと思う。
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ワンピースが面白すぎて鼻血がでそう。
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両極端と二面性を1つのものとして許容することが必要か必要じゃないか。
そんなことを考える必要があるのかないのか。
そんなもんもふわり。
そんでふわりと浮かれてipodtouchかっちゃうもんね。
poketwifiとセットで。むふふ。
無駄使い万歳。
人生から無駄をとったらなんにものこんないんだ。ニーチェもいってたさ。たぶん。
POSTED @ 2010.04.20 |
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