• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: 太陽のサーカス
2009.07.30


先日、「ZET」みたんです。

シルク・ドゥ・ソレイユの「ZET」

もう。これはすごかったですよ。サーカスと呼んでもいいのかためらうくらいです。いままで、木下大サーカスとボリショイサーカスしかみたことなかったんです。それはそれは幼心に強烈なインパクトと感動をくれて、サーカスの雰囲気とかは昔から好きなんです。

だから今回もものすごい楽しみにしてたんです。サーカスを。

はじまって数秒でサーカスの概念がぶち壊されましたさ。

ほんと幕開けなんて鳥肌ものですよ。内容はネタばれになるから書かないけど、あれは見たほうがいいです。

それにね。ものすごい感じたのは、もちろん技を繰り出す人はすごいんだ。みんなの注目を一身に集めて。

でもね。タイミングよくその一人一人にあわせて、空中ブランコのタイミングを合わせる人や、ジャンプのタイミングを完璧にとる土台の人や、絶妙のタイミングで道具をわたす人や縄を回すひと。

みんながみんな、ほんとに言葉を一言も交わさないのに阿吽の呼吸なんだよね。どの人が気を抜いてもなりたたないんだ。それにね。誰かがミスをしたときに、それをミスにしないための取り決めがきっとあると思うんだ。一瞬でそのシフトに切り替えて舞台全員が動くみたいな。

そこになんかものすごい胸が熱くなった。なんかそういうの好きなんだね。あれだけの人種も性別も、それこそ国も宗教も違う人たちが、アイコンタクトと空気だけで、フォローしあうんだよ。ホントに相手をよく見て、見るだけじゃなくて、お互いを認めあえなきゃあの動きは絶対にできないよ。

しかも、それぞれの団員は自分の技を磨くことが仕事だけど、あの世界をプロデュースして舞台設定から照明から、構成から演出から、そういうものを創り上げるブレーンがいるわけでしょ。すごいなぁ、人間の脳みそはすごいなぁ。

いろんな感想がいりまじって一言では言い表せないんだけど、舞台を見終わって自分の中にぽかっと浮かんできた言葉は、

あそこに入りたい。だった。

無理なのはわかってますよ。バク転学校行ったくらいじゃシルク・ドゥ・ソレイユに入れないのは。

じゃはいれなくてもいいけど、自分はだれかの阿吽の呼吸に合わせられる人間になりたいし、阿吽の呼吸でフォローし合える仲間ができたらいいなと思います。


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Title: 大人の自由研究
2009.07.30

知る人ぞ知る江戸切子のお店にいってきた。こないだの洞爺湖サミットでは国賓への贈呈品として日本の代表として選ばれた切子をつくった工房。

小さなお店だけど、そこにある切子は別格だった。

大手百貨店に並んでいるものとは明らかに色も削り口も違うし、なによりも意匠登録されているオリジナルの文様がすごかった。手磨きのこだわりをお店の方が、丁寧に説明してくれて、しかも全部手にとってみせてくれて、ほんと、思わずニヤニヤしてしまうくらいすばらしい切子だらけだった。あれを見たら他のところで買えないですよ。これ盛ってないです。まじで。切子が好きならいけば分かります。ほんとに。

ものすごいいい色のぐい呑みがあったんだけど、悩んで悩んだ末にオールドグラスを2つ買った。あまりにも悩んで長時間居座ってしまったのに、お茶までだしていただいて、いろいろな話を聞かせていただき、しかもですよ。帰ろうとおもったら、なんと、下にある工房を見学していきますか?とお声をかけていただき、そうとうハイテンションで工房を見学させてもらいました。

下絵を描き、削り、磨きなどの全工程を、職人さんたちも快く見せてくれて、企業秘密の部分まで事細かに説明してくれて・・・はじめて切子のできる工程を全部見せてもらって、作りかけの作品まで手に取らせてもらって、ほんと日本人の技術の高さを改めて思い知りました。これは世界に誇れる技術ですよ。バカラにだってまねできないよ。

