• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 礼に始まって礼に終わる

少し話は戻るがお盆期間中は一日100往復以上は頭を上げ下げする。
そんな時ふと思った。みんな自然に頭を下げるけどそういう習慣は
いつから染みついたんだろう。

うちはお寺だから小さいときからいやと言うほどたたき込まれたけど
普通に生きてきて初めて礼に出会うのは

起立 気をつけ 礼!

ここじゃないかな・・・

じゃ礼とはなんだ・・・

礼を学ばざれば、以って立つことなし
礼を知らざれば、以って立つことなし

孔子の言葉だ

「礼」とは「礼儀作法」

礼儀はマナーとかエチケット
作法はルールを指す。

こう書くとなにやら小難しい礼儀作法なのかと
感じるかもしれないけど簡単なことだと思う。

道理、筋を通すこと。
自分勝手にならないこと
そしてなによりも人を敬うことじゃないかと思う。

つまりだ頭を下げるのも相手を敬うという気持ちであり。
人と関わる上で共通のルールみたいなものだ。
学校で起立気をつけ礼をするのは学ぶ上でのマナーだ。

一人で生きてると思うとそういうモノに疎くなる

一人で生きてるんじゃないと感じれば
そういうモノの意味に気づくだろう。

親や兄弟、親戚はもちろん
近くに住む人だって、お店の店員だって、ホームレスだって。
全部自分と同じだ。

金を払ってるからとか。働いてるとか。
権利ばかりを主張してはだめだってことだと思う。

完全にアメリカナイズされた今の日本に決定的に欠けてる部分だと思う。

礼に非れば視ること勿れ、礼に非れば聴くこと勿れ、
礼に非れば言うこと勿れ、礼に非れば動くこと勿れ。
                           
                             孔子
「訳」

礼にかなっていなければ、それを見ようとするな。
礼にかなっていなければ、そんなものに耳を貸すな。
礼にかなっていなければ、そんなことに口を出すな。
礼にかなっていなければ、そんなことで行動するな。

いま礼にかなってる人がどれだけいるんだろう。

こないだテレビみてて思ったんだけど

個人的にあまり好きじゃないけど
細木和子の言うことは正論が多い。
間違いない当たり前のことを堂々という。
ただのその辺のうさんくさい占い師ではない。
まちがいなく礼儀作法に精通している。

それが指示される理由なんだろうけど
普通はお父さんやお母さんに言われるようなことばかりだ。
それをいわれて初めて目が覚めました!なるほど!って・・・・言う人をみると
なんでそんなあたりまえのことに気づかないのって思う。

だれかにきっぱり言われなきゃ
そんなことにも気づけない時代なのかもしれない。

礼に始まって礼に終わる。

すばらしい教えだ。


POSTED @ 2005.07.21 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。