Title: はるいちばん。
暖かい。それだけで浮かれる自分のどうしょうもなさにあきれつつもそういう自分でいたいと思った。
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おなじものに感動できて、おなじものに笑えて、おなじ言葉に共感できるということ。それはどこにでもあるようでどこにでもない。
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感性というと一言で片付いてしまうけど、一つの出来事や事実から、どれだけのことを見ることができるか、どれだけのことを感じることができるか、その数が人生の幅になるんだと思う。
月がきれいだ。それだけの夜にどれだけのことを自分の中に落とし込めるか。
春一番が吹く。それだけのことをどれだけのことに自分に照らし合わせるか。
感性を磨く。それだけでたいていの問題は解決できるような気がする。自分が真宗を扱う上で一番大切にしたいのはそこだと今は胸を張って言える。
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人間その立場、その状況になってみないとわからない。あたりまえのようだけど、それにちゃんと質感をもって感じるっていうのは難しい。
気づけばつい自分を棚に上げたり、知りもしないのに知ったような顔をする。自分の価値観が一番であるかのように。
自分は自分、他人は他人、どうして違いを必ずしも認めなきゃいけないとは思わないけど、せめてその理由でそれを排除したり傷つけたりするのは絶対に違うと思う。
チベットとかそういう大きな問題の話だけではなく、いま目の前。そこに確実にある問題の話。
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こないだ久々に自分が小さいときに育った場所をゆっくりと歩いた。そしたらあっちこっちにまだあの頃の傷跡とか思い出がこびりついているような気がした。
あの頃足が速いことと、高い所に登れるということは一種のステータスだった。だからあの頃はとにかく足がはやくなりたかったし、高い所に登った。そんなことを思い出しながら歩いてたら自分が登ってた木や建物にさしかかった。そしたらその場所のあまりの低さにおどろいた。
あの頃ヒーローになりたくてものすごい怖いのに無理して登った場所は、こんな高さだったんだと思ったら、なんとなくうれしいようなさみしいような微妙な気持がした。
でもきっとそれに気づけてよかったんだと思う。いま目指す頂もきっとそうであってほしいと思う。
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体の血の巡りを自由に意識でコントロールできるかということを漠然と考え始めていたら、ふと思ったんだけど、下世話な話ですが、男の人はさ、ちょっとエロいことでも考えれば一か所に血を集中するのなんてたやすいじゃない。おんなじ原理で意識を先に体の血流をどこかにピンポイントで流すことは可能なんじゃないか、胃とか手足とか。そんなことを思いついて実践を試みるも未だ効果を実感できません。原理はおんなじはずなのに。
ってな話をあちこちで鼻息荒くはなしてるのに、大抵は「おい大丈夫か」といわれる。
すごい発見だと思うんだけど。
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最近自分がなにかを考えるときの柱というか、自分の中で真中にあるものは、物事は関係性でなりたっているということ。それは自分を棚に上げないことであり、感謝することであり、今を大切にしようということ。仏教的にいえば因果とか因縁、宿業ともいえるのかもしれない。そしてそれは一如でもあり。空でもあるということだと思う。
例えるならば頭痛がするときにほぐしたほうがいいのは、首や目だったりすることであったり、お腹を温めるとそこを温めるために使っていた血流が手足に巡るから手足が暖かくなることとか。
人間の脳は首の上にないと機能低下することとか、つまりは寝たきりになることが引き起こす影響は手足だけの問題じゃないこととか。冬に寒くて縮こまってると姿勢が悪くなって胃にも腰にも負担がかかるとか。姿勢を変えるだけでいろんな所がかわる。
風が吹けば桶屋がもうかる。ということを突き詰めて考えてみると面白いくらいなににでも通ずる。
楽しいってなにかとか、命って何かとか、自分って何かとか、好きってなにかとか、友達って、家族って、そういうこの世のすべて全部に関係性を見出そうとおもったら関係性の見い出せないことなんて一つもない。
自分が思うことはそういうすべての関係性によってもたらされている。
その目に見えない部分まで含めて、その大きな関係性や働きを他力と呼ぶんだろうと最近うすうすだけど感じる。
種があっても芽は出ない、土をかけて雨が降って、それだけでも日陰じゃ芽は出ない、太陽があって、誰からもほじくり返されずにいてはじめて芽が出る。でもその種自身は自分で雨も降らせないし太陽も照らせない。
そういうことなのか。
なむなむ。
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忘れるということは。人間の機能の中でものすごく大事な機能だと思う。
POSTED @ 2009.02.13 |
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