いやぁすごかった。やっぱ早起きはしてみるもんだ。

切子に興味がある人はほんとここの切子を一度見てほしい。とにかくどツボにはまりました。

氷屋さんで買ってきた氷がまだ一貫目ものこってるし、それを細かくして、今日はこのグラスで焼酎いっちゃいますよ。うへへ。

http://www.edokiriko.co.jp/

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Title: 摩耗
2009.07.29


この空の青の青さに心細くなる。

この感性がうらやましい。こんな感性の一欠けらでも自分にあればいいのにと思う。おんなじ感情を味わいたいと思う。

やっぱり自分が生きていく上で一番大切なのは感性だと思う。目をつぶって自分の中にわいた感情にしっかりと耳を傾けて、それを言葉に紡ぐ。

そうやって生きていきたいわけです。

だから研ぎ続けたいし、磨き続けたいわけです。

摩耗してちっさな塊になっていくならそれでもいいんだ。

感性が研ぎ澄まされるなら、ほかになんにもいらない。

自分には、どうしても観たい世界、感じたい世界があるのです。

どうしても。

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Title: ZET
2009.07.28

からからに乾いた体で、一気に飲み干した水に細胞の1つ1つがごくごく音をたてているのが聞こえるみたいに。言葉の1つ1つが自分の中に、しっくりと吸い込まれていく。1つ1つの音がしっくりと自分の中に落ちていく。

そんな時がある。目をつぶってその感覚を十分にかみしめる。

いまの自分がここにいて、10年前の自分がそこにいる。

10年前に思ったのは、成長することはいまを否定することであり、なにかを身につけることで、ゴテゴテと武装するみたいなもんだと思ってたのかもしれない。

若いなとか、あの頃はあれやこれを知らなかった、視野が狭いぜ。なんて思ってた。でもぐるっとまわって、あの頃よりはいろんなことが見えるようになって、いろんな経験をして、今になって思う。

やっぱ、あの頃の自分は間違ってない。いろんなものが見えるようになっても、見えなかったときの自分は間違いないし、見えてたかどうかということが根本的に大事じゃなかったんだ。

見えてるかどうかじゃない。その姿勢が大事なんだよね。

世間をしらないケツの青いガキンチョが正論に胸を張って、なんにもしらないのに、世界の平和を願ってさ、想うことの力を信じててさ、我執丸出しで。

そんな自分からちょっと大人になったつもりで、一歩引きつつ、世の中にはいろんな見方があるんだぜ、なんてもっともらしいこといってきたけどね。

なんもかわんね。

やっぱなんもかわんね。

ぐるっとまわっておなじとこ。

もういいや。あきらめた。もうやめた。

こんな自分が好きで、こんな自分だからこそ、一緒にいてくれる人にありがとうだと思う。

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Title: ピンフ
2009.07.25

町会のラジオ体操にでて、あたらしい朝がくる。希望の朝だ。

ラジオ体操という習慣はいいもんだ。地域の人が声を掛け合って、みんなで早起きして体操して。ピンフだな。間違いなくこの瞬間はピンフだ。

夏休みにはいって、明らかに目方が増えている。体重計の目盛りがくるってるのかと一度確認したくらい。まぁ飲みまくり食べまくり、外食産業にお世話になりっぱなしですからね・・・いたしかたないとはいえちょっと節制しないとやばいね。

またこれ白熊みたいだとかいわれたくないからね。

しかし昨日は、またこれフラストレーションなく、いいたいこと出し切れて満足。自己満足。でもやっぱ今回後先省みず声をだしてよかったと思う。

こうやって増えていく人たちを仲間というのかもしれないね。

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Title: 早起き。
2009.07.24


どんだけ寝ていてもいいんだよ。目ざましかけないで寝ていいんだよ。それなのに6時よりもはやく目が覚めちゃう。夏だもんね。

そんでつらつらと布団の中で本を読んだり、ドラクエをしたりする。今回のドラクエなかなかおもしろいと思う。絶妙なバランスだと思う。きっとつくった人は、たくさんやりこんで、修正に修正して、議論に議論を重ねて、みんなが熱くなってつくりあげたんだろうな。

今日はわけあって、ちょっとヘビーな場所で、ヘビーな発表が待っているので、その準備をしなきゃいけない・・・はずなのに、こうやって文章を書いて時間を過ごす。最近良くも悪くも人前で話すということのコツをつかんで、ちょっと天狗になってるんだ。準備を怠っていつかガツンと叩きのめされるまで気付かないぜおれ。

