• PHOTO最終更新日2010年10月11日



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Title: イラクでの事件について


今回の事件で何が正しくてどうあるべきなのか。
どこを一番にすればいいのか。
結局いろんな観点から一番にするところがバラバラで、
被害者を一番に考えることも、被害者が悪いと言うことも
この背景にあるアメリカを批判することも
国家としての姿勢を強調することも
多くの議論がその各一部分にのみ
スポットがあたってしまって、分断されて考えられがちだが
すべてがつながって初めて新しい道があるような気がする。

各観点からどこも一番になりえるわけで、
被害者を一番に考えるならば他になにをおいても
人質解放条件である自衛隊は撤退。
日本人の命を尊重すべき。
拘束された家族や身近な人間もこれを望んでいると思う。

ただここで命を尊重すべきならば、この拘束された3人だけでなく
イランイラク戦争から10年以上の戦火の中で、
劣化ウランやクラスター爆弾の被害にあって身内を殺された人。
今なお苦しむ人。テロリストの中の多くが身内をアメリカの攻撃によって
失った人間だという現状も考慮すべきではないのだろうか。
また拘束された3人の命が助かることを一番に考えて
撤退を叫ぶのであれば撤退することによってなんの支援もない
戦禍の跡で失われるであろう弱者の命の重さはどうなるんだろう。
遠い他国の人間だから同じ命だという感覚が薄れてしまっているのだろうか。
すくなくとも拘束された3人のやっていたことは、
その弱者を救うための活動であったはずである。

国家としての日本を一番にするのであれば、国際協調も含め、
撤退することで他の国のジャーナリストや民間人を
同じ危険にさらすことになるのだから、やむを得ず撤退はしない。
そしてそしてなによりも多くの反対を押し切った自衛隊派遣は人道支援のもと
行われているのだと胸を張ってきた以上、
それを貫き通すことが一国家の判断として
正しい姿勢であるのは間違いない。
他に救出の手だてがあるわけではない。
日本国としてだた撤退はないということになる。
一言で言えば個よりも公を重んじるということになる。

そして被害者達に責任を問い本人たちも覚悟してたはずであるから
今回はやむを得ない、個々の責任だという言う考え方もできる。
無論外務省からは勧告もだしているわけで民間人がそこにいることの
危険性は十分に熟知していたはずである。
だから今回の事件は起きるべくして起きたと。
これにはジャーナリストや民間人、
イラクで活動するNGOの人達には反対もあるだろうが
長い戦禍の中で命をかけて生きている人たちに対して
なにか支援をするということは、その自分のする活動の意義を
自分の命と天秤にかけて釣り合わないのであれば
そこへ踏み込むべきではないと思う。
誰かを救いたい。支援をしたい。でも死にたくないと思うのなら
そこへ行くべきではないと思う。

各それぞれの観点から見て正しいというよりは
どれも間違ってはいないと思う。正解ではないかもしれないが
不正解ではないと思う。

起きてしまったことに対する議論はいつだってそうだけど。いろんな観点から
様々な意見が飛び交う。もっともらしいことをいうジャーナリスト、
博愛主義の民間団体。どれもが起きてしまった既成事実に議論し
目に見えるわかりやすい事実だけを取り上げ目にみえる解決を求める。
結局答えのでないまま時間は流れやがて風化する。
それが世論であり、視聴率重視のマスメディアだと思う。

大切なのは、もう起こさないためにできることじゃないのだろうか。
そしてそのために必要なのはなぜ起きたのかということじゃないだろうか。

今回の事件は今イラクの抱える大きな問題の一角だと思う。
逆にいうならこの一角から大きな問題に気づくひとが一人でもいればいいと思う。
もっと多くの人が大きな視野で物事をみてほしいと思う。
この事件はただ日本人が人質になって大変だという簡単な事件ではない。
これが起きるにあたってここに至るまでの経緯や背景。
すべてがつながっていることだと思うし、その延長線上の出来事であって
いきなり点として現れた事件ではないということ。
この事件が本当に意味するところはどこなのかをもう一度考え、
撤退か否かという議論が、その場しのぎの解決にしかならないと言うことを
もっと多くの人が知るべきではないだろうか。

POSTED @ 2004.04.12 | Comment (0) | Trackback (0)

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  • 自己紹介:1980年1月9日生まれ。どこからを趣味と呼んでいいのかは模索中。好奇心は旺盛。