• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 20世紀少年。
2009.04.21


映画20世紀少年をみた。

映画化すると残念なものというのは多々あるけど、この漫画は映画化されてなおその魅力や深さが増した気がする。

監督はきっとあの絡み合ったストーリーだけでなくそこに込められた想いや、にじみ出てくる部分までしっかりと自分の中に落とし込んでいるんだろうなぁと感じた。この作品に対する真剣さがものすごく伝わってきた気がした。

「ともだち」ってものを大きなテーマにして、そこから人間の本質的な部分がにじみ出てきているような気がして、その人間くささが最高だった。まさに人間は一筋縄ではいかないんだぜ!でもそのなかでもがきながら苦しみながら、まっすぐに生きてく奴もいれば、ゆがんだ奴もいて、それがこの世の中だぜ!

いま現代こんな世の中に求められているのは、なんでもできてかっこよくて強いヒーロー像ではなく、かっこわるく、そんなに強くもないのに、心の奥底に秘めた信念があって、いろいろなことをあきらめつつも、ここ一番でそこに命をかけてやるとおもえるような無鉄砲さなのかもしれない。

「人間は無謀だとわかっててもやらなきゃいけないときがあるんだ」

という少年時代のケンヂのセリフに込められた「熱さ」はクールなことがかっこいいとされた時代に疲れて、どこか希薄な人間関係にむなしさを感じる今の世の中に一石を投じるものだと思う。

そしてそんなケンヂをとりまく仲間たち。オッチョをはじめとして、そんなケンヂの熱さに惹かれる仲間たちも魅力的だ。映画をみているうちに自分のその仲間になってしまったかのような錯覚すら覚えるのは、やっぱりケンヂのすごさは、なによりもこの仲間をつくれるという才能なんだと思う。

でもいつだってそういう人間がいたら、それにあこがれる人間、それを羨む人間もいる、その眩しさにあこがれ、自分も仲間になりたかった、でもそこにはいれない自分、その彼が自分なりにつくりだしたケンヂ像が「ともだち」だったのかもしれない。

その「ともだち」のゆがんだヒーロー像、そしてそれをうまく政治や宗教に利用するともだちの仲間たち、その仲間たちもまたそれぞれにいろいろなものを抱えている。

映画になって初めて深く気づかされたのが、このともだちやその周りの人間の抱えていたものの深さ、そしてそのともだちのかかえているものは、この時代誰の中にだってあるものなんじゃないかということだった。

幼少時代の無垢な想い、それが大人になっていくなかでどう変わり、どう形になり、どう手垢が付いていくのか。それを生々しくリアルに表現されている気がする。

ともだちはきっと。ただケンヂみたいになりたかったんだ。ただケンヂたちと遊びたかっただけ。最後はそこなんだろう。その深さ、そこにある思いには鳥肌がたつような気すらする。

光があれば影ができる。それは切り離された別のものではなく、片方だけでは存在できない1つのものなんだと思う。

第1章で出来上がったこの大きな世界観の中で、これから続編で繰り広げられるストーリーを通して、ケンヂや仲間たち、ともだち、そして友達を取り巻く仲間たちの心境の変化や、葛藤など、その人間くささがどう描かれるのが楽しみ。

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Title: 助走。
2009.04.16


まずは魚を三枚におろせるようになりたい。

これ切実に練習しよう。

魚屋で頭ついてる魚を買える日本人になりたい。

心をこめて作ってくれた器だから。

やっぱりこっちもそこにのせるもんにちゃんと向き合おうかなとか最近思うのです。

*

すごく昔に夜散歩してたら一緒にいた人が、「夜空を見上げるとたまにものすごい怖くなることがある。なんていってわかんないけど落ちそうな怖さ」っていった。きっと言った本人は覚えてもいないようなたわいもない一言だったのかもしれないけど、決してそんなことをふと口にするような人ではなかったのでものすごく印象に残ってた。