頭がしっかりと歎異抄モードに切り替わってきて、一言。

信仰というものはそこに自分が抜けたら、もう信仰ではないでしょう。1つだけ言いたいのはですね。お坊さんは仏教徒なんです。もっというなら1つの宗教として仏教を信仰してるんですよ。

おれ坊さんだけど仏教徒じゃないし、信仰とかないよ。

なんて通用するわけないでしょう。

ここ数週間、身近な人の死に立ち会って、犬と一緒にしたら怒られるかもしれないけど、うちの犬を亡くして、改めて思う。

真宗でよかったな。

こないだあるお坊さんが、お坊さんという仕事が嫌です。死に触れすぎるし、リアルに死を感じるから。といっていた。

でもそれがお坊さんの仕事なんですよ。こういうとなんかおかしな表現だけど、だからいいんだと思う。その経験や体験が大事だし、老病死とリアルに近い所にいて見えることがたくさんあるんだ。1つ1つの老病死に感情移入したっていいんだって。それが自分の生きざまでいいじゃんか。

客観的に老病死をやんややんやいうよりも、よっぽど人間ぽくて、いいとおもうよ。一緒に悩んでくれて、一緒に泣いてくれるお坊さんでいいじゃん。

さてラジオ体操でもして頭と体をほぐそう。


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Title: なつ。
2009.07.22


毎年夏の訪れは、はげしい眠気と疲労とともにやってくる。世界中が日食に興奮して、目をきらきらさせる少年を見ながら、この日食をみて、宇宙や天体に興味をもってその道に進む子どもがいるかもしれないとおもったらなんだか胸にこみ上げるものがあった。

本日、夏の大事なイベントである卒園旅行が終わった。あたまがもうろうとしつつも、いやぁ夏来たぜというわくわく感でいっぱいです。これでやっと何週間もイベント続きで準備をしてはこなし、また次の準備・・・というスパイラルから解放です。そして力強く鳴き始めた蝉とともに夏卍解です。

よっしゃ。

まずはドラクエを悶々とこなして、読みかけの本を読み倒して、おもいっきり歎異抄につかったんねん。
あついあついといいながら、酢豚でもたべて、カルピスがぶのみしたんねん。そんで最近お気に入りの立ち飲み屋で一杯ひっかけて、神楽坂を夜な夜なうろうろしたんねん。ビアガーデンもいくもんね。うへへ。夏最高。

それと今年の夏は会いたい人にたくさん会おうと思う。普段なかなか時間が会わなくて、いつか時間が合えばといって、先延ばしの約束をできるかぎりこなそうと思う。

さて。

わくわくするな。夏だぜ休みだぜ。今年の夏はどんな夏になるのか。ちなみに今年も島にちょこっとだけいってきます。おもいっきり近場の小さな島ですが・・・

いやぁ。ここんとこほっんとにたくさんの大なり小なりの問題があったけど、そんなもんへけけですよ。夏ですよ。

夏無敵。

いよいよ卍解です。

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Title: ĝui
2009.07.16

先日の法話は、自分でいうのもなんだけど、いままでたくさんの話をしてきた中でも1番よかったと思う。自分の想いをきれいに全部出し切れたと思う。

いつもと違ったのは1つだけ。

なにかを伝えようと思うのをやめた。簡単なようだけど、ここのニュアンスを体現するのは本当に苦しく難しい。

自分が真宗に触れて感動したり、助かったり、気づかされたり、その喜びというか、感動みたいなものをただ話せばいいや。だれにも伝わらなくても、意図がなくても、自分にできるのは自分の中の感じたことを話すだけだと。ある種の開き直りだ。

そしたら、原稿なぞって読んでるときには気づかなかったことにたくさん気付かされた。

本当に感覚の世界だけど、聴いている人の顔や、会場全体の空気がよく見える。その空気に合わせて、声の出していくだけ。いままで味わったことない感覚だった。はじめて話をしていて気持ちがいいと思ったし、言葉がお腹からどんどん出てくる気がした。

本当に感覚の世界だけど、いままでにない感覚が自分の中にぱぁと広がって、いままでとは別物になる。そういう感覚に出遭うたびに、人間ってすごいなぁと思うし、これから先に何度もこういう体験があるかと思うとうれしくもなる。

ほんとに、そういう体験はすごい。「話す」ということに関して、ここ数週間でかなりレベルアップしたのを感じます。ここからまた次のステップです。こういうのは楽しくてしょうがない。

