Title: なつはほよよん。
夜中のラブレターは翌朝読み返せなんていうけど。
がんばる友達の熱にあてられて、しかもほろ酔いでかく文章はきっとあとから読み返したらあちゃちゃちゃなんだろうけど。でもいいんだそんなことも無視できるくらいいまなめらかに書きたいことがわいてくるから。
どこで道を間違ったんだろう。どっかで道を間違えたわ。そんなことを嘆く人がいて、そんな話をさんざんきいて帰り路にひとりで歩いていておもった。そもそも地図はどこを目指してたんだ。そもそもあんたの地図に目的地は書かれていたのかい。そんなひねくれてることを思いながら夜風に夜風に吹かれていると次から次へいろんなことが湧いてくる。浮かぶんじゃない。湧く。
いろんなことに冷静になってしまったり、ここ一番で感情移入できなかったり、自分てなんで冷たいんだろう、どっか心などになにか問題を抱えているんじゃないだろうか。(そういう人を最近メンヘルというらしいが)そういう話をきいて思ったこと。
物事に冷静でどこか受け止め方によっては冷酷で、ときにどこから物事をみてるのというようなことがあるかもしれない。でもそれっていうのは仏教的にいえば知恵ではなく、智慧でものごとを判断しているということじゃないかと思う。
前に刀愛好家の人と口論になりかけたことがあったけど、そこにある真実を曇らせるもしっかりと光を当てるのも自分自身だ。人間は自分の気持ち次第で空の色だって気温だって変えられてしまうんだ。晴天もどしゃぶりも、そこによいもわるいもないんだよ。
だからなにをもって幸せかなんてことを考えている時間があったもっと自分自身が何が好きなのかを考えたほうがいい。
最近ことごとく言葉や事実の一つ一つを反芻する時間が増えたと思う。言った本人も覚えてないような言葉のちいさな欠片を何度も何度も反芻する。そこにその瞬間込められていたであろう気持ちを反芻する。そうするとおもしろいようにその瞬間には気づけない事実や伏線や、さらには皮肉や比喩まで、たくさんの事実をみつけられることがある。
おもしろいな会話も言葉も、それを生み出す心も環境も。
一瞬で天国にも地獄にもなりうる自分。
うかれるなかれおちこむなかれ。
一寸先は闇。
これバイロンじゃありませんよ。
つねに最悪な事態を想定していることはネガティブなんじゃなくて、最高にポジティブなんだと思う。悪いことばっかり考えちゃうのは、ある意味正解でいいことばかりしか考えられないのは結果としてネガティブなんだと思う。真実は逆説のなかにこそある。
最近、瞬間やタイミングの重要性をものすごく感じる。すべては生ものでわいたときがすべてで、わいたときから1秒後には劣化して風化するんだ。
湧くというのはそういうことだ。その瞬間をいかにとらえるか、その瞬間をどれだけ瞬間冷却するか。それはもう経験と体験からそれぞれが独自に編み出した技術によってしかなりたたない。答えはまさに十人十色だ。その瞬間をとらえることに、劣化しないものを瞬間で固めてしまうために、人は苦悩する。
帰り路の夕焼けをみていて。自分の知っているなに色となに色を混ぜたらあの色をだせるんだろうかと思った。でもその事実を反芻すると、自分が知っている色を混ぜればそれが表現できると思ってしまった自分の浅はかさがそこにあった。
くそったれ。考えれば考えるほど、思えば思うほど、自分はなんもわかんない。なんにもできない。それなのに簡単にしったふりもわかったふりもする。気を抜けばすぐにえらそうなことをいいたがる。抗えど抗えど、どうどうめぐって同じとこ。
今バッハ聴いてるですよ。ありえないと思うでしょ。バッハハ。バッハッハッハ。
「誤解の満艦飾になれ」
この言葉をあれから何度も何度も心でなぞる。なぞればなぞるほど。自分にかけていたもの。自分が苦しんでいたものが浮き彫りになって、そこから自分がなにを恐れて、なにを求めて、なにを目指したかったのかが浮き彫りになった気がする。
なにももたずに生まれてきたからなにももたずに死んでいきたい。0で。ニュートラルで。無理だろうなきっと。
死にたいなどと死に対して希望をするのも、思い通りにしようとするのも違うのはわかりますが。人間ですから理想の死にざまっていうのを思わずにはいられないんですよ。
さてもうねます。
おやすみなさい。
ほよよんっていう響きには夏が込められてるね。すごいいい響き、浮かれ具合がよく表れてると思う。だからぱくります。いただきます。
POSTED @ 2009.05.24 |
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