こないだ夜一人で散歩をしながら空を見上げたときに、それを突然思い出して、なんかその時はあんまりよくわかんなかったけど、なんか今わかるかもって思った。なんかわかんないような感覚が時間とか空間を飛び越えて結びつくっていうのはものすごいなと思ったし、そんななんだかわかんないような感覚を口にできる感性って大事だなと思った。

*

ほんとにこの時期は右肩上がりに頭の中の血流と細胞が活性化していくような気がする。仕事もものすごい効率よくなってきたし、睡眠時間も短くなってきた。それにいろんなことがどんどん頭の中に浮かんではつながって、若干飽和気味になってくる感覚も思い出してきた。ただね。それに体がついていってない。

こんな時期のぎっくり腰は初めてだ。しかもこれまた腰に注射を打ったのもはじめて。やっと痛みは引いてきたけどえらいこっちゃがんばれアラサー

*

たまに思いつくんだけど、いつか機会があれば言ってみたいセリフというのがある。「ヒューストンヒューストン」とか「地球は今日も青いです」とか、そんでこないだ久々にいつか言ってみたいセリフを思いついた。「あいにくだが夏のおれは無敵だ」これをいつか夏に何かを挑まれた時に使おうと思う。こんなことが通勤中の運転をしてると次から次に浮かんでくる。くだらないけど。いつか言ってみたいセリフって考えてみると結構おもしろいんだって。

*

人が作ったものにしかだせないもの、人間が作らなければでないもの、その味みたいなものにたまらなくひかれる。いいものというのはきっとまっすぐな人間がつくったものなんだろうと思う。人間ってのはただそれだけで未完成でムラだらけで不格好であるという前提に心から気づいた人間がまっすぐな心意気でなにかに向かい合った時にものすごく魅力的なものが生まれるんだろうと思う。その前提に気づくか気付かないかということがものすごく重要なことのようなことの気がする。

*

ありがとう君とアリエール。

*

ものを作る、仕事をするということはやっぱり最後は人ありきだと思う。何事もその先を考えるといつだってその先には人がいる。その先の人を見据えてするのが仕事だとしたら、それ以外はただの作業にしか過ぎないと思う。簡単なようでころっと忘れて作業に没頭しちゃうけどこれ大事だなと、改めて深く深く反省。

*

本棚というのはその人をよくあらわしてると思う。本棚をみればどんな人なのか大方予想できそうなくらい。

*

吉野家には券売機がない。それはお客さんに、いらっしゃいませ。ありがとうございました。などの声をかけるということは、商品の一部を構成する大事な絶対条件で、券売機を置くことによって、その大事な要素が失われてしまうからだそうだ。

こういう合理的じゃないけど大事な無駄って大事だと思う。すごい気持ちいい。豊かになって便利になって分断された人と人とのつながりをつなげられるような仕事がしたい。無駄っていうとイコール価値がないと思われがちだけど、無駄には無駄というすんばらしい価値がある。ということもある。

*

時間的なすれ違いが多くなると、心通わないことになるかというテーマは結構深い。
個人的にはそんなことは全然ないと思うんだけど。

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Title: 玄鳥至
2009.04.11

惜しむ間もなく潔く。そして最後の最後にその散りざまにまで美しさの余韻を残していく。日本人が桜に理想の生き様を重ねる理由がよくわかる。

あっというまに葉桜の季節。さっそくツバメも飛んできた。

幼稚園では始業式に入園式も終わり、月曜日からは戦場さながらの大騒ぎになるんだろうな。さぁ今年も新学期が始まる。今年もたくさんの発見と感動と反省に出会えたらいい。

今年はたくさん外に出よう。

昨日砂場で遊んでて思ったんだ。砂場で繰り広げられたあの遊びには自分の好きなものが全部つめこまれてる。

なにつくろうか。から始まって。お団子作ろう。もっと水入れたほうがいいよ。水はこれに入れてこよう。できたらなににいれようか。竹の器を使おうよ。したに桜を下に敷き詰めようよ。お団子の中にもこっそり桜入れよう。できたら誰に食べてもらおうか。今度はお山作ろうよ。上からこのお団子転がしてみる?じゃあちゃんと道をつけようよ。じゃあここでジャンプさせようぜ。いや甘い。ここは竹を使った方が絶対によく転がる。

