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Title: 夏濃縮還元。
2008.07.27
■ 久々に大がかりなどっきりを仕掛けました。 4月を待たずにこんなことしていいなんて。なんて日本は平和なんだろう。 「どっきり」は自分にとって大事なエネルギー源だなと再認識。ひっくりかえってやられた~!!くっそ~!とはいったもののみんな楽しそうだったじゃない。そんなみんなが何年たっても笑顔ではなせるような思い出が大好きです。 なんか。 おれもはめられたいです。机の下にひっくりかえって。やられた~~うわぁぁぁぁって両手と両足をバタバタしながらいいたいです。誰とはいいませんがいい顔してましたよ。 ■ ちなみにフットサルは8チーム中8位という輝かしい成績でした。 ほんとに頭がくらくらしてぼ~としておえってなりながらも夏はやっぱり最高だと思いました。 それと。 一緒に遊んでくれる人がいてよかったなとも思いました。 ビバ夏。 ■ この年になって友達をみていて感じるのは、もうみんな働き始めてだいぶたつけど。いろんな個性が一緒に詰め込まれてみんなで同じことを学んだ時期を卒業してこの10年でほんとにみんないろんな分野に分かれたなぁと思う。 最近おもうのは。 やっぱり自分の専門がなんであるかというところに胸を張れるということはかっこいいと思うし。自分が自信をもってつっこんだ話ができる分野を1つでも持つということはすごく有意義だと思う。 どんな分野でもいい。 お笑いでも板前でも建築士でも企業家でも坊さんでも営業でも人事でも。社長でも部長でも事務でも先生でも。胸をはってその分野のに対しておもいっきりせれは違うぜ!なんて言いながら議論ができるってことはおもいっきりかっこよくて楽しくて有意義だと思う。 逆にそれができないってことは自分のなかのモチベーションがなにか欠けてるんだと思う。 ■ 「拝啓、僕は日本のどこかにいます」 昔の青春18切符のポスターのキャッチフレーズ。この時期になるといつも頭の中にこのキャッチフレーズを思い出します。 ってなわけで。 明日からしばらく東京を離れます。 いってきます。 Title: 総括・初夏
2008.07.24 想い出は年をおうごとにきれいになっていく。 思い出す回数に比例して余計な部分はそぎ落とされて洗練されていくような気がする。みんなそんな想い出を胸にたくさん抱えていきてるんだろうな。 夏の夜風には昔を想い出させるなにかがあるんだろうな。最近自分が思い出すことの多くが夕方の記憶だということに気づいた。夕日には記憶を鮮明にさせる効果があるんだろうか。 ■ ちょっと五島列島にふらりといってきます。さすがに長期は厳しいので数日ですが。夏の島は最高です。 ■ 感性は。時間の概念から離れたところで育まれるんだろうな。 ■ 相手を思いやるということがどれだけ大切なことなのか。いまさら。といわれそうだけど、その大切さと難しさに最近改めて気付かされる。 「相手の気持ちになって」 幼稚園ではよく聞くセリフだけど。相手の気持ちになって物事を考えるということがどれだけ難しいか。 ■ 最近モンハンばっかやってます。夜な夜な狩ってます。おもしろいわ。やってて思うのがこの楽しさは外人にはわかんないだろうな。このゲームは絶妙に日本人受けする要素が満載だなと思う。 これは売れるわけだわ。 でも30も目前になって夜中のファミレスでドリンクバーだけで何時間も友達とモンハンしてたら、店員さんに遊技場じゃないんでゲームは勘弁してくださいと怒られました。 本読むのとしゃべり続けるのはいいのに。 なんでモンハンだめなんですか。デニーズさん。 ■ このうだるような暑さの中ふつうは体重が落ちる人が多いんでしょうが・・・なぜか右肩上がりで体重が増えてます。ビールのせいでしょうか。まぁたしかに暑いので運動といえば狩りくらいしかしてませんが。 少し動かなきゃ。 今週末には炎天下のお台場でフットサルの大会にでます。