ほんとうに何事も、大事なのは、プラスじゃなくてマイナスなんだと思う。

なにかを身につけるということは、無駄なものをいかに省けるかということなんだと思う。これはここ数年の自分の経験で間違いないと思う。絶対に。どこが無駄でそれをどう取り除くのか、これは何にでも必ず通じると思う。

しかし実践の場所というのは大事だな。模索して実践。実践して模索。

この繰り返して徐々にステップをあがる。

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Title: ぐるっと。
2009.07.16


宗教は感性の世界だと思う。

最近感じるのは、感性というのは言い換えればのど元に突きつけられたナイフの鋭さみたいなものなのかもしれない。感性が鋭ければ鋭いほど、苦しかったり、怖くなったりもする。普通はひっかからないようなところに躓いたりする。

感性が豊かで、すごいなと思う人を目の当たりにしたり、だれかの文章を読んではっとしたりするたびに、その人の中にある苦しみと、ここに来るまでの時間を想う。研ぎ澄まされた感性で自刃しないように、いろんなところでバランスをとりながら生きてきたんだろうと思う。

でも思ったんだ。

刃物と一緒で、研げば研ぐほど、あるところまで来ると先が丸くなってくる。苦しくてもそこから目をそむけないで研いで研いで、研ぎ続けたら、きっと刃の部分は、丸くなって、小さくなって、なんにも切れなくなるかもしれないけど、でもそこで初めて完成形なんだと思う。

完成形というのは必ずしも一番いい状態だけを指すんじゃない。

ぐるっと一回り。これが大事なんだと最近肌で感じる。

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Title: お盆
2009.07.15

梅雨があけて、このじりじりとまとわりつくような暑さがやってきて、夏気分が一気に盛り上がる。ほんとここ数週間息をつく暇もないくらい行事やイベントに追われたままのお盆突入。

そんなお盆のさなかにうちの犬が大往生しました。人間でいえば96歳くらいだそうです。最後の最後になくなる5分前に声をかけたら、目だけこっちに向けてこっちを一瞥してまた眠りました。そんでそのまま大往生です。うちの犬らしいといえばうちの犬らしい最後でしたね。あの一瞥は。

15年間自分の人生の半分も一緒にいたわけでいろいろ思うこともあるんだけど。

なんかサヨナラなんてことにあんま意味はないんだと思った。玄関にいようと、ベランダにいようと、どっかほかのところにいようと、トイレにいようと、それがお浄土だろうと、なんらかわんないぜよ。

生きてるということは、きっと本質は物理的なものを通り越しているんだと思う。生きているというのは正確には、それぞれの中に生きているかどうかなんだろう。

死を通して学ぶのは生きるということ。

生を通して学ばなければいけないのは死ぬということ。

移ろい変化して、自分を取り巻くものは刻々と変化する。
いまと明日とおんなじものなんてなんにもない。

いまここ。それだけ。

この現実に、この事実に、この無常に南無阿弥陀仏。

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Title: ころどらごん。
2009.07.08


さぁもうすぐお盆だ。今回はあえてなんの準備もないまま突入してさくっとこなそうと思う。

肩ひじ張るのやめだぜよ。夏だぜよ。

いつも考えてること思ってることを、あ~あ~う~う~いいながら絞り出せばそれでいいんだ。手抜きじゃないよ。やっとコツをつかんだような気がしてるからそれを、実践に投入して一回叩きのめされる経験をしてみようとおもっただけです。

あ~どうも最近イタズラ心であっちこっちにかみつきたい年頃みたいです。

わんわん。

でも抜かないぜ。そうでしょう石舟斎さん。たまに柄に手をかけたりはするかもしれないですけどね。

膝つきあわして肩ひじついて、ああでもねぇここでもねぇ。時にお互い褒めあいつつ、傷なめあいつつ、でも時にけなしつつ、甘噛みでかみついてみたりしながら、しまいにゃ「う」から始まる3文字の汚い言葉を代名詞にしたりして。