なんてことを砂だらけ泥だらけになって4歳のこ5歳のこと真剣に議論して、みんながそれぞれ自分で役割をみつけたり、それなりにもめたり、妥協したり、みんなで誰かに賛成したり、シャベルをとり合ったり、それをジャンケンで解決したり。

ほんの1時間の砂場の遊びだったけど。久しぶりにもんのすごい楽しかった。PS3やDSなんかよりもものすごい充実感あった。

なにが楽しいのかといえばわかんない。なにかは。でも楽しむっていうのはそういうことなんだと思う。楽しいことを選んでするんじゃなくて目の前のことをいかに楽しむかで、楽しいは自分の気持ちなんだと思う。

その辺は娯楽の全くない中高でいかに楽しむかにだいぶ苦心したおかげで培われたものもあるのかもしれないけど。

いつの間にか楽しむは選択するもので、楽しむは誰かやなにかがもたらしてくれるものだと思いがちになっちゃうけど。楽しいはどこにでもあるわ。

そう考えたら食べるのもそうかも。おいしいものをたべるのではなく、いかにおいしくたべるか。そこに苦心しなきゃ心の底からは満足なんてできないのかもしれない。

最近芝生の手入れや、土をいじることが多くなって、いままで自分はそういうことは向いてないと思ってたんだけど、けっこう向いてるのかもしれないと思う。それか年をとったからかもしれないけど。

なんかいろんなことにこぎれいになるのはもうやめたい。もともとこぎれいじゃないでしょ。と言われそうだけど・・・

地べたに座って土いじったり、砂だらけになるのは、ものすごく肩の力抜けて、その感覚はなんかアジアを旅するのに似てるのかもしれないけど、どこにも力がはいらなくていい。

そんなことを帰りの車で考えながら走ってたら、うちのかわいいIPODのシャッフルででてきた選曲がこれでもかというくらい心にグッときて、Geniusにもほどがあるぜ。と思った。

人間らしくありたいなんて。それは人間の台詞じゃないだろ。
僕らしくなくても僕は僕なんだ。君らしくなくても君は君なんだ。

今度のがNo,1だろ。

ヒロトはすげぇなやっぱ。なんなんだろう。この心のやわらかい部分ををわしづかみにして、頭をがつんと殴られるような感覚は。なんだかわかんないけど。すげえ。やっぱすげえ。

感性というか感受性というのは、研ぎ澄ましたらどんどん研ぎ澄まされていくと思うし、研ぎ澄まされたら、いままで感じなかったことや、見えなかったものがたくさん見えるようになるんだと思う。でもそれはきっとどこかでそれを遮断して、研ぎ澄ますのをやめないといけないラインというのがあるんじゃないかと最近思う。

しかしこうあったかくなってきたらどこかへ行きたい衝動がむくむくとわいてくる。今年こそ知覧にはいきたいし、電照菊もみてみたいし。夜行ものりたいし。とりあえず南か。

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Title: リー
2009.04.06

燃えよドラゴンの冒頭でブルースリーは言った。

Don't think.Feel !

いつ見たのかもわかんないくらい昔にみたそのシーンが突然頭にフラッシュバックのようによみがえってきて頭の中をぐるぐるまわる。点が線になるのというのはこういう瞬間なんだと思う。

若いうちははいろんな理屈をこねくり回して、あれこれ考えて、自力でもがいて苦しんで。どこかに答えを求めようと必死になってもいいんだ。きっとどこかでThinkがFeelに変わる瞬間がある。本当に最近考えてた頭の中の全部がこのシーンでつながった気がした。

