Title: ボンブ
くだらないおもちゃとか、雑誌とか漫画とか本とか。月に1万くらいは軽く使っちゃうかも、多い時だと2万位いっちゃうときもあります。といったら。
ある人が、いやぁ自分にはそんな余裕はないなぁという。
でもその人は1日2箱煙草を吸っている。
金額に換算したら対して差はないはずだ。
ものの価値というのは、本当に人それぞれだと思う。それぞれがそれぞれに無駄でないならそれでいいし、優劣もないだろうと思う。
(昔パチンコ狂いのぼうさんが、ぱちんこをしているときに、パチンコ台が曼荼羅に見えて、おれはさとったのかもしれんといっていたし、禁煙できないぼうさんが、凡夫であることを心から悟るかもしれない。可能性として、日々掃除だけをしていて、悟りを開いたシュリハンドクの話もあるしそれは否定できない)
話しがずれたけど、ただそこにある価値を、お金という単位で換算した時に感じる気持ちは、あくまで自分の主観であることを忘れたくない。
つい自分も、なんでそれにそんなにお金かかるの?!とか。もったいな!と感じることはあるし、事実完全に無駄だろそれと思うものはたくさんあるのは否めないけど。
なにはともあれ、お金の使い方を考えるというのは大事なことだなと思う。
兎角お金は目的ではなく手段であるということを忘れないようにしたいものです。
*
つねに変化するの。なにごとも。
気持ちも想いも距離も形も。
それをそうじゃないとか、そうあってほしくないとか思うからしんどいわけで。そこにすがるから悲しくもなるわけで。
日々は変化してるのは事実で。
変化するのは生きてる証拠で、変化しないのは死んだものだけなんだろうと思う。
今を生きてりゃ変化するのが当然で。
事実を事実としてしっかり受け止めるのが、次へのステップじゃなかろうかと思う。
諸行無常かぁ。たしかにねぇ。わかるわぁ。
といいつつも、つい自分のこととなると、都合のいいところだけ諸行無常をわかったような顔してるのに、いったん口をひらけば、あいつは変わったとか、いつまでも一緒にいたいねとか、あの時の気持ちはどこにいったの?とか、あの時はああいったじゃないとか、言いたがってしまうわけで・・・
変化は生きてる証拠だよ。
それに理屈で逆らおうとするのは、エスカレーターを逆向きにかけぬけようとするようなものなんだろうと思う。
仏教にこうやってもともこもないようなことを、冷酷につきつけられたときに、そんなもんわかってるよ、そんなこといったってできないんだもん!と言い返すと、そこにちゃんと答えが用意とかしてあって、いやぁ仏陀抜け目ないなぁとか思っちゃう。
たまにそのストレートさに悲しくなったり耳と目を覆いたくなる時があるけど、でも事実は事実。
POSTED @ 2010.05.12 |
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