Title: epokhe
世の中考えてわかることの数よりも、考えてもわからないことの方が多いんじゃないかと思う。むしろ考えてわかる事なんてたいしたことじゃないんだと思う。本当に大切なことはおれなんかが考えても答えのでることじゃないんだと思う。
なんで生きてるかとか。なぜ苦しいのかとか。なぜ平和にならないのかとか。それこそ宇宙はどうやって生まれたかとか。
考えることは大事だ。なにもしないよりもずっとましだ。でもそれにとらわれすぎるくらいなら考えない方がよっぽどましだ。
それをつきつめることに時間を費やすならそれはエポケーして次に取りかかるほうがいいことがたくさんある。
ピュロンが唱えたことって仏教にも通ずるところが多い。エポケーはすなわち不可思議ってことだろう。アタラクシアってのは覚りの世界ってことだろう。
最近色んな本を読めば読むほど思うのがぜんぶ一緒。みんな一緒。最後はみんな同じ。
宗教も倫理学も心理学も哲学も。
手段や方法や単語は違えどもおなじくくりでまとめられるものが多すぎる。
引っかかるところも。問題として取り上げるところも。
何千年も前から人は同じ事に苦しんで同じ事を繰り返してる。
哲学も宗教も更に言えば、イスラムもキリストも仏教も最後に求めるのは救済だ。なにから救済されたいかっていえば苦しむことで、苦しみってのはなにかっていえば思い通りにならないことで。
思い通りにならないことってなにかって、胸に手を当ててみれば自分の周りには思い通りにならないことがあふれてるし、人間である以上最後まで思い通りにならないのは生きているということだ。
これだけ。
これが全部。これ以上でもこれ以下でもない。
それがお祓いして救われるならそれでもいいし。洗礼をうけて救われるならそれでもいい。カウンセリングでもいい。修行をうけて救われるならそれでもいいし。念仏唱えるでもズバリいわれちゃってもなんでもいいんだ。救われるなら。その苦しみが本当の意味で消え去るなら。おなじ苦しみを二度と生み出さないのなら。
たくさんの方法がある。その中から自分にあうものを選べばいい。すべての人に同じ薬が効くとは限らないから。
ただそれは自分の為だけにある。それを忘れなければいいんだと思う。
ただ自分のためにある。救うべきは自分で、救われなければならないのはだれかじゃない。
そしてなによりも尊いのが自分だと知ることが自分以外のものを尊いと知ることなんだと思う。
それが天上天下唯我独尊っていうことだと思う。
おれが生きてるうちにできることなんて自分のことだけだと思ってる。自分のためにしたことこそがいつか誰かのためになるんじゃないかと信じてる。
POSTED @ 2007.08.13 |
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