Title: やぶれた襖。
人のブログを読んだり、話を聞いたりして、あの人はなんて楽しそうに生きているんだろうかとか思うことがあるけど、でもそれはその人がいつも劇的な毎日を送っているかというとそうじゃなくて、その人が少しだけなにげない日常を彩るのがうまいからなんだろうと思う。
みんながみんな日々は何気ない日常であって、それをどう感じるか、どう見せるか、それが大事で、むしろ、自由はどこだ、楽しさはどこだ?なんて言って、それが、さも降ってくるみたいに、突然現れたり、状況や環境が変われば自分もそうなるんだ、なんて思っていたらそんなもん一生見つけられないんだろうと思う。
自由も楽しさも、幸せも満足も、自分が何気ないものを自分で彩った結果であって、決して自然発生的に湧いてきたようなものじゃない。
自分にしっかり目を向けもしないで、状況が悪いとか、環境が悪いとか、今はしょうがないとかいいながら足を動かさなかったら何にもかわんない。
そういう人が、誰かを指さして、あの人は楽しそうでいいね、恵まれてるよね、自分たちとは違うよね、とかいうのにはもううんざりだ。
それと、意識的でいることと自虐的でいることは違う。意識的でいればいるほど、身の程を知ることはあるけど、それは決して自虐的なわけじゃない。
こないだ読んだ本に書いてあった、やぶれた襖の穴から、隣の家の襖が破けているのを笑うのが人間であると。
ほんと、つまりはすべてそういうことなんだろうと思う。
POSTED @ 2010.09.28 |
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