Title: ĝui
先日の法話は、自分でいうのもなんだけど、いままでたくさんの話をしてきた中でも1番よかったと思う。自分の想いをきれいに全部出し切れたと思う。
いつもと違ったのは1つだけ。
なにかを伝えようと思うのをやめた。簡単なようだけど、ここのニュアンスを体現するのは本当に苦しく難しい。
自分が真宗に触れて感動したり、助かったり、気づかされたり、その喜びというか、感動みたいなものをただ話せばいいや。だれにも伝わらなくても、意図がなくても、自分にできるのは自分の中の感じたことを話すだけだと。ある種の開き直りだ。
そしたら、原稿なぞって読んでるときには気づかなかったことにたくさん気付かされた。
本当に感覚の世界だけど、聴いている人の顔や、会場全体の空気がよく見える。その空気に合わせて、声の出していくだけ。いままで味わったことない感覚だった。はじめて話をしていて気持ちがいいと思ったし、言葉がお腹からどんどん出てくる気がした。
本当に感覚の世界だけど、いままでにない感覚が自分の中にぱぁと広がって、いままでとは別物になる。そういう感覚に出遭うたびに、人間ってすごいなぁと思うし、これから先に何度もこういう体験があるかと思うとうれしくもなる。
ほんとに、そういう体験はすごい。「話す」ということに関して、ここ数週間でかなりレベルアップしたのを感じます。ここからまた次のステップです。こういうのは楽しくてしょうがない。
ほんとうに何事も、大事なのは、プラスじゃなくてマイナスなんだと思う。
なにかを身につけるということは、無駄なものをいかに省けるかということなんだと思う。これはここ数年の自分の経験で間違いないと思う。絶対に。どこが無駄でそれをどう取り除くのか、これは何にでも必ず通じると思う。
しかし実践の場所というのは大事だな。模索して実践。実践して模索。
この繰り返して徐々にステップをあがる。
POSTED @ 2009.07.16 |
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