まさに自殺行為だとはわかってるけど、せっかく夏だし、汗だくでおえおえいいながら夏を満喫したくなったんですよ。 ■ こないだ信号待ちをしているときに、車の中でおだゆうじのモノマネを練習していて「どうして現場に血が流れるんだ!」と叫んだとたん横で停車していた原付の人が2人振り向いた。 車の中は防音されているようでけっこう漏れてるみたいです。 ものすごい恥ずかしかったですが、何食わぬ顔で涼しげに目をそらしてやりすごしました。 まぁおかげでだいぶモノマネの腕はあがりましたけどね。 ■ ほんと最近この年になって感じるのは。ほんとにいろんな人がいるな。世の中には自分の理解をこえてる人がたくさんいる。きっと自分も誰かにとっては理解を超えてる人なのかもしれないけど。 無知の知という言葉があるけど。 年を追うごとに、自分の中にある感覚や判断を過信したり、改めてそれでいいのかとか点検したりする作業をしなくなる。昔とはいってもまだ10代20代前半くらいの時は、これは言ってもいいんだとか。こういう判断は今度からやめようとか。間違ってたなとか。これは自分には苦手だなとか。これは好きだなとか。そういう自分の中に発見をすることはまだいまよりも多かったと思う。 観察力というのは、ものすごい大切だと思う。 内にも外にも。 あたりまえになってることほど疑わしいものだらけだ。 ■ このあいだおもしろい記事を読んだ。 最近ブームのECO。 もちろん自分も便乗して緑化計画とかしてますが。 地球の温暖化に関して、温暖化原因の割合で人間の排出するCO2というのはかなり割合が低く。もっと宇宙規模の原因が主な原因の主だという説 要は人間がいくらCO2の排出を抑えることに躍起になっても宇宙規模、地球規模の変動による温暖化は防げないということ。 もちろん意識的に排出を抑えることはものすごく大切だと思う。 でもどうも懐疑的に考えてしまう癖があるので、このECOブーム。どこかで誰かがものすごく儲かってるんだろうなとか、実際火付け役ともいえる「不都合な真実」にしてもそうだけどあのデータがどこまで正しいかなんて裏付けはどこにもないし、うのみにしてノーベル賞をあたえようなんてどうにも腑に落ちない。 そりゃ先進国はいいよね。そこからまた生まれる利権は大きいし、そんなことしてたらいつまでたっても途上国は途上国を抜け出せないし、むしろ大きな力がそうさせてるんじゃないかとすら思ってしまう。 そもそもだ。 一週間後の天気も当たらないのに。百年後のシュミレーションなんてどれだけの精度があるんだろうか。 でも楽しければいいんだよねきっと。 便乗してそれが自分の中でなにかのきっかけになると思えば。 なむなむ | コメントを書く (0) | Trackback (0)Title: 初蝉
2008.07.16
お盆も今日までで終わって、みたま祭りにもいってそして蝉が鳴き出す。きたよ。ついに夏が。じわじわと自分の中で充電がはじまっているきがする。無敵までもう少し。 しかし蝉の音があるとないとでは暑さに対する耐性も変わる。蝉が鳴いてるだけで暑さにも寛容になれる。 今年のお盆もたくさんの人と話ができてたくさんのきっかけをもらって考える時間もたくさん持てた。こうやって1年1年過ぎていく中で確実に自分の中にある方向性が一つの方向を指し示していく気がする。やっぱりこれが自分の仕事なんだなと思う。 29歳まであと半年。 課題は山積みだけど。でも方向は間違ってない。そんな根拠のない確信がある。 すこし休憩していろんなもの垂れ流しながらビール飲みたいなぁ。夜風に吹かれながら神楽坂とかで。 Title: 神様はいるとかいないとか。