やけっぱちじゃなくてね。後は野となれ山となれ。そんでそこに花でも咲けばいいと思う。

おてんとさんってのは、粋だね下町情緒だね。

ペース配分なんかいらんもんね。エンジン切れたらぶっ倒れるだけだもんね。

そしたらあんたの出番ですよ。

人がね、絵を描く時にどこから描くかって言うのにものすごい興味あるのです。人間のね、そういう隙間の部分がたまらなく面白いんですよ。

それと。

次だれかに怒られたらきょとんとしてみようと思う。狐につままれたような顔しながら。

そんなこんなで今年ももう折り返しまくり。

歯車のかけ違いなんてただ歯車がかけ違っただけでしょう。

そんなのへけけですよ。

思うにね。あの頃かじりついて、口からフガシをこぼしながら、むほほとかいいながら読んだ漫画は、うんこふんずけた靴の裏みたいにいつまでもこびりついててね、ふとした時にふわっとにおってくるんですよ。

定本コロコロ爆伝1977-2009というコロコロの歴史をまとめた本を読んでたら書いてあったんですが。

コロコロの読者がね、女の子とかに興味をもち始めたら、コロコロの卒業の時期なんです。それくらいの周期で入れ替わっていいんです。だからその前の子どもたちを対象に作ってるんですよって。

それを聞いて・・・確かに!とか思った。自分中学1年生まで隠れてコロコロ読んでたんですね。しかも部屋でベーゴマとかしてたんですね、井口とかてつわとか荒木と。そして異性に興味を持つとともに卒業でしたね、たしかに。

お坊ちゃまくんやビックリマンはいわずもがな。ダッシュ四駆郎を読んではアバンテに穴をあけ。ミニ四駆大会で自慢のマシンが第一コーナーでコースの外に吹っ飛んだ時の悲しさは今でも覚えてますよ。ドッヂ弾平とかね。あの炎のボールを投げようと家の下で練習したもんね。ぬまべだいちくんと。つるピカハゲマルくんもおもしろかったなぁ。しかし高橋名人が捕まった時には心にぽっかり穴があいたの覚えてるなぁ。

地味に、やったぜクワタ君という4コマ漫画があって、それも好きだった。悪魔の顔の桑田が出てきて清原とやりあうって話で。

いやぁ眼がね。

キラキラしてたんですね。

そんでわくわくしてて、うおおお!とかいう感嘆詞を多用してて、すげぇこと思いついたとか。すげぇことやろうぜとか、すげぇとこいこうぜとかどこまでもすげぇ毎日だったんだね。

いやでもね。

声を大にして言いますよ。

今のほうが楽しいもんね。うらやましがると思ったか小学生のおれ。ざまぁみろ今のほうが1000倍楽しいぜへけけ。

ビックリマンもミニ四駆も買いたいだけ買えちゃうもんね。

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Title: Luno
2009.07.08

いろんな分野のいろんなことがもんもんと頭の中でぐるぐるぐるぐるぐる。
ぷらぷらとラーメン屋の匂いに引っ張られそうになる自分に打ち勝って家路につく。

ああ明日はあれとあれを片付けなきゃ、あそこに電話しなきゃ、スケジュール調整しなきゃ、とそんな自分にはっとして、手元ばっかりみてたら夏があっというまに通り過ぎちゃうぜ。たまには空気とか匂いとか温度とかちゃんと感じなきゃ、なんて気持ちを切り替えて顔あげたら、ものすごい明るい月が出てた。

色っぺぇななんて思ってたら。あ、そうだ七夕だったと気づきました。

七夕にこんなきれいな月が出るなんて、そういや去年は天気が悪かったはずだ。ってことは彦星と織姫は数年ぶりにやっと会うことができたんだな。

大好きな人と数年ぶりにあったわけか。彦星の奴は、そりゃぁきっと今頃・・・食事なんか後回しで・・・


・・・・短冊に書かれたみんなの願いをかなえてくれてるんだろうね。

いま一瞬でも邪推したあなた。月にあやまりなさい。

ごめんなさい。

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Title: ぼうさん。
2009.07.06

坊さんってなんですか?と問われた時に最近思うのは。

坊さんというのは、例えて言えば、のど元にナイフを突き付けられていることに気づいているかどうか。それに向き合おうとしているかどうか。ということじゃないかと思います。おもいっきり個人的な解釈ですが・・・