Feel

これ最近のテーマ。

理屈をこねくりまわして、理論や条件で人生を進めようたってそんなもんうまくいかないぜ。

考えるな。感じろ。

いい言葉だ。さすがリー

*

4月のこの時期、新しく働き始めた人たちがあちこちにあふれてる。そんなこの時期にあちこちであたふたする新社会人らしき人たちをみて感じたこと。

人様に披露できる失敗談を持つことができてやっと一人前じゃないかと思う。あたふた汗かいてもうだめだと落ち込むくらいの失敗談を乗り越えていろんなことに幅が出ると思うし、それだけいろんなことにおもいっきり打ち込んでるってことじゃないか。無難に大きな失敗談もないままじゃ絶対に出世なんてできないぜ。はげしい失敗するくらいの勢いがないようじゃ、これから先は乗り切れないぜ!ということがいいたいわけです。若気の至り大歓迎でしょ。つい最近激しい失敗をした自分を擁護するために自分の脳みそが思いついた自己肯定なのかもしれませんが。


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Title: さくら。
2009.04.06


西行法師は「願わくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ」と詠んだ。風に吹かれて散り始めた満開の桜の下を歩いているとその気持ちがわかるような気がする。やっぱり桜はいい。

20万人も上野にいるなんて知らずにその1人になってしまった。しかし日本人というのはなんでこうも桜が好きなんだろうか。

思うに、控えめな小さな花だけでなく、桜は散り際こそが美しいと称されるように、その儚さや潔い散り際に日本人は、昔から自らの人生や生き方を重ね合わせていたからだと思う。無常なる人生を桜にみるというのがきっと根底にあるんじゃないだろうか。

儚く潔く、そして一瞬で散るからこそその美しさに輝きが増す。その一瞬の輝きを一目見ようとたくさんの人が花見に出かけるわけだ。

そう思えば、桜が散るのはあたりまえのようにみんな分かっていて、その一瞬の輝きを称賛するならば、きっと人間の命もおんなじようなものなんじゃないかと思う。桜が散るのはわかっているのに、わが身が散るのは忘れがちなのが人間。散るからこそ美しいのは桜も命もおんなじだ。

散ることをしっかりと自覚して初めていまに輝きが増す。輝きの増した今に命に感謝できる。いつまでもあると思うな髪と命です。その気持ちを大切にしたい。

西行法師にちなんで一句「いまここを 肴に一献 日々花見」と酒飲みの言い訳のような句で。おあとがよろしいようで。

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Title: 春。
2009.04.04

ほどよく日差しが暖かくほどよく風が冷たい。あったかいのとつめたいのが混ざり合ったような気候が心地いいうえに風に散った桜の下を歩くだけでかなりテンションがあがる。

今年のエイプリールフールも無事終了。勝率は3割5分っていうところだろうか。まずまずの成績。しかしみんなの反応の様々なこと。ほんとに楽しかった。返しの腕が上がりすぎだし、電話の前で待ちすぎだし、しかも人の嘘を冷静に評価するし、やっと春がきたとか風物詩か何かと勘違いしてるし、でもころっとだまされてくれる人もいるし。ああ楽しかった、ほんとエイプリール最高。

昨日はほろ酔いで神楽坂から家まで歩いて帰った。途中ドームの前でほんのりライトアップされた桜が一本咲いていた。その下でしばらく夜中に一人でぼけっとしてたら、いろんなこと思い出したのと、これからあるだろういろんなことを考えて、かなりの時間差でいろんなものがこみあげてきたのをのみこみのみこみ家に帰った。

やっぱ春いいな。桜いいな。

なんかいろんなものがお腹の底から湧いてきた。でもあんまり早くからテンションあげすぎると夏まで持たないから少しづつ出し惜しみしなきゃなんて勝手にペース配分しようと思ってたら、家にすこし前から注文していたものが届いていてさらにテンションアップ。土地の権利書です。ついに30歳を目前に土地を買いました。もちろん個人で。1200坪も。住所はJ-5 Quadrant Bravo Trot です。地図で言うと左下のほうです。月の。そう月の土地買いました。なんかもしかするとちゃんと権利として認められるかもしれないそうです。いずれ月に自由に行き来できるようになったらそこに家でも建てます。

http://www.lunarembassy.jp/shop/about

ちなみにここで買えますよ。

しかし家にいるのがもったいない。少しでも外にいたいと思える季節になってきた。今夜も夜な夜な街を徘徊でもしよう。

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。