2008.07.04 このあいだはじめてあった人たちと話をしているときに、その人たちは同い年でそれぞれまったく違う仕事をしてるんだけど自分の家が寺だという話をしたら。 そうなんだ、でも実際のところ神様とかいないとおもってるんでしょ。って言われた。 なるほど。たしかに寺といえば神様がいて、お坊さんはみんな表向きは一応神様がいるということを信じている姿勢でいるんだというのが一般的な見方なんだということに改めて気づかされた気がしたと同時に、ああこれがいまの現状かと思った。 そういう考えが蔓延しているとしたら宗教に対しての疑念や胡散臭さはいやでもぬぐえるはずがない。 でもそれが当然だし、神社とお寺の区別がつかないのだって一般的で自分があたりまえに話すことや考えてることがむしろぜんぜん一般的じゃないんだとまざまざと感じさせられて、自分はこの時代で宗教を扱って生きていく以上もっとがんばらなきゃと思った。 正直地獄とか天国とかあると思ってないでしょ。ってかそんなのナンセンスだよね。自分でもそう思ってるんでしょ。というのだって普通に出てくる疑問だろう。 これは別の人だけどこれまた同じ年代の女の子と宗教の話をしていたら、たしかに人間啓蒙は必要だよねといっていた。 宗教と啓蒙は違う。 真宗には聞法という言葉がある。これは真宗の中でも一番大切な基本。 聞法とは法に聞くこと。 こうかくと。 またはじまった。仏教とか宗教はすぐに難しい言葉で煙に巻いたような理論をならべたてる。なんて思う人もいるかもしれないし、なんか一種のアレルギーみたいに宗教かよ・・・うわぁ・・・ と感じる人もいるかもしれない。 たしかに最近じゃ宗教なんてうさんくさいという構図ができてもなんらおかしくないし、むしろそれくらいの警戒心をもたないといけないのかなとすら思うし、自分自身そう思う。 寺にうまれてもそう思うし。いまだになんとなく自分の扱っているものが宗教なんだというのはぴんと来ない。 これは自分が感じることだけど、おもうに宗教っていうのは根本はほんとにシンプルなものなんだと思う。 シンプルなものをシンプルに伝えるということはものすごい危険性をはらんでいる。だから宗教はシンプルなものを伝えるためにあの手この手を考えてきたんだと思う。 それがひとつの方便であり、天国とか地獄とか、神様とかであって。大事なのはようはそれがあるかどうかその存在を信じるかどうかというよりも、それを通してなにが伝えたいかということなんだと思う。 だから宗教を学ぶと気づくのは、それがあるかないかという議論はさほどおおきな問題ではない。 宗教の根本や伝えたいことはものすごく単純で簡単なこと。 くそったれ。世の中馬鹿ばっかりだ。とか。ああ、なんであの子はおれに振り向かないんだとか。お金がほしいのになんでないんだとか。なんでおれだけこんな気持ちにならなきゃいけないんだとか。あんなやつがいなければいいのにとか。 そんな些細なことも含め、心の中が自分の力ではどうしょうもなく苦しいときに処方する薬みたいなもんなんだと思う。 大抵の問題はそんなもの処方されなくても解決できるし、ビールでも一杯飲んですかっとすれば忘れられるし、ストレス解消してればこなしていけるさ。 というレベルだけど。 それでもビールをのんでもストレス解消をしてもどうにも拭い去れない問題というものは確実にある。どんなに外にその解決法を探してもみつからない問題が確実にある。 もうどうにも目が背けられなくて、内側に自分の中に矢印をむけて自分の心の持ち方をかえないと乗り越えられない瞬間はだれにでも必ずくるんだとおもう。 大まかに言えば、老いること。病気になること。死ぬこと。 そのときにはじめて考え始めるんではなくて。 むしろ生きているということはその問題にぶつかってない人はいないということに気づいてその瞬間から矢印を内側にむけていきていくことが大切で。 自分周りでおきるどうにもならない問題を自分のこととしてうけてめていくのが宗教とか仏教の入り口なんだと思う。 そしてそういう気持ちを先人はどう考えてきたのかなと。何十年、何百年、何千年たっても人間の悩みや苦しみはそうそうかわらないと思う。というよりも老いることも病気になることも死ぬことも。もう何千億人もの先人たちが経験してきてることなわけで。 今日にいたる間での長い年月の間にそういう問題を命を懸けて考え抜いてきた人たちがたくさんいる。 それを教科書のように参考にして今の自分におきかえる。もっとくだいていえばそれを鏡にしていまの自分をうつしてみる。 これが聞法のこころであって。 