あんた。目の前に死が迫ってますよ。覚悟はよろしいか。

愛する者との死がすぐそこにきてますよ。覚悟はよろしいか。

もっと具体的にいえば、少なくとも数年、10年以内には家族だって減りますよ。
大好きな人も死にますよ。もしかしたら癌になってのたうちまわるかもしれませんよ。

覚悟はよろしいか。

これにぶつかって苦しみながらも目をそむけないのがお坊さんじゃないかと思います。すごいなと思うお坊さんが鬼気迫る感じがするのはだからじゃないかと思います。

それが怖くて、死にたくなくて、おら死にたくねぇ、愛する人とも離れたくねぇ。と心から初めて思えてお坊さんじゃないかと思う。そこからそれをなんとかしようというのが仏法なんだと思う。そう思えば坊さんの方向性に迷いなんてないでしょう。

それに気づかないで人の生き死にに口を出すというのは手元がお留守じゃないですかと思ってしまうし。そもそも自分の死に向き合わないで他人の死に向き合っていることは仏法じゃない気がしてしまう。

いつだって自分が棚にあがってないかい。

死刑だろうと、大往生だろうと自殺だろうと。死に方について議論するだけにならずに、死そのものに向き合うことが大切だと思います。遺族にとってはどんな死に方をしようと、そこには大切な人の死しかなわけで愛別離苦しかないわけで、それはいつだって自分も直面してる現実なわけで。

目先ではなく本質そこに目を向けるのが知恵ではなく智慧なのかもしれないと思います。

まずは自分というのは身勝手なようですが自分が救われずして誰を救えるんだろうと思うんだ。

ちなみに自分はまだ坊さんになりきれずまさか自分が死ぬとはつゆとも知らず理屈でものを考えようとします。なむなむ。

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Title: かつぶし。
2009.07.02

ここ数日で本当にたくさん話をした。

いろんな話をいろんなところでいろんな人と。

胸が痛かったり耳が痛かったり、ああ誤解されてるなって思ったり、なんでこの人はこうなんだろうなとか思ったりすることもあるけど。

胸が痛いのも耳が痛いのも全部1つの点にすぎないとは思いつつも、その点はある意味その角度から見た正しい姿なんだと思うし、ああ誤解されてるなと思うのと同時に自分も誰かをきっと誤解してると思うし、なんでこの人はこうなんだろうと思えばそうはなるまいと思う。

ただひとつ感じたのは、やっぱり人間は誤解をまとって生きていくもので、苦しみは全部自分の欲求で、人間はその立場にならなければわからない。だからどれだけ相手の立場になって考えられるか、自分の知らない可能性にどれだけ想いをめぐらせられるか。というのはとても重要な能力だと思う。

いつだって棚にあがってないかい自分が。

ほんと謙虚にならなきゃいけない。そしてやっぱり誤解の満艦飾になれですな。

ほんとありがとうをわすれちゃだめだな。いろんなことが帳消しになるくらいのありがとうに囲まれてるはずなのに。

おれはなにさまだ。

夕焼けを見てよしっと思えるときは健全な時だ。
夕焼けを見てにやりと笑えるときはみたされてる時だ。

信じた道を歩こうと決めてそこに向かって歩き出す。そこまでの決意と覚悟を決めるのだって大変だったのに。歩きだしたらもっと大変で。でも大変だなと思うたびに確実にその道からはずれてないなと確認したりもする。

独りよがりにならずに自分の信じた道を歩き続けることがどんなに大変なことか。

ええねんええねん。これでええねん。

最後は理屈じゃねぇ。

鬼気迫れ。

言葉で伝えられることの数よりも、言葉で伝えられないことの数のほうが途方もなく多いのに。
でも人は言葉でなにかを伝えたがる。そして伝えた気になって満足する。

そんなもん自慰となんらかわんない。

覚悟はできてるのか おれ。

ほんとはね。ああでもないこうでもないとか愚痴ったり文句もいってる時間もないくらいに、自分の中に何かがあふれてて、ちょっとごめんいまそれどころじゃない。自分の中に湧いてるものをこぼさないのでいるので手一杯だ。といっていられたらいいのにと思う。そんなの不可能に近いけど。

しかし思うに自分の苦しい時やいやな時の種類って言うのは何十年も前から変わらないな。

言葉には意図がある。

意図があるから、言葉には力はあるけど、そこに意味はない。

言葉はあくまでツールだ。とても優れたツール。
でも必ずしも万能ではない。

言葉じゃない方法でしかまかなえないものはあるのに、つい使い慣れたものを使って済まそうとするのは人間の悪い癖だと思う。

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。