さらにいえば宗教に触れるということなんだと思う。 だから自分に矢印を向けないで、ずばりいわれちゃっても。天国から死んだ人が語りかけてきても。たかいお札をはったってなんの解決にもならない。 それは傷にバンドエイドをはって隠すだけで安心するようなものとなんもかわらないんだと思う。 話がだいぶそれたけど。 なにがいいたいかというと。 自分は布教したいわけでも教化したいわけでもない。というと怒られそうだけど。自分自身が感じたこと。おもったこと。苦しんだこと。真宗にてらしあわせて、自分自身の聞法をするだけ。 なんかそう思うと飽きっぽい自分がいままで飽きもせずに続けてきた書くという行為がなんとなくつながってきた気がするわけですよ。そんでついでに願わくば自分がそういう姿勢で生きていくことで真宗や仏法というものが少しでもだれかの何か大切な部分になれればいいとおもう。 ほんとに同じ世代の人と話をするとよくわかる。疑問や問いのでる部分や宗教の胡散臭さがなんで生まれるかとか。でもやっぱり生きていくうえで宗教は絶対に必要だと思う。 これは個人的な気持ちだけど、信仰というとただの妄信的なイメージが強いけど。でも信じられるには理由が必ずあってその理由をしっかりとみつめる必要があるんだと思う。摩訶不思議で抽象的なものなものだけを信じられるはずがない。でもそれが宗教なんじゃないの?と思うかもしれないけど。それは違うんだということだけは自分の生き方や姿勢の中で示していかなきゃいけないんだろうな。 まだまだだなぁほんと。最近こういうことを考えると果たして生きている間だけの短い時間で自分にはそのひとかけらでも責任を果たせるんだろうかというあせりすら感じる。 | コメントを書く (0) | Trackback (0)Title: UFOみた。
2008.07.03
っていってるのに。鼻息荒くしてはなしてるのに。なんでみんなそんな反応なのさ。 ふ~ん。とか今忙しいから後にしてとか。 いやほんとに。 あれをUFOといわずしてなにをUFOというんだというぐらい完璧なくらいの未確認飛行物体でした。 矢追さんもびっくりですよ。 韮澤さんなら火星人の偵察だといいますよ。 ちなみに19時半頃千葉の船取線を湾岸方面に向かう道の正面の空でした。だれかみてるってあれ絶対。 まぁ盛ってるでしょとか。ふ~んとか。そういうの慣れてるんでいいんですけどね。これはほんとなんだって。 だからなんだって話だけどね。 だれか目をキラキラさせて、そんでそんで!って聞いてくれる人いないかな。そしたらこっちも鼻息あらくして話しますよ。3分くらいで終わっちゃうような話なんだけどね。 まぁそんなことはさておき。 そんなUFOの興奮冷めやらぬまま高速にのったんだけど、びっくりするぐらい。これまたびっくりするぐらい道がすいてました。 もう7年位この道を通勤してますが。たぶん一番すいてました。普段1時間半くらいかかるところを50分くらいで帰宅しました。 京葉道路も首都高も。 一瞬。あれこの時間ここ走っていいんだっけと思ってしまうくらいがらがらでした。なんでだろうかと考えてぴんときたんですが。 ガソリン高すぎるからだろうか。 ちなみに昨日昼間ガソリン満タンで10000円近くいきました。月に3回は空になるんですが・・・これは正直痛いです。 まぁすいてるのは嬉しいんですがガソリンが高いのは困ります。 いやぁ。なんか警棒をもった警官がウロウロしてるしいたるところで検問してるし、車はがらがらだし、なんかこの非常事態みたいな感じのどきどきは台風の時のどきどきににてるなぁと思いました。 白山通りもがらがらだしなんか正月みたいだ。 しかし着実に夏に近づいてきてる感じが嬉しい。 暑さも湿気も匂いも夕焼けも。夏くささがぷんぷんしてきた。 そろそろ少年たちは廃墟でもさがして7日間大人と戦う計画をたてはじめる頃だろうか。 いまの自分はもう戦われる側なんだろうか。 さぁ今年も折り返し
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